第45話

 車の中で、不破は月岡の病状を話してくれた。

 月岡が盛られたのは虎林組が一手に握っている麻薬で、治療方法はあるが、回復には時間がかかるということ。

 繰り返し服用すると致命的に心身を蝕むので、病院から出すことができないこと。

 不破は苦い口調で珈涼に言う。

「今は命に別状はないが、ずっと夢の中にいるような状態だ。会わせることはできるが、珈涼さんにはきついかもしれねぇぞ」

 麻薬、それは珈涼には別世界のように実感がない。

 生まれたときから極道の世界にいる月岡は知っているのだろうが、彼は珈涼の前ではそんな言葉すら使ったことがなかった。それを飲んだらどうなるのか、珈涼だって考えたくもなかった。

 けれど珈涼は一週間月岡と離れ離れで、どうしているか心配でたまらなかった。彼が苦しんでいるのなら、せめて側で看病してあげたかった。

 珈涼は息を吸って不破に答える。

「行きます。月岡さんに会わせてください」

 不破はうなずいたが、その横顔は暗く沈みきっていた。

 不破の言葉が正しかったと知ったのは、彼が繁華街の裏通りにある小さな病院に入ったときから感じていた。

 そこは設備は奇妙に新しいが、外界から閉ざされた牢獄のような堅い作りをしていて、一つ一つの病室に重々しい鍵がついていた。

 不破はその最奥の部屋で、部屋の前で構えていた月岡の部下に言う。

「面会を頼みたい。白鳥組の若頭補佐が責任を持ってお嬢さんを警護する」

 月岡の部下は珈涼の顔をみとめて少しためらったようだったが、やがて一人が看護師を呼びに行った。

 看護師によって開錠されたそこは、珈涼が思うような惨状ではなかった。

 掃除の行き届いた、壁も天井も真っ白の一室で、月岡は点滴につながれてベッドに横たわっていた。

「月岡さん……!」

 珈涼はすぐに月岡に駆け寄ったが、彼は無反応だった。目は開いていて呼吸もしているが、そこには生気がない。

 一週間しか経っていないのに、ずいぶん痩せている。まるで人形のようにベッドに沈んでいて、月光のように凛々しい彼を覆い隠していた。

 珈涼は月岡の傍らで立ちすくんで、触れていいのかさえためらった。そんな月岡に不破が歩み寄って言う。

「月岡、珈涼さんが来てくれたぞ」

 不破は青ざめた頬に、無理やり笑みを浮かべて問いかける。

「お前が人目にさらすのさえ嫌がった婚約者が、男に連れられてきたんだ。……なぁ、何とか言えよ」

 悲痛な不破の声にも、月岡は答えない。

 不破は自分の頭をくしゃくしゃとかきまぜて、どうしようもない焦燥感を露わにしていた。

 珈涼はベッドの横に座り込んで、月岡の手に頬を寄せる。けれどその体温は病人そのもので、珈涼に何の意思も伝えてこない。

 どれくらいそうしていたか、珈涼には実感がなかった。やがて不破が珈涼に言った。

「治療を続けていけばよくなる。焦っても仕方ない。珈涼さん」

 出ようと不破に言われて、珈涼は震えながら月岡の手を離そうとする。

「あ……」

 けれど長く座り込んでいて、体が強張っていた。珈涼はバランスを崩して、月岡の上に倒れ込む。

 珈涼は慌てて起き上がったが、どうしてか視界が反転した。

 不破が切羽詰まった声で叫ぶ。

「珈涼さん!」

 一瞬目が回った後、珈涼は床に倒れていて、誰かに組み敷かれていた。

 誰か……は不破を除けば、一人しかいない。

 珈涼は肌に食い込む、その動物的な力に悲鳴を上げる。

「……月岡さん、痛、い……!」

 月岡が労わりなどまるでない目で珈涼を見下ろして、彼女の上にのしかかっていた。

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