《第4話》ジェンダーレス時代の幕開け
1981年(昭和56年)9月3日、男女差別撤廃条約が発効された事を知り、石勝線の開業を待たずして北海道議会を離れ、世界の男女平等社会の事情視察に出る事を決めたのであった。
昭和のゆとり穏健派ツネオは男女平等(ジェンダーレス)社会が最も進んでいる欧州方面への渡航を決意表明し、1982年(昭和57年)1月4日に出国すると決め、会見を終えて妻の育江と共に海岸近くの住宅街に一軒家を1億円で手に入れる事を約束し、一足先に土地を手に入れ、遂にその出発の時を迎えた。
昭和のゆとり穏健派ツネオは北海道を後にし、バスに乗って千歳空港に向かい、航空機を乗り継いでスウェーデンに向かったのだった。
その後、スウェーデン政府を通してどの様に男女平等社会を貫いているのかを聞き取って視察した結果、社会への参加だけでなく公共系施設類自体の全てがトイレを含めて年令や性別を問わず不特定多数が共有して使われていた事であった。
あれから1ヶ月が経って1982年(昭和57年)2月4日、今度はデンマークに渡航し、同じく政府を通して男女平等社会の在り方について視察した。
そして、昭和のゆとり穏健派ツネオはデンマークやスウェーデンで手中した男女平等・ジェンダーレス事情を手土産に持ち帰り、渡航から2ヶ月間を経て3月4日に帰国し、日本の男女平等社会の在り方についての見直し策として何が必要か、研究を始めたのだった。
昭和のゆとり穏健派ツネオは帰国早々、日本もデンマークやスウェーデンに合わせた男女平等社会とジェンダーレス統一化を実現させるべく、一部は日本に合ったモノをそのままにするという条件付きで実行に至らせるべく、全ての国政政党で共に大胆なプロジェクトを立ち上げた。
それは、国内に残る全ての非水洗式トイレを安全設計に応じた水洗式に完全移行と同時にオールジェンダー共通化に向け、一般型は和式、身障者・高齢者向け仕様のみ大型の洋式、何れも非水洗式の新規設置を全面停止し簡易水洗式あるいは本水洗式とオールジェンダー共通化への置き換えや計画変更を要し、低予算でも置き換え可能にする為の助成や再度の経済成長を兼ねて、遅くても1983年(昭和58)年度末を目処に始動、最長10年での完了を目指す事である。
この事が公に報じられた1982年(昭和57年)3月5日の生中継の当日、各世帯などで先行しての置き換えや洪水などの水害時への備えも含め上階への増設を検討している方々には可能であれば簡易水洗和式の方が抑え目の予算や短めの工期でも進みやすいと証明し、普及拡大に向けて積極的に語ったのであった。
あれから半年が過ぎ、昭和のゆとり穏健派ツネオは結婚から19年で遂に長女の美和を授け、父親となった。
その直後に念願のマイホームが完成し、海岸近くの新居は一階部分が倉庫と玄関、そして二階に繋がる階段、二階には居間と浴室とキッチンと妻の寝室と昭和のゆとり穏健派ツネオの寝室があり、三階には数年後に子供部屋との併用を可能とした来客室があり、屋上のバルコニーも付いて家族の遊び場にも使える仕様になっている。
洗面化粧台は二階と三階に備えられ、トイレは二階と三階と屋上階に付いて全て水洗式の和風両用便器に統一、そして屋上階には手洗い台もある。
そして家族と共に土地代を含めて1億円内の予算で完成した屋上バルコニー付き一軒家に入り、瀬戸物や衣服類などの整理を行い、新住居での生活を始めた。
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