第3話

 会社を出た麗華は、その足で会社近くに建つ全面ガラス張りのビルにやって来た。このビルに入っている会社の社員と思しき仕事帰りのサラリーマンやOLたちと入れ違いにエレベーターに乗ると、その最上階にあるエステティックサロンのフロアのボタンを押したのだった。

 エレベーターを降りて直結しているエステティックサロンに入るとすぐに受付に向かう。定期的に通っていながら、白と薄桃色で統一された清潔感のある洒落た内装のエステティックサロンに未だに緊張しながら、麗華は名前と予約時間を伝える。受付に座っていた女性は、すぐに手元のパソコンで予約票を確認してくれた。


「和泉様ですね。お待ちしていました」


 受付の女性は笑みを浮かべたまま、パソコンを操作しながら話しを続ける。


「担当は前回と一緒ですね。ただいま呼んできますので、少々お待ちください」


 担当を呼びに行っている間、麗華は入り口近くのソファーに座っているように言われたので、受付から離れてソファーに向かう。

 革張りのよく磨かれたソファーに座ると、麗華は近くのマガジンラックから女性向けのファッション雑誌を取り出して、パラパラとめくったのだった。


(私もいつかこうなれるかな……)


 最近、麗華が高森の飲み会に行かない理由の一つに、自分磨きに力を入れているというのがあった。

 麗華は一週間の内、週一日はエステティックサロンに、それ以外にも週三日はフィットネスクラブに通っていた。

 それ以外でも、化粧品やスキンケアにこだわってみたり、髪型や服装にも力を入れてみたりした。


(ううん。いつかじゃない、必ず私もこうなりたいな……)


 もう名前負けしていると、言われたくなかった。

 麗華って名前だけで、綺麗な人や可愛い人を勝手に想像されてきた。実際に会うと必ずと言っていい程に、相手に幻滅され続けてきた。


(この子、名前なんだっけ……。この間、ドラマに出ているのを見たかも)


 麗華が流し読みしていた雑誌の中のモデルは、長い黒髪を靡かせながら飲み物を片手に堂々とポーズを取っていた。

 これまで雑誌やテレビで見かけるモデルや芸能人たちは、いつもキラキラ輝いている様に見えて、どこか自分とは違う世界に住んでいるように思えた。

 自分はモデル達のように、胸を張って堂々とは出来ない。そもそも自分に自信がなかった。


 大学生までの麗華は肌の手入れや化粧もまともにしておらず、顔は常にニキビだらけ。服装や髪型にも特にこだわっていなかった。

 体型も太り気味で、陰で言われていた悪口は「豚」だった。

 モデルや芸能人たちとは程遠く、とても綺麗とは言い難かった。


 そんな見た目以外に、名前が「麗華」というのもあって、周囲から「似合わない」と言われ続けてきた。面と向かってはっきり言われた事もあれば、陰でこそこそ言われた事もあった。

 その度に麗華は傷ついて、泣き寝入りをした日もあった。ーー今ではすっかり慣れてしまったが。

 さすがに社会人になってからは面と向かって言われなくなったが、それでも綺麗な同性や異性の前では尻込みしてしまう。

 そんなある時、麗華は考えた。


 ーーこれから先も、名前負けしたまま過ごすのかな。


「麗華」という名前に、ずっと負けたままでいいのか。

 そう考えていたら、だんだんと悔しくなってきた。


 ーー変わってみせる。絶対、名前に相応しい女性に変わってみせる!


 そう決意した麗華は、仕事の合間に自分磨きに力を入れる事にしたのだった。


「和泉様。お待たせしました。担当の明石あかいしです。今回もよろしくお願いします」


 雑誌を読んでいると、麗華を担当するエステティシャンの明石がやってきた。

 麗華は立ち上がると、読んでいた雑誌をマガジンラックに戻した。

 持っていた鞄を受付に預けると、明石について店の奥に入って行ったのだった。


「和泉様、ご指名頂きありがとうございます」


 麗華が部屋に案内されると、明石は一礼した。穏やかな明石にだんだん麗華の緊張がほぐれていく。


「今回もよろしくお願いします」


 以前、このエステティックサロンを利用した時、たまたまいつも担当をお願いしていたエステティシャンが休みであった。その時、代わりに担当してもらったのが、この明石であった。

 明石は麗華と同じくらいの年齢の女性であり、茶色に染めた髪を頭の後ろで一つまとめ、適度に化粧もしていた。施術中の雑談も楽しく、肌の手入れや新商品の化粧品の情報、それ以外の話題もたくさん持っていた。とても大人っぽくて、麗華は密かに明石に憧れを抱いたのだった。

 それ以来、麗華は明石に担当をお願いしていたのだった。


 麗華が病院にある様なベッドの上で横になると、明石は麗華の服が汚れないようにタオルケットをかけてくれた。


「では、最初に化粧を落としますね。それから、お肌の調子を見ていきます」


 そう言って、明石は麗華の化粧を落としていく。

 明石の温かい指先が顔に触れて、くすぐったかった。


「前よりお肌がよくなっていますね」

「良かったです」

「でも、まだ荒れていますね。もう少し、手入れを頑張るといいかもしれません」

「は〜い……」


 これまで、麗華は仕事が忙しい事や疲れている事を言い訳にして、肌の手入れを怠っていた。

 それもあって、最初にここに来た時、麗華の肌はボロボロだった。

 明石によると、麗華の肌はしっかり手入れがされていなかったので、ニキビが出やすくなっていたらしい。

 ここで肌の手入れについて教えてもらって、ニキビが出にくくなって、少しずつ改善されてきたのだった。


 いつもと同じように雑談を挟みつつ、明石に手入れをしてもらっていると、時間はあっという間に過ぎていった。

 最後に、忙しくても簡単に出来る肌の手入れについて二人が話していた時だった。


「和泉さん、間違えていたらすみません」

「はい?」

「最近、綺麗になりましたよね? 前回よりもますます綺麗になって……。何かきっかけがありましたか?」

「きっかけなんて、何も……」

「例えば、好きな人が出来たとか」

「す、好きな人……!?」


 不意に、麗華の頭の中を、会社の後輩である桂木の姿が過ぎった。

 それを打ち消すように、麗華は「いません!」と、明石の言葉を否定したのだった。


「そうですか? てっきり、好きな人が出来たのかと思っていました」

「違いますよ〜」

「失礼しました」と謝る明石に、「気にしないで下さい」と麗華は返したのだった。


「そんな明石さんは、好きな人がいたりするんですか?」

「私は今年の始めに結婚したんです」


 仕事中は邪魔になるからしていないが、普段は結婚指輪をしているらしい。


「わあ、素敵です! 相手の方はどんな人なんですか?」

「そうですね……。趣味や好みが私と合っていて。性格は大雑把で、でも優しい人なんです」


 明石によると、エステティシャンの専門学校に通っていた頃から付き合っており、専門学校を卒業して、数年経ったのを機に結婚したが、今ではすっかり気心の知れた仲らしい。


(こんな美人な明石さんと付き合っているって事は、イケメンな旦那さんなのかな……)


 少しだけ羨ましいと、麗華は思った。

 明石の様に、いつの日か麗華も素敵な人と結婚出来るように、もっと綺麗になりたいと決意したのだった。

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