第2話 旅の若者とランプの魔神②

 自分で説明しながら、なんだか情けなくなってしまった。

 せっかく人間界に来てこんなに優しそうな人に拾ってもらったのに、自分が出来損ないだからがっかりさせてしまう。


「セナは……魔法を使えるの?」


 カイルがセナの顔を興味深げに見つめてくる。眉尻を下げて、首を小さく横に振った。


「駄目なんです。僕の中の魔力は弱くて、魔法は使えません。できるのは飛ぶことと、少しだけ目の前にあるものを浮かせることくらいで」

「飛べるの?」


 驚いたカイルに頷いて、目の前でふわりと浮き上がってみせた。もともとジンは体重が軽い。どんな大男でも雲みたいに浮いて空中を飛び回れる。

 カイルの肩くらいの高さまで浮くと、彼は目を丸くして手を伸ばしてきた。もう少し上に飛ぼうとしていたが、彼に手首を掴まれて止まる。


「あ、ごめんね。あまりにふわふわしてるから遠くに飛んでっちゃいそうで。セナはすごいな」

「すごい?」


 眩しそうに目を細めるカイルを見下ろして戸惑う。


(すごい? 僕が?)


 そんなことを言われたのは生まれて初めてで面食らう。

 カイルは驚いているセナの腕を離した。そのままふわふわ浮いていたら、彼は感心したように言葉を続ける。


「すごいよ。本当に飛べるなんて。羨ましいな。俺も鳥みたいに空を飛べたら気持ちいいだろうな。十分すごいじゃないか。セナはまだ子供なのに」


 ぽかんとしてそのセリフを聞いていたが、最後にカイルが言った単語に反応した。慌てて首を横に振る。


「僕、子供じゃありません。これでもジンとしてはもう大人なんです。見えないですけど」

「子供じゃない? 十代にしか見えないのに。何歳?」

「何歳……? えっと、多分百は超えてると思うんですけど……」


 歳なんて数えたことはないし、仲間内でもそんなことは話題にならない。ジンは歳を取らないから気にしたこともなかったが、多分百年と少しくらいだと思う。ランプの中で眠っていたのが何年なのかもわからないし、正確なところは不明だが。

 そう答えると、カイルはいよいよ驚いていた。


「俺より歳上? 俺は今二十五だけど、それよりもセナの方が四倍以上も歳上なのか。あまりに可愛いからまだ生まれたばっかりなのかと思ったよ」

「可愛くないです、僕。カイル様よりおじいちゃんなので」


 確か人間は歳と共に外見が変わるんだったな、と思い出しながら言うと、彼は声を上げて笑った。


「そうか、ジンは歳を取らないんだっけ。じゃあセナはずっと見た目はそのままで変わらないってこと?」

「そうです。多分、もう大きくなれないです……」


 また落ち込んで肩を落としたら、カイルが明るい声で励ましてきた。


「セナはそのままで十分立派だよ。身体は小さくても自由に飛び回れるんだからいいじゃない」


 セナが浮かんでいるからカイルはセナと同じ目線で笑う。拾ったランプから出てきたのは魔法が使えないジンだとわかっても、がっかりしている様子はない。それを見たらほっとして唇が緩んだ。


「笑顔も可愛い。本当に俺はついてるな。こんなに可愛いジンがこれから一緒にいてくれるなんて」


 柔らかく笑うカイルを見つめる。

 こんな幸運があっていいんだろうか。

 魔神の世界にいたときは、仲間達が人間界に行って人を助けたり、悪戯して遊んできたと話をするのを聞くたびに、憧れを抱きつつも自分には到底無理だと諦めていた。チビなセナは人間界に下りてもすぐに捨てられてしまうだろうと散々揶揄われていたのに、ランプを拾ってくれたカイルはセナに優しい。しかも出来損ないの自分を一緒に連れていってくれようとしている。彼と一緒なら、人間界で過ごすのも楽しいかもしれない。

 ようやく心から安心して小さく微笑んだら、じっと見つめてくるカイルが首を傾げた。


「ところで見たところ、セナは男の子だよね?」


 そう言われて自分の身体を見下ろした。

 ジンといっても見た目や身体の作りは人間と同じだ。今はゆったりした丈の長い白いズボン以外に身につけているものはない。剥き出しの上半身はまっ平だ。


「はい。男です」


 そう答えながら、もしかしたら女だと思われていたのかもしれないと思った。

 女の子の方がよかったんだろうか。やっぱり捨てられてしまうのかなと不安を覚えたら、彼は納得したように頷いてセナに笑いかけた。


「俺の周りにこんなに小さくて可愛い男の子は今までいなかったから、最初にセナを見たとき一瞬女の子かと思ったんだ」

「女の子の方がよかったですか?」

「セナならどっちでも可愛いだろうけど、男ならその方が心配が少なくていいな。でもそのままの姿だと、人に見られるのはちょっとまずいね」


 そう言ってカイルは浜に置いていた麻袋の中から真新しい白い服を引っ張り出した。

 彼の言葉に安心したセナは、渡された服を受け取って首を傾げる。


「着てみて。俺のだから少し大きいけど」


 人間は普通上下に服を着ているから、確かにこのままカイルについて行ったら目立ってしまう。着てしまっていいんだろうか。と思い服とカイルを見比べていると、彼はセナが着るのを待っているので、恐る恐る袖を通した。

 襟のないボタンがついた白いシャツは、カイルにとっては肘あたりの五分袖が、自分が着ると長袖になる。丈も長くなって膝上まですっぽり隠れた。少しぶかっとしているから、風に煽られると裾が捲り上がるが、中に風が通って着心地はよかった。自分の服を着たセナの姿を見て、カイルは満足げに頷いた。


「よく似合うよ。セナは綺麗な黒髪だから白が映えていいね」


 自分にとっては見慣れた黒髪よりもカイルの金髪の方がきらきらと輝いてよほど綺麗に見えるが、褒められるのは嬉しい。


「カイル様の服を着てしまっていいんですか?」

「いいよ。俺はまた街で買えばいいから。セナにも身体に合ったものを買い直そう」

「いいえ。これがいいです。他はいりません」


 初めて人に服をもらったのが嬉しい。それがカイルような優しい人からもらったものだと思うともっと嬉しい。ふわふわした気持ちのままくるりと回ってそう言うと、彼は目を細めて微笑んで、少し嗜めるような声を出した。


「セナ、俺以外の人間について行ったら駄目だよ」


 念を押すように言われて、首を傾げながら首肯した。


「はい。カイル様以外の人にはついて行きません。でもカイル様がランプを持っていてくだされば大丈夫ですよ」


 セナの言葉を聞いたカイルは、先ほどランプをしまった鞄を見た。肩にかけた茶色の皮の鞄は年季が入っていて、擦り傷がたくさん付いていたが丈夫そうだ。


「セナはランプに宿っているの? これをなくしたら駄目なんだね」

「はい……多分」


 聞かれたこっちがあやふやな返事をしたので、カイルは不思議そうな顔で見てくる。

 困ったな。なんて説明しよう……

 人間界で姿を現すのは初めてだし、自分が人間界に来ることになるなんて思いもしなかったので、仲間達が普段どのようにして人間と接しているのかまるでわかっていなかった。やってはいけないことは何となく知っているが、どこまでジンの世界のことを教えていいのかもわからない。 


「あの、実は僕、人間の住むところに出てくるのが初めてで……」

「そうなんだ。じゃあ俺は初めてセナを拾った人間ってこと?」


 驚いたカイルに頷き、ふわふわ浮きながら自分の身体を改めて確認してみた。


「なんとなく、そのオイルランプに引き寄せられるような感覚があります。押し込められた時の魔法が消えてないみたいなので、僕は今のところそのランプから離れられないようです」

「押し込められた?」

「……実は、仲間達に悪戯されて、そのランプに押し込まれて人間界に落とされちゃったんです。普通のジンならそのランプにかけられた魔法を破って出てこられるはずなんですけど、僕はできないので、ずっと中で眠っていました」


 仲間達もまさか人間界に落としたセナのランプが海に落ちて、長い間誰にも拾われなかったなんて思ってもいなかっただろう。

 普通、魔神ならその気になればランプや壺にかけた魔法を壊して好きに出てこられる。しかしセナの入ったランプは不運にも海に落ちてしまい、しかも自分では魔法を破ることができなかった。

 ジンのくせに悪戯されても手も足も出なかったなんてきまりが悪くて、下を向いてそう言ったら頭の上に暖かなものが触れた。見上げると、カイルが手を伸ばしてきて頭を撫でてくる。


「うーん、こうやってセナに出会えたんだから、俺はその魔神達に感謝しなきゃいけないのかもな」


 そう言ってカイルは少しだけ潜めていた眉を緩めて笑った。

 セナとしても魔神の世界に帰ったら仲間達に文句は言いたいが、結果として憧れていた人間界に来ることができた。しかもランプを拾ってくれた人は優しいし、幸先もいい。むしろラッキーなのかもしれない。


「拾ってくださったのがカイル様だったので、実は今、ちょっとだけ良かったかなって思ってます」


 くすっと笑うと、カイルはもう一度頭を撫でてくれた。頭を撫でられたことなんて数えるほどしかないから驚いたが、彼によしよししてもらうとなんだか胸の中がほわっとする。


「セナはランプを擦ったら出てきたけど、もう一度擦ったら中に戻るのかな」

「さぁ……やってみましょうか」


 首を傾げながらカイルの疑問に答えると、彼は鞄の中からもう一度オイルランプを取り出してそっと擦った。

 何も起こらない。


「引っ張られるかんじはありません。それよりも言葉で言ってもらった方がいいような気がします」

「言葉? 戻れ、とか?」


 そう言われた途端、身体がランプの方に引き寄せられる感覚があった。

 シュポン、と音がして、気がついたらランプの中に戻っていた。今度はランプの中でも意識がある。暗い壁の中に閉じこもっているような感覚で、真っ暗な中で外の音だけが聞こえた。

 セナが消えて驚いたのか、カイルが慌てる気配がする。


「セナ、出てきて!」


 そう言われた瞬間、再び彼の目の前に戻っていた。ぱちりと瞬きすると、こっちを見たカイルはほっと息を吐いて、慌てた自分がおかしかったのか照れたように苦笑いした。


「よかった。セナが消えちゃったかと思ってびっくりしたよ。ランプを持ってるときは気をつけないといけないな」

「……あの、ところで、カイル様の願いはなんですか?」


 思い出したが、肝心なことをカイルに尋ねていなかった。

 人間がジンを呼び出す目的は、何か叶えてほしい願いがあるからに決まっている。カイルはセナを見てジンなのかと聞いてきたから、何か望みがあるんだろう。

 問いかけたら、カイルは少し考えるような顔をした。


「願いを叶えたら、セナは消えてしまうの?」

「はい……多分。人間の願いを叶えたらジンの世界に戻るように、ランプに魔法がかかっているはずです」


 ランプに繋ぎ止められている感覚は確かにあるし、ジンが人間界に下りてくるときにかける魔法はそれが主流だ。仲間達も、セナが人間の世界で右往左往して、へとへとになって帰ってきたら揶揄ってやろうと思って悪戯したに違いない。

 頷くと、カイルはまた少し考えてからセナを見つめて口を開いた。


「俺が今叶えたい願いは、今から一ヶ月後にラクサの州城で開かれる儀式に参加して、そこにいる精霊に謁見することだよ」

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