24 誤解

第28話

 沈黙は一瞬で、凍り付いた時を動かしたのは雅弥だった。

 雅弥は月岡から逃れて立ち上がると、声を立てて笑う。

「ははは!」

 雅弥は瑠璃に向かって、冗談めいた調子で言った。

「ごめんごめん。ちょっと童心に帰ってしまった。瑠璃、そんな怖い顔でにらまないでくれ」

 雅弥は傷だらけの手をスーツで拭って、その手でぽんと瑠璃の頭を撫でる。瑠璃はそんな兄を、どうしたらいいのかわからないという顔で見上げていた。

 一瞬の後、月岡も自分を落ち着かせたようで、珈涼に向かって言った。

「珈涼さん、わかりました。これ以上は争いません」

 珈涼はまだ緊張しながらも、それを聞いておずおずと月岡から離れた。

 珈涼は一歩離れて場を眺めて、その惨状に気づく。

 雅弥と月岡は二人ともあちこちに怪我をして服を乱している。先に手を出したのは月岡だが、二人とも殴り合いの喧嘩をしたのだから言い訳はできない。

 月岡は龍守組の若頭補佐、雅弥に至っては虎林組の組長だ。二つの組の幹部が殴り合いなんて、どちらの組にとっても耳が痛い。

 ところが雅弥は悪びれずににこやかに切り出す。

「謝罪ならしよう。穏便に片付けたいんだが、駄目かな?」

 安堵のため息をついたのは珈涼くらいで、場はまだ緊張に満ちていた。けれど先ほど入ってきた青年にとっては望む言葉だったようで、彼は慌てて告げる。

「ありがたい! どうか、この通りです!」

 青年は腰を折って雅弥に頭を下げると、横目で月岡をにらむ。

 月岡は謝罪するつもりはないと言うように沈黙していた。青年はそんな月岡に不服そうな目を向けながらも、雅弥に頭を下げたまま動かなかった。

 瑠璃は守るように雅弥を背に庇いながら一歩前に出て、青年に言った。

「こちらも引いていただけるとありがたいです。兄は怪我もしていますし、手当に向かいたいのですが」

 瑠璃は扉と月岡を見比べて、言外に月岡に見逃してくれるよう求めた。

 月岡は瑠璃ではなく、瑠璃の後ろの雅弥を見据えたまま一つうなずく。瑠璃はそれに頭を下げて、雅弥を扉の方に導いた。

「……雅弥」

 けれど雅弥が部屋の扉を出る直前、月岡は凍るような声で付け加える。

「お前の言ったことが本当なら、俺は脅しで終わらせない。屋敷の若い連中は二度と女と寝れねぇようにする」

 月岡の怒りが少しも消えていないことに、瑠璃は震えたようだった。雅弥はそんな妹の肩を抱いて、月岡を振り返りながら微笑む。

「楽しみだ。いつでも来るといいよ」

 雅弥が扉を閉じて、やがて足音は遠ざかって行った。

 ずっと頭を下げていた青年は、顔を上げるなり月岡に食って掛かる。

「月岡、お前な!」

 青年は月岡の胸倉をつかんで、押し殺した声で怒鳴る。

「珈涼さんを連れてそっと抜け出すって手はずだろ! 何を間違って虎林に喧嘩ふっかけてる!」

「我慢ができなかったんだ」

 月岡はしれっと答えて、青年を見返しながら言う。

「離せ、不破。珈涼さんが怯えてる」

「てめぇが言うか!」

 青年と月岡の喧嘩口調は、雅弥に対する敵対的なものではなかった。それでようやく珈涼の緊張も解ける。

「あ……」

 珈涼は勝手に足から力が抜けて、ぺたんとその場に座り込んでしまった。

 月岡はそんな珈涼にすぐさま振り向いて、守るように側に屈みこんだ。

「ごめんなさい、珈涼さん。怖い思いをされたでしょう?」

 先ほどの不遜な調子が嘘のように、月岡は心配そうに珈涼を覗き込む。

「立てなくても大丈夫。抱いていきますから、腕を回してください」

 差し伸べられた手に珈涼は少し迷って、きっと月岡にかけたたくさんの迷惑を思った。

「……珈涼さん?」

 不安そうに月岡を見上げた珈涼に、月岡が悪い想像をしたように口の端を下げたときだった。

「怪我の手当てにはお医者さん呼ぶから、それまで二人で話した方がいいんじゃないかな」

 その明るい声に、はっと珈涼は息を呑む。

「たぶんいろいろ誤解してるでしょ?」

 不破という青年の後ろから、豆子がひょこりと顔を出して珈涼に笑った。

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