第4話

「そんなに一人で家事をして、負担になりませんか? それに、菫さんの時間が奪われてしまいます」


 螢一さんは、どこか他の人とは違う感覚をお持ちのようでした。


 旦那様にお仕えする妻は、家事の全てを行うことなど当たり前です。そのように教えられ、過去には実際に行ってきました。それが、普通なのです。だけども螢一さんとお話ししていると、その普通というものが違って見えるのです。まるで、一人の人として接していただいているような……。


「妻というものは、そういうものだと思っております。旦那様のお時間を取るわけには……」

「菫さんは使用人ではありません。夫婦の形は人それぞれかと思いますが、僕は平等でいたいのです」

「わ、わかりました……。ですが、私には家事くらいしかやることがありませんから、させていただきたいです」

「…………そうですか。わかりました」


 納得のいかないようなお顔。眉を下げて困っているようにも見えました。


「寝室はどちらにございましょうか。お布団を敷きたいのです」

「お布団はありませんよ。僕の家ではベッドです。大きいベッドですから、二人で眠れますよ」

「…………ベッド」


 私はベッドで眠ったことがございません。小さい頃からも、俊一郎さんとのところでも、お布団で眠っておりました。


「お布団ではないと眠れなければ、ご用意しますよ」

「あ、いえ……! 問題ございません。それでは、私は洗い物をいたしますので……」

「はい。ありがとうございます」


 そうして私は食器を片付け、洗い場で食器を丁寧に洗いました。

 どれも高価そうな食器でしたから、割れないように、汚れを残さないようにと、慎重に洗いました。


 洗い終えてからも、螢一さんはアトリエから顔を出しませんでした。


「本当に先に入っていいのかしら……」


 旦那様よりも先にお風呂へ入るなど気が引ける行為です。俊一郎さんであれば怒鳴っていたことでしょう。

 私は不安になりながらも、教えられていたお風呂場へと向かい、湯に沈めて体を温めました。


 お風呂場から出ると大きな鏡があり、私はじぃっと自らを見つめました。


「…………酷いお顔」


 疲れたような顔。

 新しい婚約者との生活。捨てられないかという不安。


「螢一さんに伝わっていなければいいけど……」


 私の不安は顔に現れていましたから、それが螢一さんに伝わってしまえばきっと心配なされます。

 今日一日。まだ僅かな時間ですが、螢一さんとお話をして、とても優しい方なのだと思いました。


 そう、お優しい方……。


 だけれども、私はアトリエにずらりと並ぶ人形たちの顔が離れませんでした。

 旦那様のお仕事は敬わなければなりません。決して否定などしてはいけないのです。


 ――この部屋を見た上で、嫌だと思うのであれば去っても構いません。


 あの時のお言葉。きっと何度も立ち去られたのでしょう。

 私と同じように、気味が悪いと思った女性たちが、幾人も逃げ出したのでしょう。


「…………はぁ」


 私の中にはまだ、迷いがありました。

 ぽたりぽたりと髪から滴る水滴の音は、私の決断を急かしているように感じました。


 私は一度深呼吸をしてから寝巻きに着替え、長い廊下を渡ってアトリエへと向かいます。

 軽く二回扉を叩き、螢一さんを呼びます。


「お先に入らせていただきました。上がりましたので、螢一さんもお風呂へお入りください」


 すると、少しの間があってから。


「はい。すぐに入ります」

「私は朝食の下拵したごしらえをしておりますので、何かあれば調理場にいらしてください」

「わかりました」


 そうして私はアトリエの前から離れるのです。

 直ぐに出てこない様子から、きっと、まだお仕事をなさりたいのだと思って、私は調理場へと向かいました。


 まだ寝室へ向かわないのは、旦那様より先に寝ないように……と思ったからです。

 螢一さんなら、そんなことを気にしないでください、と言われるかと思いますが、まだ私には気が引けるのです。


 調理場へ向かい、明日の朝食の仕込みを開始します。

 煮物や豚汁など、味が染みるまで時間のかかるものを調理しました。

 きっと調理に時間がかかるものを、螢一さんは召されていないだろうと思ったのです。


 こんなにも立派な西洋建築に住んでいながら、食事が白米と梅干しと味噌汁ばかりだなんて……。もっと美味しいものを食べてほしいと思いました。

 ぐつぐつと煮立つたびに、味噌や醤油、お出汁の香りが漂います。一口味見をして、頷く。これならきっと、螢一さんもお喜びになるでしょう。


 しばらく調理場にいました。いつもより丁寧に料理していたかと思います。早くお風呂から上がらないかとばかり思っていました。どうしても、先に眠りたくなかったのです。


「…………あ」


 ふと思いました。

 今日は初夜です。


 もしかしたら、と思います。夫婦になった初夜ですから、きっとなさるだろうと。

 私は使い古しです。処女は俊一郎さんに捧げた身ですから、二番目の男なのだと嫌う人も多くいるでしょう。


 こうやって、汚れていくのでしょうか。

 今日を乗り越えてここを去ることになれば、また傷が一つ、増えてしまうようなものです。

 両親には申し訳ないと思っています。

 複数の男性に身体を捧げるなど、汚れに違いありません。


「…………どうしましょう」

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