《第11話》新空港時代の幕開けと突然の転機
待望の新空港開港と駅の開業、枝線開通で新しい時代を見る時がやって来た。
札幌と新千歳空港を結ぶ快速列車の愛称も新しくなり、小樽と札幌を結ぶ快速列車に新千歳空港直通列車を新たに設定したり、新千歳空港と旭川を結ぶ特急列車を新たに設定したり、昭和ゆとり穏健派ツネオの目論みが、また一つ達成したのだった。
しかし、これは空港連絡バスとの次なる競合の始まりでもあった。
航空機との接続利用の大半は、バスの方が最もシェアを占めているからである。
更に、昭和のゆとり穏健派ツネオは石北本線や池北線の再生に挑むべく、新型普通気動車キハ150を導入し、軌道強化と最高速度向上も進めた。
引き換えに、既存のキハ54形500番台普通気動車は富良野線や室蘭本線に移籍し、日高本線や石勝線との共通運用に就いた。
そして翌年の初夏、自民党政権が窮地に立たされたと日本社会党から連絡が来て、昭和ゆとり穏健派ツネオは急遽国会に向かわざるを得なくなった。
日本社会党本部に到着した昭和ゆとり穏健派ツネオは、党員達から信じられない話を耳にした。
それは、自民党と首相に対する不満や党内での裏切りと離党者が続発し、日本共産党を除く各党から提出された不信任決議案が可決したという、信じられない出来事であった。
昭和ゆとり穏健派ツネオは、離党者の今後の経過を見て、今後どの様に関わるべきか、組織間で長時間に及ぶミーティングに入ったのだった。
また、この頃は1993年3月12日に北朝鮮が核拡散防止条約を脱退した事により、日本はミサイル防衛網の構築検討に入っていた為、各家庭や公園、教育施設などに地下シェルターの必要性がより高まっていたのだった。
昭和のゆとり穏健派ツネオは改革の遅れに不満があったからか、非自民・非共産8党派に合わせると同時に地下階や地下シェルターの設置義務化と防災・防衛体制強化を目指す方針を決断した。
そして昭和のゆとり穏健派ツネオは自宅に戻り、自ら1億円かけて手に入れたマイホーム増築計画を立て、万が一の防災・防衛対策に備えて緊急避難場所に使える地下シェルターを建てるべく、3000万円の予算をかけたのだった。
しかも、地下シェルターには洗面化粧台やトイレも備え、当然ながら和風両用便器としているが、使用頻度も大して多くない事から軽水洗式としている。
その後、昭和のゆとり穏健派ツネオは家族の生活を守る為にも総選挙への出馬を表明し、その一方で妻の育江は地元のサービスセンターへの再就職を決意、子ども達はそれぞれ次なる道を行く二人を見守るのみだった。
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