第3話 旅の若者とランプの魔神③

 ◆◆◆


 ランプを鞄にしまった彼に連れられて、浜辺から移動した。カイルは革の鞄と麻袋以外に持っているものはなく、旅だと言っていたが荷物は少ないように見える。人間の旅にどのくらい荷物がいるかなんてわからないが、多分少ない方だろう。

 仲間達から人間界の話は今までたくさん聞いたし、彼らが持ち帰った人間界の本は山ほどあったから、セナは魔神の世界でそれをいっぱい読んだ。一通りの知識は持っているつもりだが、これから人がたくさんいる街へ向かうと思うと緊張する。


「カイル様は、お一人なんですか」


 見たかぎり彼に連れはいなかったが一応聞いてみると、カイルは大きな岩石が集まり段になっている海岸を軽快によじ登りながら頷いた。セナのランプが流れついたのは、この急な岩壁の下の海岸にひっそりと広がる小さな浜辺だったらしい。カイルの傍を飛んで岸を越え、岩の上から顔を出すと、そう遠くない場所に岩で造られた茶色い壁が見えた。壁の向こうに建物がたくさん見えるから、あれが街だろうか。


「一人だよ。だからセナを拾えて、話し相手ができてよかった」


 軽々と岩を乗り越えながらカイルが笑みを浮かべてこちらを見る。それを聞いて嬉しくなり、彼の隣をふわりと飛びながら続けて聞いた。


「ラクサというところは遠いんでしょうか」

「ここからだと、砂漠を越えなくちゃいけないから、馬だと一週間、歩いたら二十日以上はかかるかな」


 岸を越えたらなだらかな陸地が続く。茶色の壁に向かって歩きながらカイルは質問に答えてくれた。


「精霊様にお会いするというのは、どういうことなんですか? カイル様は何かお願いをするんですか?」

「そうか。セナは知らないよな。最近ラクサには新しい上級精霊が産まれたんだよ。その精霊に選ばれた人間は、次の州伯になれる」

「州伯?」


 精霊というのはわかる。魔神の世界にも存在していて、普段交流することはほとんどないが、火の精霊なら時々仲間達が出す炎に寄ってくる。ジンが魔法で生み出す炎は上質で、力を蓄えるには都合がいいらしい。

 人間界で産まれた上位精霊は、自分が選んだ人間と契約して産まれた土地を守護する役目があると本で読んだことがある。多分、カイルが言っている精霊に選ばれるというのは、その産まれたばかりの上位精霊と契約を結ぶということだろう。

 ただ州伯というのはよくわからず首を捻ると、カイルは少し考えてからセナにもわかるように説明してくれた。


「簡単に言うと、州を統べる王様かな? 俺達がいるのはイサド州というところで、州の中にはたくさんの領が寄り集まっている。その全ての領を治めているのが州伯だよ。次の州伯には、新しい精霊が選んだ人間がなれるんだ。だから来月の謁見の日に間に合うように、今各地の領からは代表で選ばれた者が皆ラクサの州城に向かっている」

「カイル様も精霊様に会いに行くということですか?」

「そう。精霊に会って、州伯足るべき人間かどうか選定してもらいに行くんだ。俺のいた領からは俺ともう一人が代表で行くことが決まってたんだけどね……」


 そこまで言ってカイルは言葉を切った。

 なんとか状況を飲み込もうと頭の中で情報を整理していたら、セナの真剣な表情を見てカイルが目元を緩める。


「馬を買うようなお金もないし、一人でたどり着くなんて無理かなと思っていたから、これからどうしようかと思っていたんだ。それで諦め半分で海でも見ようかと浜辺に行ったらセナに出会えたんだから、巡り合わせっていうのはわからないもんだな」


 しみじみとした口調になったカイルを不思議な気持ちで見ていたが、そのうち深く決意して力強く頷いた。


「わかりました。僕はカイル様を必ず州城まで送り届けます」


 ランプを拾ってくれた彼の役に立ちたい。真剣な顔で宣言すると、カイルは口を綻ばせた。


「頼もしいな。セナのおかげで楽しい旅になりそうだ」


 朗らかに笑ってくれるカイルを見ながら、心の中で納得した。

 カイルはジンのセナにも優しく接してくれる。会ったばかりだけど偉ぶらないし、穏やかで誠実な人なんだと思う。きっと州伯になったら立派に土地を治められるだろう。彼はセナに服をくれて、魔神のくせに魔法も使えない落ちこぼれにも優しくしてくれた。カイルの願いを叶えてあげたい。彼が無事に精霊に会えるように、精一杯頑張ってみよう。そして魔神の世界に戻って、仲間達をあっと言わせてやる。

 隣を歩くカイルの横顔を眺めながら今後の目標をそう定めて、心臓を熱く燃え上がらせた。




 カイルに連れられて街にやってきた。セナは服を着たものの、靴はなく裸足だったのでまず靴を買ってもらうことになった。


「州城に向かうための用意もしたいし、できれば砂漠を越えるために馬か駱駝がほしいな」


 そう言ってカイルは一度セナをランプの中に戻した。

 カイルの鞄の中で外の音を聞いていると、たくさんの人で賑わう市場の様子が伝わってくる。いろんな人の声や、足音、何かが焼けるようなパチパチした音が聞こえてドキドキした。

 カイルが何か買っているのか、話し声がした。それから少し経つと「セナ、出ておいで」と呼び出される。

 周りを見回すと人気のない路地裏だった。目の前にカイルが立っている。


「大きさは大丈夫だと思うんだけど」


 カイルが真新しい革のサンダルを地面に置いてくれた。緊張しながらそろそろと足を入れてみる。靴を履くなんて初めてだから、勝手がわからなくて戸惑った。どうやって足に固定すればいいのか手間取っていたら、カイルがしゃがんでサンダルの紐を止めてくれる。大きな手が器用に動き、長さを調節してから爪先とかかとを触られた。納得したように頷いて、彼が立ち上がる。


「ぴったりだね、よかった」

「ありがとうございます」


 普段はふわふわ浮いているから足の先なんて気にしたこともなかったが、カイルに買ってもらったサンダルを履くと、自分も人間になったような気持ちになって少し楽しい。足元に程よい重さができて歩きやすくなった。

 カイルの隣を浮いて移動するのは目立ちすぎるので、ちゃんと地面に足をつけて歩かなくてはならない。でも気を抜くとつい浮き上がってしまい、不自然にならないように足を動かすのに最初は手間取った。


「セナ、迷子にならないように手を繋いでる?」


 セナが路地をふらふらしながら歩いていたら、カイルが手を伸ばしてきてセナの手を掴んだ。


「あ、ごめんなさい。僕遅くて」


 飛べるならカイルのスピードに合わせて動けるが、歩いていくとなると少し難しい。

 カイルに気を遣わせてしまったのが申し訳なくて謝ると、彼はきょとんとした顔でセナを見てから笑った。


「俺が心配なんだよ。セナはジンだから飛べるし、迷子になってもランプに呼び戻せばいいけど、心配だから繋いでて」


 そう言われてほっとして、同時に心の中がほわっとした。

 繋いだカイルの手は柔らかくて暖かい。歩くのがおぼつかないセナを心配してくれるなんて、本当に優しくて懐の広い人だと思う。


「カイル様はとても優しくていい方ですね」

「……そう見えるんだとしたら、それはセナがまだ人間のことをよく知らなくて純粋だからだと思うな」


 その言葉を聞いてそうなのかなとも思ったが、でもやっぱりセナを拾ってくれた彼は誠実で優しい人だと思った。

 歩くのが遅くて遅れがちになっても、苛立ったり呆れたりしない。それどころか手を繋いで歩いてくれるなんて、とても優しいと思う。

 そう言うと、カイルは真顔で「セナは本当に心配になるなぁ」と呟いてから苦笑して、街の大通りまで連れて行ってくれた。


 ランプから外に出て、実際に目で見た街の賑わいと人の多さに圧倒された。きょろきょろと周りを見回すと、広い通りには出店が所狭しに並んでいて、様々なものが売られている。色とりどりの布や服、靴や鞄などを売っている露店もあれば、香ばしい匂いのする肉や魚、図鑑でしか見たことがない新鮮そうな野菜や果物がいっぱい並んだ店もある。甘い香りがするのはこの果物の匂いだろうか、とセナは目を丸くして屋台の果物籠を眺めた。


「食べたい? セナお腹すいてる?」


 セナが露店で売っている果物らしき赤い実と、一抱えはありそうな黄色の丸い実をじっと見ていると、気づいたカイルが声をかけてくれた。

 はっとして急いで首を横に振る。


「いいです。ジンはお腹も空かないし、食べなくても大丈夫なので」


 火のジンの力の源は太陽の光だ。正確に言うと魔神の世界の天上に浮いているヴィアータという命の光が、ジンの体内にある炎の心臓に生命を吹き込んでいる。ジンの身体は人間とほとんど同じ見た目だが、中身は違う。火のジンの心臓は炎だ。炎の心臓からは血液のように身体中に微細なエネルギーが循環しているが、人間と同じ血ではなく、厳密にいうと命の伊吹のようなものである。

 人間界での力の源は太陽と炎だから、ジンは食事をする必要はないし、お腹も空かない。それに何故かわからないが、人間界の食べ物はあまり食べてはいけないと言われている。

 食べる必要がないと言うと、カイルは目を丸くした。


「食べなくてもいいんだ。飲み物も?」

「はい。呼吸もするので身体は人間とほとんど同じですけど、人間界のものは食べたり飲んだりしなくて平気です。食べても害はないですが、どういうわけか消化せずに消えるだけらしいので」

「そっか。すごいな。本当に天使か妖精みたいだ。でもセナはせっかく初めて人間界に来たんだから、少し味見してみる?」


 セナが果物をじっと見ていたことに気づいていたのか、カイルはそう言ってくれたが断った。


「先にカイル様の用事を済ませてください。僕は見ているだけで本当に楽しいんです」


 カイルを見上げ、彼の手をぎゅっと握った。

 初めて目にするものがたくさんありすぎて、さっきからずっとドキドキしている。たとえ果物を買ってみたとしても、緊張してとても食べられない気がした。

 そんなセナの気持ちを察してくれたのか、カイルはセナの手を引いて先に進む。小振の調理道具や服を買う彼の様子を隣で興味深げに見守った。

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