《第6話》公共組織の再編と車両の再活用計画
総選挙が終わり、自らの政策案で日本国有鉄道を日本鉄道協会に組織変更し、日本放送協会・日本道路公団と並ぶ日本三大特殊法人を実現させ、ネットワークを守る方針に変える政策を国会全体で賛同し、昭和のゆとり穏健派ツネオ自ら属する公明党は自民党や日本共産党を除く他の各政党と連立を組み、日本社会党委員長を内閣総理大臣に導かせた。
そして内閣発足から2ヶ月が経とうとした頃、昭和のゆとり穏健派ツネオは新たに次女の珠子を授けた。
そして昭和のゆとり穏健派ツネオは政治改革と慈善活動にもっと積極的になり、鉄道省の復活を実現させ、非水洗トイレから本水洗和式トイレか簡易水洗和式トイレへの置き換えを順次進行させる慈善活動を本格始動する事を正式に決め、更にその翌年に入ってから次なる提案として廃車対象に選ばれる予定の車両を活用・延命化し、国の新しい将来性を考える為の取り組みを行う事としたのだった。
この当時、何としても車両の延命化・耐寒耐雪強化・酷寒地仕様化・勾配対応化などを経て独自路線を貫く北海道の為を思っていた。
その目的は異常に多く、特別急行としての戦略を後継車両に受け継ぐ為、その間の再登板に向けて札幌〜稚内間の急行列車への転用に向けたキハ80系気動車、青函快速列車向けの客車への改造・転用に向けた12系客車、胴体の更新を経て他系列車両の豪華な個室寝台車への改造に向けた20系客車、九州から撤退して津軽海峡線向けの試作改造車や貨物牽引機関車への改造に向けたED75形300番台電気機関車、昭和のゆとり穏健派ツネオは勿体無いを少しでも減らすべく新たな取り組みに出たのだった。
本気で日本と世界の為になる事を思っている昭和のゆとり穏健派ツネオだが、やるべき事が多過ぎて体力的にも知力的にも疲労感が増して来ていた。
それでも闘い続ける昭和のゆとり穏健派ツネオ、生きている限り決して体力と笑顔で乗り切る忍耐を大切にする意味を、忘れてはいない。
タイムリープした意味、ブラッシュアップした意味、没落を止める意味、必ず全部あると信じて休む暇も無いくらい闘う昭和のゆとり穏健派ツネオであった。
そして夏には三女の凛子を授け、その翌年から日本鉄道協会発足後に向けての新しいプロジェクトを立ち上げると決めたが、翌年に入り次の総選挙に備えて昭和のゆとり穏健派ツネオは新自由クラブが連立を離脱し自民党と合流する事になったと聞き、遅くても更にその翌年の年末に予定していた総選挙への不出馬を表明、1986年(昭和61年)度限りで公明党を離党、1987年(昭和62年)度より日本鉄道協会北海道総局への入局を決断した。
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