第55話

 屋敷の中から人の気配が消えた後、瑠璃はテラスに戻ってきた。

 瑠璃は雅弥に笑いかけて言う。

「ありがとう。兄さんは全部叶えてくれた。……最後に私を殺すところまで」

 炎の中で、雅弥と瑠璃はまるで食事中のように向かいの席につく。

 雅弥は答えがわかっているとばかりに、苦笑して問いかけた。

「兄さんは瑠璃の満足のいく舞台を上演できたかな?」

 瑠璃は頬杖をついて、首を横に振る。

「兄さんの言った通りだ。最初から上手くいくはずがない舞台だったんだ」

 瑠璃は戻らない過去をみつめるように虚空を眺めて言う。

「月岡は私を気にも留めなかったよ。麻薬で地に伏しても、その後にここで甲斐甲斐しく看病しても、月岡が私に言ったのは、「珈涼さんに手を出すな」だけだった」

 瑠璃は苦笑して目を伏せる。

「私も……初恋の珈涼さんだけには、最後までいい顔をしてしまった。ほんとうに、私こそ道化だ」

「瑠璃は自分のことだけわからないんだなぁ。瑠璃はこの世で一番綺麗な子だよ」

 雅弥は手を伸ばして、瑠璃の前髪をかきあげてささやく。

「野心家で、清らかで、儚くて、強くて。……だからあの男が瑠璃にしたことを、許せなかったんだ」

 瑠璃は感情を消した目でそれを聞いていた。雅弥は初めて笑顔ばかりだった顔に憎悪を浮かべた。

「私たちの父と言われていた男。でもけだものと呼ぶのが正しい」

 雅弥は底をつくような声でうなるように言う。

「……瑠璃を踏みにじった。あんな男は、俺が地獄でも苦しませてやるよ」

 瑠璃は目を伏せて、どこか安心したようにつぶやいた。

「知ってたんだ。ずっと隠してたつもりだったのに」

「そりゃあね。……おいで」

 雅弥は瑠璃に向かって腕を差し伸べる。その腕の中に収まって、瑠璃は幸せそうに言った。

「あの男が命より大切にしていた組も、兄さんが滅ぼしてくれたんだ。ありがとう、兄さんは私に何でもしてくれるんだなぁ……」

「うん。私は瑠璃より大切なものはこの世にないからね」

 雅弥は瑠璃の背をさすって、優しく瑠璃を見下ろした。

「私は成りすましの偽物だけど」

「そんなことはもうどうでもいいよ」

 瑠璃は首を横に振って返す。

「兄さんは、私と血がつながった父や兄なんかより、ずっとずっと私を愛してくれた。兄さんと終われるなら、もう」

「実はもう一つ、お前にプレゼントがある」

 ふいに雅弥は腕を緩めて瑠璃を見た。瑠璃は首を傾げて雅弥を見上げる。

 雅弥はひざまずいて瑠璃の手を取ると、足でテラスの床を踏み抜いた。そこに、地下に通じる道が続いていた。

 驚く瑠璃に、雅弥はにやっと悪戯っぽく笑いかける。

「お前が私の子を宿してくれたことへのプレゼント。受け取ってみないか?」

 雅弥はからかうようで、目は真剣に瑠璃を見上げていた。

「もう表の世界には戻れないけど、地の底でだって家族は作れる。私を信じて、一緒においで」

 瑠璃はその愛の言葉を聞いて、少しの間震えていた。

 やがて瑠璃は屈みこんで雅弥の首筋に顔を埋めると、深い安堵のため息をつく。

「……うん、いいよ。連れてって、雅弥」

 そうして、表の世界から一組の兄妹が姿を消した。

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