《第4話》ジェンダーレス時代の幕開け

1981年(昭和56年)9月3日、男女差別撤廃条約が発効された事を知り、日本国有鉄道北海道総局を離れ、世界の男女平等社会の事情視察に出る事を決めたのであった。

昭和のゆとり穏健派ツネオは自らの政界復帰に向ける為、男女平等(ジェンダーレス)社会が最も進んでいる欧州方面への渡航を決意し、11月30日に出国する事を決意し、遂にその出発の時を迎えた。

昭和のゆとり穏健派ツネオはリムジンバスに乗って国際空港に向かい、航空機に乗ってスウェーデンに向かったのだった。

その後、スウェーデン政府を通してどの様に男女平等社会を貫いているのかを聞き取って視察した結果、社会への参加だけでなく公共系施設類自体の全てがトイレを含めて年令や性別を問わず不特定多数が共有して使われていた事であった。

年が明けて1982年(昭和57年)1月4日、今度はデンマークに渡航し、同じく政府を通して男女平等社会の在り方について視察した。

そして、昭和のゆとり穏健派ツネオはデンマークやスウェーデンで手中した男女平等・ジェンダーレス事情を手土産に持ち帰り、およそ2ヶ月を経て1982年(昭和57年)1月31日に帰国、公明党に復帰し再び政界入りとなり、日本の男女平等社会の在り方についての見直し策として何が必要か、研究を始めたのだった。

昭和のゆとり穏健派ツネオは、日本もデンマークやスウェーデンに合わせた男女平等社会とジェンダーレス統一化を実現させるべく、一部は日本に合ったモノをそのままにするという条件付きで実行に至らせるべく作戦を立て、日本社会党・民社党・社会民主連合と連合を組み、大胆なプロジェクトを立ち上げた。

それは、国内に残る全ての非水洗式トイレを安全設計に応じた水洗式に完全移行と同時にオールジェンダー共通化に向け、一般型は和式、身障者・高齢者向け仕様のみ大型の洋式、何れも非水洗式の新規設置を全面停止し簡易水洗式あるいは本水洗式とオールジェンダー共通化への置き換えや計画変更を要し、再度の経済成長を兼ねて早ければ1983年(昭和58)年度末を目処に始動、最長9年での完了を目指す事である。

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