26 新月

第30話

 豆子は気まずそうにわたわたと言い訳してみせた。

「お、お医者さんは呼んだよ! それまで人が来ないように見張ってただけ!」

 豆子の隣で、不破は素知らぬ顔で横を向いた。彼の年齢は月岡と変わらなさそうだが、なんだか可愛いような感じだった。

 珈涼はまだ不破という人のことをよく知らないが、そういう邪気のない仕草が豆子に通じるところがあった。

 不破はコホンと咳をして、わざとらしく月岡の肩を叩く。

「まあ、なんだ」

 不破は月岡をからかうように笑った。

「よりが戻ってよかったじゃねぇか。親友として嬉しいよ」

「元々珈涼さんとは別れていない。あと、いつから親友になったんだ、お前は」

 月岡は呆れたように不破を見やってぼやく。

「……とはいえ、利害がからんでも付き合いが続いているのはお前くらいか」

 月岡は彼にしては珍しく、気安さをもって不破を珈涼に紹介してみせた。

「珈涼さん、紹介します。不破健吾。私と子どもの頃からこの世界で付き合いがある男です」

「豆子が世話になったな、お嬢さん」

 不破はぺこりと頭を下げて、豆子をつつきながら珈涼に言う。

「豆子は図太そうに見えるが繊細な奴なんだ。お嬢さんが一緒にいてくれて本当に助かった。ありがとう」

「あ、いえ。とんでもないです、私こそ」

 率直にお礼を言われて、珈涼は慌てて頭を下げ返した。

 珈涼が不破に話を聞いたところ、彼がここへ来た経緯がわかってきた。

 豆子が虎林組の屋敷から脱出する前から、月岡と不破は力を貸し合って珈涼たちの行方を追っていた。

 けれど虎林組は秘密主義の組だった。極端に人の出入りが少ないところでもあった。まさか虎林組の本家に珈涼たちが隠されていたとは、豆子が話すまで判明しなかったらしい。

 不破の組は情報戦こそ得意だが、虎林組に手出しできるほど強くない。豆子を保護した後にすぐ月岡に連絡を取って、珈涼が捕まっていると知らせた。

 月岡は瑠璃に圧力をかけて、不破に珈涼を迎えに行かせると通告した。

 そして今日、現れた珈涼を連れ出すつもりで不破と月岡が来ていたらしい。

「虎林の組長が来るって情報はなかったんだがな。まあ、あちらも月岡が来るとは思ってなかっただろうが」

 珈涼は少し疑問を抱いて口を挟む。

「虎林のあの人は……月岡さんをよく知っているみたいでした」

「学生の頃から絡まれていましたから」

「え?」

 月岡は目を細めて思い返すように言う。

「雅弥は同級生なんですよ。私も大概変わり者でしたがあいつは人格的に致命的なところがあります。虎林組自体も、この辺りで一番危険な組織です」

 珈涼はその言葉に怖いとは思ったが、月岡の同級生というところに意識が引っ張られた。

 月岡は顔をしかめて思案する。

「あいつに気を許してはいけません。今後、あいつがどう出てくるか……」

「月岡。知っているかもしれないが、耳に入れておくことがある」

 不破が言葉を挟むと、月岡は目を上げて不破を見た。

 不破は一瞬ためらった後、その言葉を口にした。

「虎林の組長と若頭はおそらく……もう正常な関係じゃない」





 月のない夜、雅弥と瑠璃は誰にも告げずに街へ出かける。

 敵の多い虎林組の組長と若頭がボディーガードもなしにと部下たちは恐れるが、二人は今日も不用意な外出をやめない。

 二人の目的地は、部下たちが想像するような遊興の場所ではない。雅弥は助手席に瑠璃を乗せて車を走らせると、暗闇でふいに車を停める。

 名前もついていない場所、人も通らない都会の一隅。そこが二人にとって心地いい遊び場だった。

「そろそろ月岡の耳にも入る頃かな。私が瑠璃を抱いていると」

 瑠璃は雅弥の胸に頬を寄せながら、しばらく目を閉じていた。

 雅弥は瑠璃の頭をなでて優しくささやく。

「本当にそうしてもいいよ? 母親違いだろうと妹だろうと、そんなことは大して興味がないから。瑠璃は私にとって一番可愛い子なんだ」

 瑠璃は雅弥の問いに答えない。雅弥の心音を聴いているのか、どこか遠くに思いを馳せているのかも、その様子からはわからない。

 雅弥は少し心細げに声をかける。

「瑠璃……瑠璃? 困ったな、すねているの? ……全部、瑠璃の言うとおりにしたのに」

 瑠璃はふいにくすっと、未熟な少女の残酷さをもって微笑んだ。

 瑠璃は雅弥を下敷きにして寝そべったまま、子猫の仕草で首を傾げる。

「……ううん。兄さん、好き」

「ほんとう?」

「好き」

 それを聞いて目を輝かせる雅弥の頬をなでて、瑠璃は子どもをあやすように彼の頬に口づける。

「だからもっともっと、私のために働いて。私のためにめちゃくちゃにして。兄さんは私を愛しているんだから、できるよね?」

「うん! もちろんだよ」

 雅弥は瑠璃の頬といわず頭や耳にもキスを返して、はしゃいだ声を上げる。

「兄さんは瑠璃のために何でもしてあげる。何がほしい、瑠璃? 瑠璃の前に宝石みたいに散りばめてあげる」

「私が欲しいものは決めてあるんだ」

 瑠璃は光のない目で、車窓ごしに月の消えた夜空を見上げながら言う。

「月岡を傷つけて、兄さん。あの綺麗な生き物が地に伏せるさまを見せて。それで……」

 瑠璃はサリっと雅弥の首筋を噛んでささやく。

「最後に、……して」

 雅弥は瑠璃に噛まれたその痛みも心地よさそうに、喉を鳴らして笑い返した。

 瑠璃は雅弥の胸に猫のように頬ずりをして、雅弥は恋人にするようにその背を包み込んだ。

 夜の闇は深いところから、身を寄せ合う異母兄妹を見下ろしていた。

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