7 触れたいと思うのは
求めていた熱が、僕の唇に触れている。
好きで、傍に縛り付けておきたい人が、僕に口づけている。
僕をどうしたいのか。
その問いの答えがこの口づけなのだとしたら――。
もうこの心を偽る必要なんてないのではないか。
真夜の前で、仮面をつけるのは難しい。
それほどまでに、真夜は僕の心を動かしてしまう存在だから。
一方的だった口づけに、僕が応えようとした時、不意にその熱は離れていった。
「……悪い」
「え……?」
両肩に優しく触れたかと思うと、そっと遠ざけられた。
顔を逸らす真夜と、茫然と立ち尽くす僕。
(僕を求めてくれたわけじゃないの……?)
ただの勘違い? いや、好きでもない相手にキスをするはずがない。
それに、僕は男だ。
そういう対象として見ていなければ、キスをしようとは思わないだろう。
真夜にキスされて嬉しかった。
祖父のキスとは全然違って――そう思って、気づく。
(やっぱり、僕は醜い……僕の体には、お祖父様の痕跡が残っている)
「……うっ」
気持ち悪い。吐き気がして、僕は胸をおさえて蹲る。
祖父のことを思い出して、真夜の熱いキスが穢れてしまったような気がした。
真夜の目の前で吐いたら、駄目だ。
ますます惨めな気持ちになってしまう。
「佳月、どうした? 顔色が悪い」
「僕のことは、放っておいてくれ!」
どうしてキスを途中でやめたの?
どうして謝るの?
どうして、僕にキスをしたの?
本当に聞きたいことは何一つ聞けずに、僕は結局、真夜を突き放してトイレにかけこんだ。
嗚咽をもらしながら、便器に向かう。
苦しくて、悲しくて、どうすればいいかも分からなくて、僕はただ吐き続けた。
そんな僕の背中を真夜が優しく撫でる。
何度振り払おうとしてもできなくて、途中からそんな気力もなくなっていた。
「そろそろ落ち着いてきたか?」
「……ん」
「じゃあ、ベッドで休んだ方がいい」
そう言って、真夜は僕の体を横抱きにした。
急に体を持ち上げられて驚いて、とっさに真夜の首に腕を回す。
「大人しくつかまってろよ。まぁ、俺が佳月を落とすはずないけどな」
すでに抵抗する力も残っていない。
にっと笑って、真夜は僕をベッドまで運んだ。
そして、テキパキと着替えを用意し、水を差し出す。
「薬は飲めそうか? もしまだ調子が悪いなら、病院に」
「別に必要ない……いつものことだから」
「……そうか」
しん、と静寂が落ちる。
僕はいたたまれなくなって、ベッドに寝転がり、掛布を頭まですっぽりとかぶった。
「俺の、せいだよな。急にあんなことして、悪かった」
しばらくの沈黙の後、真夜の沈んだ声が聞こえてきた。
真夜のせいではない。
「やっぱり、駄目だな。佳月を目の前にすると、感情を抑えられなくなる。だから最初は自分への戒めのために使用人として接しようと思っていたのに、それも続かなかったし……」
目が覚めてすぐ、他人行儀な真夜の態度に少なからずショックを受けた。
まさか感情を抑えるためだったなんて思いもしなかった。
「……その感情って、どういうものなの?」
そっとシーツから顔を出して、ベッドサイドに座る真夜を見つめる。
ドキドキと鼓動がうるさく喚く。
真夜が僕を見つめ返す瞳に熱情を感じて、嫌でも期待してしまう。
「恋愛感情だよ。俺、佳月のことがどうしようもなく好きなんだ」
真っすぐに向けられた言葉に、胸が熱くなる。
涙が勝手にあふれてきて、真夜の顔がぼやけて見える。
「やっぱり、嫌だよな? 俺、男だし。でも、応えてほしいとは言わない。ただ、佳月の了解なくキスをしてしまったのは本当に悪かった。もうしないから」
「嫌だ」
「あぁ、もう勝手に触れたりしないから、安心しろ」
「……それが、嫌だって言ってる」
「え?」
「もう触れないとか、キスしないとか、言うな」
「でも、気持ち悪くないのか?」
本気で心配そうに真夜が問う。
それもそうだろう。
ついさっき、目の前で吐いてしまったのだから。
「それは、僕も聞きたい。真夜は僕をきれいだって言ってくれたけど、僕には……どれだけ消そうとしても、消えないお祖父様の痕跡がある。僕に触れることが、気持ち悪くないの?」
この問いは、自分で自分の首を絞めているようだった。
息ができないほどに苦しい。声が震えた。
涙が、またひとしずく頬を流れた。
「俺は佳月が好きだから触れたい。ただそれだけだ。もし、俺が触れることを許してくれるなら、佳月の心に刻まれたトラウマなんて消し去ってしまうくらい大切に愛すると誓うよ」
僕の目からこぼれる涙を指ですくって、真夜は優しい眼差しを向けてくる。
好きだと訴えてくるその瞳に、僕の心臓は高鳴った。
「……真夜なら、いい」
他の誰でもない、真夜なら。
ようやく、自分の心を少しだけ伝えられた。
「本当に? キス以上のことも許してもらえる?」
真夜の問いにドキッとしながらも、僕はコクリと頷いた。
真夜に触れられることを想像してしまったせいで、体が疼く。
早く触れてほしい。
思わず伸ばした手を、真夜が優しく包み込む。
「あぁ、嬉しい。好きだよ、佳月」
手の甲にちゅっとキスが落とされる。
そこから、熱が伝染したように全身が熱くなった。
「今すぐ襲いたいくらいだが、まずは体調を整えないとな」
「……え?」
「俺も我慢してるんだ。そんなに物欲しそうな顔するなよ」
「してないっ!」
「元気になったらたぶん寝かせてやれないから、今のうちに休むようにな」
情欲を宿したその眼差しと言葉に、鼓動が速まって眠れそうにない。
そう思っていたのに、真夜に頭を撫でられているうちに、いつの間にか寝てしまっていた。
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