4 悪夢のような夜


 中学三年になり、本格的に受験勉強を始めた秋のことだった。

 その頃から、佳月は体調を崩しがちになって、真夜はよくお見舞いに行っていた。


『真夜は受験勉強に集中してよ。僕は少し休めばよくなるから』

『でも、佳月が心配だと勉強に集中できないんだよ。なぁ、ここで勉強してもいいか?』

『……はぁ、今日だけだからね』


 病人にため息を吐かれながらも、真夜はベッドに横たわる佳月の傍で黙々と勉強していた。

 佳月を心配しながら勉強するよりも、よほど捗った。

 夢中になって勉強しているうちに、いつの間にか佳月は眠っていて、真夜は彼を起こさないようそっと部屋を出ていく。


『あ、佳月の部屋に教科書忘れてきた』


 忘れたのは、明日の授業で使う教科書だ。

 普段は夜に本邸に入るのは禁じられていたが、忘れ物を取りに行くだけだ。

 大目にみてくれるだろう。そう軽く考えていた。

 こっそりと佳月の部屋の方へ行くと、佳月が出てくるのが見えた。

 話しかけようとしたが、表情が抜け落ちた人形のような彼に躊躇してしまい、声にならなかった。


(こんな時間に、どうして大旦那様の部屋へ?)


 思わず佳月の後をつけていた真夜は、不思議に思う。

 ノックをして、返事を待たずに中に入る佳月。

 もしかすると、体調を崩して心細いから、祖父のもとへ行ったのかもしれない。

 案外かわいいところもあるのだな、と真夜が思っていた時だった。

 ――佳月のうめき声のような悲鳴が聞こえたのは。

 

 会長の部屋だとか、本邸の立入禁止時間の夜だとか、そんなことは頭になかった。

 佳月のことが心配で、その扉を開けた。


 そこには、裸で後ろ手に縛られた佳月と、佳月の口に自身の性器を押し付けている会長の姿があった。

 あまりの衝撃的な絵面に理性がとびかけたが、瞬時に真夜は判断する。

 佳月を助けなければ、と。

 会長の体を突き飛ばし、佳月の体に自分の上着をかけてやる。

 佳月の瞳は絶望に黒く染まっていて、その白い体はガクガクと震えていた。


『すぐに解いてやるから』

『や、めて……だめだ』

『どうしてだ? こんなこと、同意の上だったとでもいうのか?』

『そう、だ。だから、今見たことは、忘れて』


 小さく、佳月の首がコクリと縦に振られた。

 どうしてこんな分かりやすい嘘を吐くのだろう。

 どう見ても、佳月の瞳は助けを求めているのに。


『なぁ、もしかして、最近調子が悪かったのって……このせいなのか?』

『……っ』

『いつからだよ。いつから、こんなことになってたんだよ! なあ⁉』


 固く結ばれた縄をほどこうとしても、怒りで手が震えてうまくできない。


『なんで、俺に言ってくれなかったんだ……!』


 その直後、真夜の体は椅子で殴り飛ばされた。


『ぐあっ……!』

『よくも邪魔をしてくれたな。ただの使用人の息子がっ!』


 痛みで意識が朦朧とする。

 ついさっき突き飛ばされたことがよほどお気に召さなかったらしい。

 会長は憤怒の表情で、床に転がる真夜を踏みつける。


『お祖父様……! これ以上はやめてください!』

『あぁ佳月。いくら可愛いお前の頼みでも、私たちの邪魔をしたこいつを許すことはできない』

『彼は僕の従者になる男ですから、むやみに言いふらすはずがありません』

『そうか? だが、今にも噛みついてきそうなほど鋭い目で私を睨んでいるぞ?』

『彼は、きっと僕が縛られていたので動揺したのです。僕自身も望んでいることだと知れば、きっと大丈夫です』


 佳月は一体何を言っているのだろう。

 全身に鳥肌をたてて、震える声で、必死になって言い募っている。

 ぼーっとした頭では、何も考えられなくて。


『それなら、ちゃんと見せてあげようか。彼へのお仕置きにもなるかもしれないね』

 

 佳月のきれいな体に、会長の赤い舌が這う。

 佳月は何も感じていない人形のような表情で、されるがまま。

 そして、慣れた手つきで、佳月は会長の性器を絶頂までしごいていた。

 吐き気がした。この場で喜んでいるのは会長だけだ。

 佳月が頑なに心を閉ざし、感情を殺していた理由がようやく分かった。

 もし感情があったのなら、こんな行為受け入れられるはずがない。

 ここから逃げられない佳月は、人形になるしかなかったのだ。

 許せなかった。

 佳月を愛玩人形にしている会長も、佳月の友人でありながら気づけなかった自分も。

 怒りでおかしくなりそうだった。


『従者として傍にいたいのなら、このことは他言無用だ』


 最後にそう念をおされて、真夜は痛む体を引きずりながら自分の部屋へ帰った。

 あれは悪い夢だったのではないかと思ったが、翌日も痛む体が現実だと教えてくれた。

 それなら、やるべきことは一つ。

 佳月を苦しめる諸悪の根源へと殴り込みに行ったが、通してもらえるはずもなく。

 その日付で両親は西園寺家をクビになり、真夜も出て行かざるを得なくなった。

 しかし、佳月をこの家に残していけるはずがない。


『佳月、俺がお前をここから絶対に救い出してやるからな!』

『君の顔なんてもう二度と見たくない。今すぐ消えてくれ』


 佳月のためを思って行動を起こそうとしたのに、佳月は無表情の仮面をつけて真夜を拒絶した。

 それでも、真夜は諦めるつもりはなかった。

 人形になってでなければ、その言葉を口にできなかったということだ。

 それこそが、佳月本人からのSOSのサインに思えたから。

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