第4話 旅の若者とランプの魔神④

 道には店だけでなく人も多い。背の高いカイルの背中に隠れるようにして、きょろきょろしながら歩いていた。道を歩いている人は黒い髪や茶色の髪が多く、瞳の色も同じだ。セナは小さな少年のような見た目だからか、ちゃんと街の中に溶け込んでいてきっとジンであることはバレていない。

 逆にカイルのような金髪に緑の瞳は珍しくて、彼の方が人々の目を引いていた。

 街には若い男性の姿もたくさんあったが、カイルはその中でも抜きん出て整った、目立つ容姿をしている。翡翠色の瞳は穏やかな知性を感じるし、街を歩いている人に比べて顔には気品があるような気もする。人間界の本で読んだ、王子様という人が実際にいるなら、カイルはそのイメージにぴったりだと思う。


 それなのに、なんで一人で旅をしているんだろう。


 彼は一人で州城まで向かうつもりだったようだ。カイルは領の代表として謁見に向かうはずなのに、お供の人が誰もいないのはどうしてだろう。

 人間界のことはよくわからないが、精霊に謁見できるほどの身分があるなら、カイルはお金持ちのはずだと思う。でも彼は一人でいるし、着ているものも王子様らしくない。初めて会ったときは目覚めた驚きで気づかなかったけれど、彼が身につけているのは洗いざらしたようなシャツだし、持っている鞄も古そうだ。

 何か事情があるのかな、と思ったが聞いていいのかわからないし、聞いたことで不快に思われるのは怖い。

 道を歩きながら思い悩んでいたら、人混みの先から女の人の悲鳴が上がった。


「えっ」


 ぎょっとして思わず飛び上がりそうになったら、カイルに肩を掴まれて引き寄せられた。

 前方から人々の怒号と騒めきと、「捕まえて!」という叫び声が聞こえた。

 同時に驚く人々の間をすり抜けて男が一人、もの凄い勢いでセナ達の方に突っ込んでくる。


「泥棒よ!」


 その声を聞いて硬直してしまい、棒立ちになったセナの手にカイルが麻袋を押しつけてきた。


「持っていて」


 そう囁くと、カイルはたっと走り出して、恐ろしい形相で走ってくる男の前に躊躇うことなく滑り出た。カイルに気づいた男が肩を突き出し突進してくる。


「どけ!」


 怒鳴った男が体当たりしてきたが、カイルはその身体をするりとかわした。流れるような動きで男の服を掴んだ彼はつんのめった男の腕を捻り上げ、足を振り上げると前屈みになった男の胸に膝蹴りを決める。


「ぐっ、ごほっ」


 地面に膝をついて蹲った男の腕を捻り上げたまま、カイルは冷静に周りを見回した。


「どなたか領兵を呼んでください」


 彼がそう言うと、目が合った露店の店主が慌てて頷いて、道の向こうに走っていった。周りに居合わせた人々は我に返ったように歓声を上げ、口々にカイルを称賛する。セナはまだ呆然としていた。

 男が掴んでいた荷物を取り上げたカイルを呆気に取られて見つめていたら、人々の間から女性が一人走り出てくる。


「ありがとうございます。急にひったくられてどうしようかと」

「鞄はこれですか?」


 身なりのいい綺麗な女性だった。カイルから手渡された紐の細い小さな白い鞄を受け取り、ほっとした顔をした彼女は何度もお礼を言ってカイルを見上げる。そこで初めて彼の顔がしっかり目に入ったのか、女性は途端に頬を紅潮させて目を輝かせた。


「はいはい、どいたどいた!」

「ひったくりはここか?」


 そこに先ほど走って行った店主に連れられて、二人の大柄な男性が走ってくる。厳しい顔つきに砂色の立派な服を着た二人はカイルから男を引き取ると、早口で何かやり取りしていた。セナもカイルの傍に近寄ろうとしたが、集まってくる人々の流れに押されて、麻袋を抱きしめながらだんだん後ろに追いやられてしまう。おろおろと後退り、人の隙間から必死にカイルの姿を目で追った。

 カイルは二人の男性に苦笑いしながら何か話し、軽く手を上げて立ち去る素振りを見せた。周りを見回して、セナが傍にいないことに気づいたのかはっとその顔が強張る。

 居場所を知らせようと口を開きかけたら、先ほどの綺麗な女性がそれよりも早くカイルに近づいた。

 微笑みを浮かべた女性は、カイルの腕にそっと触れて、背伸びをすると彼の耳元で何か囁く。彼は驚いたように瞬きして、彼女の顔をまじまじと見下ろした。それからふ、と苦笑して、女性に短く言葉を返しているようだった。


「カイル様!」


 自分でも思わぬうちに声を上げていた。

 ぱっとこちらを振り向いたカイルが、セナを見つけて表情を緩める。まだ何か話しかけている女性に笑いかけ、彼は首を横に振ってから人をかき分けてセナの方に戻ってきた。


「セナ、ごめんね。はぐれるところだった」

「大丈夫ですか? 怪我していませんか?」


 ひょいと麻袋を受け取ったカイルは問題ないというように頷いて、セナの手を握ると人々の視線から離れるように混み合う通りを足早に進んだ。


 カイルと一緒に人混みから離れてしばらく歩くと、先ほどの驚きが次第に収まってきた。

 そうしたら、今度は気持ちが落ち込んでくる。


 何もできなかった。


 自分は魔神なのに、身体がすくんでしまって。主人を守るどころか、何一つ役に立てなかった。


「あの、ごめんなさい。僕何もできなくて……」

「ん? ああ、大丈夫だよ。びっくりした? 人が多いところでは時々ああして悪さする人間がいるんだ。あれくらいならなんてことはないから、セナが気にする必要はないよ」

「でも、僕はジンなのに、カイル様を守れませんでした」


 歩きながら俯いたら、カイルはセナを励ますように明るい声を出した。


「セナに身体を張って守ってもらおうなんて思ってないから。俺は自分の身は自分で守れるし、最初から魔神の力に頼ろうなんて思わないから大丈夫」

「……はい」


 元気づけようとしてくれているのはわかるのに、何故か余計に気分が塞がってしまった。

 自分が弱そうな見た目なのはわかっている。実際弱い。でもできることなら自分もカイルを助けたいと思っている。

 魔法も使えない、臆病なセナを当てにしないのは当然だろう。カイルはそんなつもりで言ったのではないだろうが、期待されていないのだとわかってショックだった。


「僕、本当にダメなジンですね……」

「セナ? どうしたの」


 カイルが不思議そうな顔をして立ち止まったとき、後ろから声がした。


「君達、待ってくれ」


 振り返ると、壮年の男性が小走りでセナ達を追いかけてくるところだった。灰色の短髪で目元と額に皺の寄った中肉中背の男性は、身綺麗な出立ちで近寄ってきて、カイルを見ながら口を開いた。


「すまない。先ほどの騒ぎを見ていてね。君は、どこから来たんだい」

「ヨラカンです」


 男性を注意深く観察しながらカイルが短く答えると、彼は驚いて眉を上げた。


「ヨラカン? あんなに遠いところから? 失礼だが、先ほどの身のこなしを見るともしかして君は冒険者かね」

「いえ。ただの旅人です」


 首を横に振ったカイルの言葉を聞き、その男性は見るからに落胆して肩を落とした。


「そうか……違うのか」


 男性があまりに沈んだ顔をするからカイルが怪訝な顔で首を傾げる。


「どうかしたんですか」

「ああ、突然すまないね。私はこの街を治めている領主に仕えている者だ。偶々通りかかって先程の騒ぎを目にしたから、もしかしてと思って声をかけたんだよ。最近は傭兵や冒険者はみんなラクサの方へ行ってしまって、この辺りにはほとんど足を伸ばしてくれない。少し困ったことがあってね」


 男性は弱りきった表情でそう告げた。

 人間の中には下級精霊と契約して冒険者になったり、傭兵として旅しながらモンスターと闘ったりする人もいると、昔ジンの仲間から聞いたことがある。


「どうかしたんですか。冒険者や傭兵でなければ解決できないような問題が?」


 カイルがそう聞くと、男性は眉間に皺を寄せて頷いた。


「街の外れにある鍛冶場の炉に住んでいるサラマンダーが悪さをしていて、周りの林や通りかかる馬車の荷を燃やしているんだ。幸い火はすぐに鎮火して大規模な火災にはならないが、近くに住む住人から怖いからなんとかしてくれと頼まれてね。道を通る商団からは回り道をさせられた苦情が来ているし、早急に解決したいがサラマンダーは私たちのような普通の人間にはとても駆除できない。それで冒険者を探している」

「サラマンダーですか? 炉に火を入れていないんですか?」


 話を聞いて、セナはつい口を出した。

 サラマンダーは火の下級精霊だが、暖炉や竈門などの燃える火の中にいれば悪さをするような精霊ではない。 

 セナの疑問に男性は顔を顰めた。


「その鍛冶場に住んでいた老人が、この前近くの林で盗賊に襲われたらしく、亡くなってしまったんだよ。炉の中にサラマンダーがいることを気にした周りの住人が、彼と同じように炉に火を入れようとしたんだが、気に入らないようで怒っているみたいなんだ」

「そうですか……」


 話を聞いて首を傾げた。

 炉に火を入れたなら、サラマンダーはいちいちやり方を怒るようなことはないはずだ。どうしたのだろうと思っていると、そんなセナの様子を見ているカイルに、男性はうかがうような顔をした。


「馬車を燃やされて怪我人も出ている。建物も焼けてしまって倒壊すると危ないし、最近は中に忍び込んで盗みを働こうとする者もいると聞く。ごろつきが住み着いてもいけないから、申し訳ないがサラマンダーには鍛冶場から立ち退いてもらって、建物を解体してしまいたいと思っている。サラマンダーをどうにかできないだろうか」


 困り果てている男性の顔を見たら、何かできないかと思った。幸い火の精霊なら炎の心臓を持つ火のジンは相性がいい。会えば話ができるかもしれない。


「カイル様、あの、もし時間があるなら少し様子を見に行ってみませんか」


 そう聞いてみると、カイルは少し驚いた顔をしたがすぐに頷いた。


「いいよ。セナが怖くないなら行ってみようか」


 カイルの返事を聞いた男性はほっと息を吐いた。


「本当かい。無事にサラマンダーを退治してくれればお礼はしよう。どうかよろしく頼むよ」

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