25 彼女の成長

第29話

 豆子と不破が部屋を後にして、珈涼は月岡と二人きりになった。

 珈涼が持ち込んだトラブルで、月岡に喧嘩をさせてしまった。それで今後、月岡が虎林組と不仲になったらどうしようと思う。

 でも珈涼は自分の意思で月岡の元に戻りたいと言った。

 そう思って顔を上げたとき、月岡の腕が珈涼に回された。

 雅弥とのつかみ合いで、月岡の襟元は乱れて擦り傷もあった。珈涼は慌てて月岡に言う。

「月岡さん、痛みませんか? 怪我して……」

「珈涼さんの無事を確かめるのが先です」

 月岡は珈涼をソファーまで抱いていくと、そこに珈涼を下ろして側に座る。

「あ、あの、何を」

 無言で珈涼の胸のボタンを解き始めた月岡に、珈涼は声を上げる。

 月岡は珈涼の制止に構わず手を進める。

「虎林組で何かあったのでしょう。お話し頂くのはつらいでしょうから、直接確認させて頂こうと」

「あ……」

 雅弥が言っていたとんでもない言葉を思い出して、珈涼は慌てる。

 珈涼はどうにか月岡の手から逃れようと、ソファーを後ずさって言った。

「ほ、本当に何もされていないんです。体にあるのは自分で傷つけた怪我が治っていないだけで」

「見せてください。珈涼さんの怪我の場所はすべて覚えております。間違えませんから」

 断固とした月岡の言葉に、珈涼は抵抗が無駄なことを知った。

 珈涼は顔を赤くしながらうつむく。

「……せめて自分でしますから」

 珈涼はおずおずと自分でシャツのボタンを外して、月岡の前に肌をさらした。

 障子も扉も閉ざされているとはいえ、真昼の明るい室内で裸になるのは恥ずかしかった。けれど月岡が虎林組に報復などしないように、珈涼にできることはしたかった。

 生まれたままの姿で所在なさげに座った珈涼を、月岡は時間をかけてじっとみつめた。

 珈涼は月岡と目を合わせることもできないまま、ぽつりと問う。

「誤解は……解けましたか?」

「やはり何かありましたね」

 え、と珈涼が顔を上げたときは、珈涼は月岡の腕の中にいた。

「前より綺麗です。……大胆にもなられた」

 月岡は珈涼の頭を自らの胸に押し当てるように、珈涼を抱きしめる。

 珈涼の髪に頬を寄せて、月岡はたずねる。

「今珈涼さんの心の中心に、私はいますか?」

 珈涼の頬には、乱れた襟から覗いた月岡の肌が直に触れた。

 その温かさに、月岡の胸に包み込まれて湯船に浸かった時のことを思い出して、珈涼は一瞬言葉を忘れた。

 いつもこのまま眠りに落ちたいと思った。そして珈涼は、その温もりに身をゆだねて現実を忘れていた頃もあった。月岡はそんな珈涼の願い通りにしてくれた。

 その時に戻りたいという感情は今もある。母の胸に帰ることをこいねがう子どものような気持ちは、きっとたやすくは消えない。

「はい」

 珈涼は深呼吸してうなずいた。

「……だからあなたのところに帰ってきたんです」

 月岡はすぐには珈涼を離さなかった。それどころか、珈涼を抱く腕の力が強くなったようにも思えた。

「あなたが誘拐されたとき、どうして閉じ込めておかなかったのかと思いました」

 体を通して月岡の声が響いてくる。

「私の仕事など知らせず、誰にも会わせず。私だけのものに」

「私は月岡さんのものです」

 ふいに珈涼の目がじわりとにじんだ。珈涼はぎゅっと月岡を抱きしめ返して言う。

「愛玩物が口を利くなんてと思って、今まで言えなかったんです。でも、お願いします。あなたのものにしてください」

 結ばれた後も、まだ時々珈涼は月岡が自分に飽きてよそへやってしまうことを想像していた。それも仕方のないことだとあきらめていた。

「閉じ込めても、私を玩具にしても……好きにしていいから」

 今はあきらめたくない。月岡に独占していてほしい。

 月岡は黙りこくる。こんなことを言って呆れられないかと、珈涼はうつむきながら答えを待った。

 覚悟は出来ていても、打ち捨てられたらたぶんひどく傷つく。

 珈涼は自分を奮い立たせて、おもいきって月岡から体を離した。

「せっかく少し、自由を差し上げようと思ったのに」

 月岡はちょっと悪い顔で笑っていた。

「恋人同士でできること、けれどまだ早いと思っていたこと。早速、今日からしましょうか?」

 珈涼は頭に疑問符を浮かべて、月岡はくすっと息を漏らした。

「……もう遅いですよ。あなたはじきに私の妻になる人だから」

 珈涼の髪に顔を埋めて、月岡はささやく。

「それで私は、そんなあなたの夫になる男だから。いいんですね、珈涼さん?」

「は、はい……私も」

 あきひろが好きだから。珈涼が拙い言葉で続けると、月岡は珈涼の唇を奪った。

 覚悟を決める時が来ているのだと思う。劣等感を乗り越えて、月岡と並ぶ覚悟を持たなければと思う。

 頭の中にもやがかかるような、甘いキスに酔う。

 けれど月岡の方が大人だったようで、ふいに体を離して珈涼の着衣を直す。

 月岡はソファーに珈涼を座らせて、扉の方に歩み寄る。

「不破、珈涼さんの安全のためだ。話しておきたいことなら今聞こう」

 開いた扉の向こうで、そこに壁に耳を当てて座っている豆子と不破の二人がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る