第2話

「お仕事……ですか?」


 予想だにしなかった言葉。想像のつかない続きを待ちました。


「僕はビスクドールという、所謂、球体関節人形を作っている人形作家です」

「人形、作家……。ビスクドールとは一体……」

「言葉だけじゃわかりませんよね。アトリエに案内します。ついてきてください」


 そう言って立ち上がる螢一さんを追うように、私も立ち上がって後をついていきます。


 居間を出て、長い廊下を渡りたどり着いた先。


「ここが僕のアトリエです。少し驚いてしまうかもしれません」


 螢一さんが扉を開けると――


「…………」


 私は言葉を発することができませんでした。

 アトリエと呼ばれた部屋一面に、西洋人形がずらりと並んでいたのです。

 それはそれは不気味な光景で、恐ろしさに肌が波打ちました。


 部屋中どこを見ても存在する西洋人形。よく見ると関節が球体で繋がっており、球体関節人形という言葉の意味を知りました。


「この子たちを作るのが僕の仕事です。一応、その界隈では有名な方なんですよ」

「……そ、そうなのですね」


 早くこの場を立ち去りたい。恐ろしい。不気味で仕方がない。

 そんな気持ちに駆られ、まともな返事ができませんでした。


「普段はアトリエに籠っていますから、何かあればこちらまで来てください」

「……よ、よろしければお茶汲みを致しましょうか」


 こんなにも恐ろしい部屋に入るのは気が引けます。だけれども、私の心の中には捨てられたくないという思いもあったのです。気味が悪いという気持ちを押し殺して、どうにか捨てられまいとしました。


「良いのですか? とてもありがたいですが、菫さん自身のお時間も大切にしてください」

「私の、時間……ですか」

「えぇ、菫さんの時間です。僕は人形を作ることが楽しくて時間を使っています。勿論、仕事ではありますが、好きでやっていることです。菫さんも、自分のために時間を使って良いのですよ」


 今まで言われたことのない言葉。

 俊一郎さんといた時はずっと「俺のために尽くせ」とばかり言われていましたから、思いがけない言葉に驚きました。


 そして螢一さんは言葉を続けます。


「この部屋を見た上で、嫌だと思うのであれば去っても構いません」

「……え」

「皆、逃げていくのです。理解のされない仕事ですから、不気味だと言われて拒絶されます」


 逃げる……。私が脳裏によぎった言葉でした。


「…………そう、ですね」

「拒絶されるのは慣れていますから、僕のことはお気になさらず決断してください」


 拒絶が慣れているだなんて、そんな……。そんな悲しいことを言わせてしまうだなんて。


「……少し、考えさせてください」

「わかりました。答えを出すのはいつでもいいですよ。さて、居間に戻りましょうか」


 そう言って螢一さんはアトリエの扉を閉めました。


 パタリと消える人形たち。視界からいなくなると、冷や汗が出ていることに気がつきました。

 その汗が気づかれないように、螢一さんの後ろに立って居間に向かいました。


 居間へ戻ると、再び同じ椅子に座りました。


「そろそろお夕時ですね」


 私がそう言うと、螢一さんは頷きます。


「そうですね。ご飯はどうしましょうか」

「普段は何をお作りになられるのですか?」

「白米に梅干しと味噌汁です。どうにも料理が苦手で、美味しく出来ません」


 豪華な家に似つかわしくないお食事だと思いました。御給仕さんも見受けられないので、きっとこの大きな家にお一人なのは間違いありません。


「それでは、お料理は私が致します。幼い頃から嫁入り修行にと手ほどきされておりましたので、幾分か食べられるものをお作りできます」

「それはそれは、ありがとうございます。楽しみにしていますね」

「お台所を拝見してもよろしいでしょうか。食材の有無を確認したいのです」

「もちろんいいですよ。菫さんの家でもあるのですから、許可など取らなくていいんです」

「あ、ありがとうございます」


 すぐに俊一郎さんと比べてしまうのはいけないことだとわかっていても、あの時は酷い扱いを受けていたのかもしれないと思ってしまいました。


 その後、台所の場所を聞いて、そちらに向かいました。

 螢一さんは仕事がしたいと言うので、アトリエに向かったようです。

 案内された台所へ向かい、扉を開けるとそれは広々とした場所でした。


「素敵なお台所……」


 料理をしないと言うのが勿体ないくらいの素敵な台所でした。

 食器や調理器具は一通り揃っており、どれも質がいいものでした。しかし、食材がほとんどなく、米や味噌、梅干しはありましたが、肉や魚、野菜はありませんでした。


「……なんて無頓着な方なのでしょう」


 栄養もままならないお食事で生活するなど、資産家のご子息とは思えませんでした。


 私は、必要な食材を紙に記入して、鞄に仕舞い、家を後にしました。鞄の中には、螢一さんから買い物代にといただいた大金が入っております。金銭感覚は庶民の私と程遠いようです。


 少しばかり歩いてから、ふと思い出したのです。

 あのアトリエに並ぶビスクドールと言うもの。

 人形たちがこちらを見て品定めしているかのように思う感覚は、再び肌を波打たせます。


 呼吸が乱れてしまいそうになるほど、恐怖心が在りました。

 あの気味が悪い部屋を幾度も見なければいけない。あの部屋に再び入らなければいけない。

 ずらりと並ぶ人形たちの視線を浴びて、生活しなければいけないのだと。


 ――このまま逃げてしまおうか。


 いけない囁きが脳に蔓延ります。

 今逃げ出せば、もう人形を見ることはありません。実家には愛しい両親が待っています。


 でも、だけれども。私にはもう最後なのだと思います。このような縁談が持ち掛けられるなど、これから先あるかわかりません。

 もう少し螢一さんと過ごして、よく考えてから決めよう。

 螢一さんを知らないまま逃げてしまうのは、失礼極まりない。それに、両親の名を汚してしまう。人も知らずに逃げた女だと言われてしまう。


 そう思って、歩き出しました。

 それから町に繰り出し食材を一通り買い込み、重い袋を抱えて新しい私の家へと戻るのでした。

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