20 見え始めたもの

第24話

 次の日から珈涼は台所に立って、この家の食事を作り始めた。

 監視つきではあるが豆子は外に出て、食材を買って来てくれる。

 料理を始めた理由の一つは、豆子が買い出しの名目で脱出方法や外部の人間との連絡手段を探ることだった。二つ目が、毒の心配をするなら自ら食事を作るのが手っ取り早いことだった。

 瑠璃は自ら動き出した珈涼を心配しながら、少しうれしそうにしていた。

「お体は大丈夫なのですか? ……その、僕はありがたいのですけど」

 そして最後の一つが、瑠璃にまともな食事を取ってもらうためだった。

 瑠璃もこの組の若頭という立場にある以上、疑わなければいけないのはわかっている。

 けれど珈涼はどうしてもこの優しい少年を嫌いになれなかった。レトルト食品を文句も言わずに口に運んでいるのを見ると、その食生活が心配になった。

 ある日の夕食で、瑠璃は珈涼が作った料理に目を見張った。

「こ、これって」

 豆子はきょとんとして瑠璃を振り向く。

「コロッケだよ。瑠璃、食べたことないの?」

 豆子が意外そうに問いかけると、瑠璃はうなずいた。

「それはまあ、洋食屋でならあるけど。家で作ることってできるのか?」

「大変らしいよ。私はそもそもやる気にならないや」

 珈涼は母一人子一人で育ってきたので、料理は得意だった。母の店の裏方も最近は珈涼だけで回せるようになっていた。

 こういう形で自分の経験を人に見せるとは思ってもみなかったが、できるなら役に立ってほしいと願う。

 瑠璃ははにかんでコロッケをかじる。

「おいしいです。出来立てってこんなにおいしいんですね」

 それは年相応の少年の表情で、珈涼は微笑ましく思った。

 豆子は得意げに鼻を鳴らして言葉を挟む。

「ふふーん。昼のやきそばもおいしかったなぁ。瑠璃はいなかったけど」

「えっ、珈涼さんがやきそば?」

 瑠璃は驚いたようだったが、珈涼はそういう大雑把な料理も好きだった。

 少しこの周りを離れれば、屋敷にはもちろん他に人がいた。警備をしているガタイのいい男たちの腹を満たすには、大量に作れるやきそばがぴったりだった。

 もちろん見ず知らずの珈涼が作ったものだから、食べなかった人たちもいる。けど香ばしいソースとかつおぶしの匂いに引かれて食べてくれた人もいる。

 珈涼はまだ少ししか食べられなかったが、今はできることを始めたかった。

 それから体を回復させるために、掃除や洗濯といった身の回りのこともさせてもらった。怪我の消毒や包帯を代えるのも珈涼が自分でするようになった。

 何に向かっているのかは今でもわからない。けれど自分がしっかりしなければという使命感が、珈涼を芯から支えてくれていた。

 そうしてここに連れてこられてから、一週間ほどが過ぎたように思う。

 その間、雅弥は忙しいらしく、彼と接触することはなかった。

 でも一度だけ、雅弥が瑠璃と一緒にいるところを見かけた。

 夜の闇の中、瑠璃は雅弥に珍しく泣き言をこぼしていた。

「わかってる。僕は子どもだし、能力も足らない」

 瑠璃は声を押し殺して泣いていた。雅弥の胸に顔を押し当てて、震える手で黒いタイを握りしめていた。

「でも悔しいよ。これじゃ、まるで月岡に敵わない……!」

 雅弥は立って瑠璃の背中をなでながら、言葉少なくそれを聞いていた。

「……もう他人なんだよ、月岡は。瑠璃と月岡は比較にならない」

 暗闇にため息をついて、雅弥は言葉をこぼした。

 やがて雅弥は気軽な提案をする口調で言った。

「誰が何を言った? 瑠璃に害なすものを取り除いてあげよう」

「だめ!」

 瑠璃は涙のにじんだ声で制止する。

「みんな組のために言ってくれているんだから」

「瑠璃はよくやっているよ」

「だめったらだめ!」

 語気を荒げる瑠璃に、雅弥は困ったというように笑った。

「融通が利かないなぁ、瑠璃は。わがままで、まじめで……かわいくて」

 雅弥は涙で瑠璃の頬にはりついた髪を丁寧に払う。

 ……そうして瑠璃の体を腕の中に閉じ込めるように、ぎゅっと抱きしめた。

 珈涼は見てはいけないものを見た気がして、柱の影で身を小さくした。

 それは年の離れた兄が弟に、冗談でする抱擁ではなかった。ともすれば恋人を独占しているのを見せつけるような、意思を感じる行為だった。

 瑠璃はこちらに気づいていないようだったが、雅弥は珈涼の隠れた柱を見ていた。

 何も言わずにその抱擁を受ける瑠璃の髪を、雅弥は愛しいものにするようになでていた。

 雅弥はふいに腕を解くと、瑠璃の手を取ってくいと引いた。

「おいで、瑠璃」

 屋敷の中には深い暗闇が満ちて、数歩先も珈涼には見えなかった。

 妖しい何かに誘われたように、瑠璃はふらりと足を踏み出す。

 すぐに闇に消えた瑠璃を止めることもできず、珈涼はしばらくその場で立ちすくんでいた。

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