第54話

 厨房から上がった火は、まもなく屋敷中に広がった。

 ここでも優秀な月岡の部下たちは安全に珈涼たちを誘導してくれて、珈涼はまもなく月岡を支えながら屋敷の外に出た。

 混乱の最中、虎林組の組員も龍守組の組員も混じっていたが、月岡は部下たちに、虎林組の組員も逃がすように指示していた。

 けれど珈涼は脱出する組員たちの中に、雅弥と瑠璃の姿がないことに気づいた。テラスを出るときも、二人は椅子に座ったままだったのを思い出す。

 瑠璃さんはお腹に赤ちゃんもいるのに。珈涼はふいに心を衝かれて、月岡の腕を振りほどいていた。

「月岡さんをお願いします」

「……珈涼さん!」

 背後に月岡の制止の声を聞きながら、珈涼は屋敷の中に走った。

 歴史のある建物が火の粉にまみれて燃えていた。珈涼は庭から上がって、脱出経路を確保しながら瑠璃を探す。

 瑠璃は四年前、珈涼を誘拐した座敷で座って目を閉じていた。珈涼はそんな瑠璃に駆け寄って叫ぶ。

「瑠璃さん! 逃げましょう!」

 瑠璃は目を開いて、信じられないものにするように珈涼を見上げた。

 けれど彼女はすぐに哀しい微笑みを浮かべて立ち上がる。

「いいんです。僕はもうこの世界から帰れない。……お気持ちだけいただいて、行きます」

 そのとき、瑠璃の上の柱が折れて落ちようとしていた。珈涼は瑠璃を引き寄せようと手を伸ばす。

「こっちに……あっ!」

 瑠璃は柱に気づいていながら、瑠璃の方から強く珈涼を押しやる。

 珈涼は縁側に押し出されて、瑠璃と珈涼の間は火の柱で閉ざされた。

 なお手を伸ばしかけた珈涼を、強く引き寄せた腕があった。

「珈涼さん! いけません!」

 追いついて来た月岡は、珈涼に自らを盾にして告げる。

「あなたが戻らなければ後を追いますよ。それでもいいなら、もう一度私を振り払ってください」

 月岡にそう言われて、珈涼はようやく彼の腕の中に戻った。

 二人で縁側から屋敷の外に出て、部下たちに取り囲まれる。

 炎に巻かれる虎林の屋敷は、吠える声も失った老虎のように、朽ち果てていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る