第22話 嵐の夜の略奪⑧

 昨日の誘拐事件のせいで、自分は少し情緒が安定していないのかもしれない。カイルも脇腹を怪我しているし、本当はもっと早く彼を休ませて、明後日の謁見に間に合うように体調を整えなければならないのに。

 それを失念していた自分にはっとして、セナは真剣な表情でカイルの顔を見上げた。


「カイル様、もう休んでください。昨日もあまり寝られませんでしたよね。少しでも早く傷を治して、明後日の謁見に出発できるようにしないと」


 セナの指摘にカイルは物思いから覚めたような顔をして「そうだね」と静かに言った。


「明後日には州城に着けるようにしないとね。そういえば、セナのランプの魔法は解けてしまったの? もしかして、もう州城についてもセナは魔神の世界には帰らない?」


 そう聞かれて、首を傾げた。

 確かに、ランプの魔法が解けてしまっているなら、セナはカイルの願いを叶えても魔神の世界には転移しないということになるだろう。

 カイルの枕元にあったランプをじっと見つめてみたが、相変わらずそのランプには中に引き寄せられるような魔力が残っていると感じられた。


「完全には解けていないのかもしれません。カイル様、試しにランプの中に呼び戻してみてください」


 セナに言われてカイルはランプを手に取り、「セナ、戻って」と小さな声で囁いた。

 その瞬間、ぐっと身体が引き寄せられるような感覚があり、気づいたらシュポンとランプの中に吸い込まれていた。


「あれ。まだ魔法はかかったままみたいだね」


 カイルの声が暗闇の中で聞こえて、「そうみたいです」と相槌を打った。


「あれ? セナの声がランプの中から聞こえるよ」


 驚いたカイルの声が響いてきて、暗闇の中で瞬きする。


「そうなんですか?」

「うん。はっきり聞こえる」


 少し興奮したようなカイルの声を聞いて、やはりランプの魔法はある程度解けていると判断した。セナをランプの中に閉じ込める強制力が弱まっている。それならばセナの意志で外に出ることも可能だろうと、ランプの中に空いた穴から飛び出る自分をイメージし、外に出ろと念じた。

 するとランプの中からするっと滑り出る感覚がして、次に目を開いたときにはセナはまたカイルの隣に座っていた。


「セナ、自分で出てこられるようになったの?」

「どうやらそうみたいです」


 セナも驚いて頷くと、カイルは感心したように目を丸くしてセナに笑いかけた。


「やっぱりセナはすごいな。ランプの魔法も、自分一人でなんとかしてしまうんだから」

「いいえ。昨日は僕、カイル様を助けようと必死だったんです。カイル様がいなかったらランプの魔法は壊せていません」


 首を横に振ってカイルの発言を訂正すると、彼は優しく目を細めて「ありがとう、セナ」と微笑んでくれた。


「でも、願いを叶えたら魔神の世界に戻されるのかどうかはわかりません。多分、魔法自体は作動すると思うので、帰ろうと思えば帰れると思うんですが」


 そう言いながら、じわりと込み上げてくる寂しさを押し込めた。カイルが明後日の謁見で精霊に選ばれたら、セナはもうお役御免になる。

 以前マルゴが言ったように、きっと精霊は女神みたいに美しくて心優しい存在なんだろう。同じように優しくて誠実なカイルはきっと選ばれるし、お似合いだ。寂しいけれど、州伯になればもうアサドに馬鹿にされることも、使用人達に蔑ろにされることもなくなる。美味しいものもいっぱい食べられて、綺麗で清潔な服を着られる。カイルの将来を思うなら、セナといつまでも一緒にいるよりその方がよっぽど幸せだろう。

 カイルはいつかセナが本で見たような、本当の王子様になるのだ。

 それを見届けたら、大人しく魔神の世界に帰ろう。彼の隣に美しい精霊が立っているのを、自分はきっといつまでも見守ることができない。


「カイル様はきっと精霊様に選ばれますから、そしたら僕は安心して魔神の世界に戻りますね」


 切なさを感じながらそう言うと、カイルは変な顔をした。嬉しそうではない。何か言いたげに口を開きかけて、セナの顔を見て彼はその口を閉じた。


『お主達、相変わらず迷走しておるの』


 出窓の下で欠伸をしたマルゴが寝台の上にいるセナとカイルを見て言った。


「迷走って?」

『儂に聞いても仕方がない。その問題は自分で考えるのだ。セナはようやく少しは魔力を使えるようになったが、やはり食い過ぎじゃの』


 妙な皮肉を言われて、セナは首を傾げながらマルゴの顔を見つめた。


「僕、魔力なんてあったんですか」

『以前言ったじゃろう。お主は魔力がないわけではない。身体が小さい分、溜め込んだ魔力を外に出す穴が小さいのじゃ』

「穴?」

『そうさな、普通のジンの身体にある穴が拳くらいだとすると、セナは針の穴じゃな。そこから魔力を放出する必要があるから上手くいかんのじゃろう。聞くところによると昨日は少しは魔法を使えたようだ。緊急事態により、普段よりも集中力と精神力が段違いに研ぎ澄まされていたと見える』


 マルゴの話を聞いて、セナは呆気に取られた。カイルが何かと聞いてくるので、今教わったことを説明すると、彼もセナと同様に驚いた。そしてすぐにセナよりも喜んでくれる。


「よかった。セナがいざというときに魔法を使えるなら、心配が一つ減るよ」

「でも僕、昨日からまた何もできなくなってるんです」


 あれから何度か自分よりも重いものを浮かそうとしてみたり、炎を出そうとしてみたりしたが、全くうまくいかなかった。以前の自分に完全に戻っているように感じられて、また何もできないジンに逆戻りしてしまったと落ち込んでいた。


「昨日の疲れでまだ身体の魔力が安定していないだけかもしれないよ。気長に挑戦してみよう」


 まるでこれからも一緒にいてくれるようなカイルの物言いに、また切なくなった。


「はい。魔神の世界に帰ってからも頑張ります」


 答えて小さく呟くと、それを聞いたカイルも黙って頷いた。


『やっぱり食い過ぎじゃろうなぁ』


 セナ達をじっと見上げているマルゴがまたため息を吐いた。


「それ、セナとマルゴへのご褒美だからお腹空いたら食べていいよ。俺は少し寝るね。セナ、部屋からは出ないで」


 マルゴの声が聞こえないカイルが、テーブルの上に山積みになっている果物を指差しながらそう言う。


「はい。カイル様の傍にいます」


 セナの返事を聞いてカイルは小さく微笑み、「部屋から出たいときは起こしてね」と言ってから寝台に身体を倒して寝そべった。

 邪魔にならないように立ち上がってテーブルの方に移動し、出窓の下からそそそと近づいてきたマルゴを抱え上げて机の上に乗せる。


『おお、いい香りだ』


 目の前に山と積まれる果物を前にして満足げな声を出すマルゴにつられてテーブルを見下ろし、美味しそうな蟠桃を見つけて目が釘付けになった。

 ご褒美なんだって。

 それなら、いつもよりいっぱい食べてもいいってこと……?

 美味しいものを食べたら、さっき感じた寂しい気持ちが紛れて緩まるかもしれないな。そう思って今しがた食べ過ぎだと指摘されたことは都合よく忘れ、セナは桃を一つ手に取るとそろそろと皮をむき始めた。

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