番外編 朝の彼、夜の彼女、いつもの二人

第33話

 月岡と珈涼が同じ家で暮らし始めて、少し経った頃。

 朝、珈涼は今まで何となく感じていたことを確かなものだと思った。

「つき……」

 おかさん、と続けようとして、珈涼は口をつぐむ。

「ん……」

 珈涼が息をひそめれば、月岡は気持ちよさそうに生返事をした。

「まだ寝る……」

 月岡は掠れた声で、甘えるように一言つぶやいた。

 やっぱり。珈涼は大発見をしたようにうれしくなった。

 ……たぶん月岡さんは少し、朝が弱い。そう思って珈涼はこくんと喉を鳴らす。

 珈涼の体を抱いたまますやすやと眠る月岡を、珈涼は起こさないように間近でみつめる。

 珈涼は病弱だが、朝は強い方だと思う。でも完璧に見える月岡でも、朝起きるのだけは苦手みたいだった。

 月岡は、出会った頃から珈涼のことを包み込むように守ってくれた。これからも月岡の助けがないと不安なことばかりだけど、いつも月岡のお荷物にはなりたくない。

「私も、月岡さんを守りますね」

 今は私があなたを包んで守っているから、安心して眠ってね。

 珈涼は彼の体温を感じながら、小さな誓いを心に刻んだ。

 月岡と珈涼が互いの生活を重ねることに、少し慣れてきた頃。

「珈涼さん?」

 夜、月岡が風呂から上がって寝室に入ったとき、珈涼はぱっと何かを隠した。

 月岡が横から珈涼の手元をのぞきこむと、彼女はどうしてか下着を何枚も抱きかかえていた。

 月岡は首を傾げて珈涼にたずねる。

「今から着替えるんですか?」

「えと……」

 珈涼は口ごもって、おずおずと答える。

「たまには、私から……さそって、みたくて」

 言っているうちに赤くなる珈涼に、月岡は一瞬だけ考えた。

 いつも大人しい珈涼だが、夜の彼女は少しだけ大胆になる。

 月岡はふと口元に意地の悪い笑みを浮かべて言う。

「じゃあ今日は私がいいって言うまで、電気つけたままにしますね」

「え、あ、電気は、消してください」

「誘ってくれるんでしょう?」

 慌てた珈涼に、月岡は喉を鳴らしてからかう。

「まず着替えるところからですよ、珈涼さん?」

 月岡はいつもと違う彼女を心待ちにしながら、ベッドに頬杖をついて笑った。

 月岡と珈涼が小さな変化を重ねながら日々を過ごしていた、ある日のひととき。

 その日、二人は一緒にスーパーで買い物をしていた。二人は洒落た外食や旅行を楽しむときもあるが、どちらも近所でちょっとした買い物をするのが好きなのは共通していた。

 いつものように荷物は月岡が持って、珈涼が通り過ぎがちな食材を巧みに補充していくのも月岡の役目だった。月岡は珈涼の体調管理のために、基本的な栄養学さえ頭に入れていた。

 けれど珈涼が立ち止まっても焦らせないのは、理由があった。

「魚……どれにしよう」

「青魚もたまにはどうですか?」

「サバ……サンマ……」

 珈涼は選ぶことに、少し時間がかかる。ただそれとは別に、珈涼が首を傾けて覗きこむときが月岡は好きだった。

 本人は気づいていないが、珈涼は何かを考え込むときに急に身を寄せる癖がある。珈涼に触れるのが日常になった月岡でも、どきりと胸が高鳴る。

「月岡さん?」

 ……決して自分以外にその癖はやってほしくないが、今は気づかないままでいてほしい。

 月岡は不思議そうに問いかけた珈涼を見て、心の中で思う。

 あなたはいつも、月岡さんは大人だからと言うけれど。大人だって、毎日どきどきしてるんですよ。

 そんなことを真顔で言ってしまう前に、月岡はほほえんで返す。

「栄養学的には、今日はサバの日です」

「そうなんですね」

 珈涼はこくんとうなずいて、サバのトレイをカゴに滑り込ませた。

 そんな、よくある一日の出来事だった。

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