戦と宣布とカタストロフ2

「くっ!」


インク瓶のおかげで父が何処にいるかはすぐに分かった。

だから僕は緋色の空の中、エアロで一直線にその場所に向かった。


上空に飛空して、数秒。


紅の雲の下を飛びながら、地上を眺める。

全体がどうなっているかが、ここからだとよく分かる。


魔物、魔物、魔物。


地平線を埋め尽くす量の敵が、国を囲うように迫ってきていた。

幸い上空から攻めてくるものはいないようであるが、地上は地獄の光景だった。


前線のあちこちで爆発が起きている。

冒険者が健闘している証であろう。


しかしこのまま四方八方を責められては、最後まで守りきるのは難しい。

その証拠に、遥か下の街からは混乱の慟哭が上がっている。

誰もが慌てて準備をしているが、間に合うかどうか。


いや、間に合っても防ぎ切れるかは……。

考えるのはよそう。

今は出来ることを精一杯こなすだけだ。


「っ……!!」


スピードを上げて滑空する。

そこに、迷いがあってはいけない。


父は最初は高速で移動しつつ、遊撃を行なっているようだった。

自宅でケトラと話し合っている時のことだ。父の位置を示す魔料の反応が国の周囲をぐるぐると周回していたので間違いないだろう。


それが今はところどころで、一定時間留まるようになっている。

おそらく、冒険者の手助けをしながら移動しているのだ。


僕はその留まっている一点に向かってエアロを飛ばした。

目的地が近づいてくると、それまで分からなかった父の姿が確認できた。

場所は、普通の平原。


周囲に何もないところである。


「父さん!」


そこには、数名の冒険者を庇いつつ魔物に応戦する父がいた。

一体倒すのに数人の熟練冒険者が必要な魔物を、数体相手にしながら倒れている人間に回復の魔法をかけている。


左手のスコップ一本で敵の攻撃をいなしながら、右手で援護をする。

相手にしているのは、いずれも人の身の丈の三倍以上も背が高い魔物達。

巨大な爪と、尻尾を持つ、竜のような姿をしている。


そんな化け物を相手にした父の見た目は酷いものだった。

血に塗れた制服に肌。

土と汗でドロドロになった外見からは、激しい戦闘の跡が見て取れる。


加えて、刃こぼれが一層激しくなったスコップ型の剣。

時間は大して経過していないのに、今までにないほど消耗していた。

そんな背中に、一撃を加えようとする魔物が一体。


体の赤い魔物だった。


その大きな牙が、父に迫っていく。

父は既に両手を使って別の敵に応戦していて動けない。


「うおおおおおお!!」


僕は、エアロを手放して空中でスコップを構えた。

飛んできた勢いそのままに、赤い魔物に突っ込んでいく。


背中に切先を向けると、表面にあった薄い鱗を突き破った。

僕はそのまま体内に潜り、かと思えば今度は腹の肉を破って外に出る。一瞬のうちに、魔物の胴体に風穴が空き、絶命に至る致命傷を与えた。


「っぷ……!」


内臓を潜ったことで、血や体液で僕の全身は包まれた。

生臭い匂いが、辺りに広がって鼻を強く刺激する。

刹那の時間、心配も忘れてえずいてしまう。


「アーク、助かる!」


だが、その甲斐あってか父は窮地を脱したようである。

いつの間に相手を退けて、話をするだけの余裕を取り戻していた。


「ありがとうございます、パラグリオさん」

「助かったぜ、息子君もやるじゃん!」


遅れて、冒険者達が礼を言う。

まだ魔物は死ぬほど残っているというのに、明るい表情だ。

まあ、父に助けられていたことを考えると、かなりピンチの状況だったのかもしれない。

そこから一変して、助かったとなれば気分も晴れて当然か。


「アーク、なぜ来たのか問い詰めたいところではあるが、正直今のは助かった。それに時間がない。折角

来たのなら仕事を任せたい。幾つかあるが、頼まれてくれるか?」

「もちろん」


そのために来たのだ。


「まず一つは、補給だ。回復薬をこいつらに分けてやってほしい。次に援軍の要請だ。冒険者の数は圧倒的に不足している。ギルドに掛け合ってきたが、必要な数には到底及ばない。だから、国の兵士を、王だけが動かせる軍を引っ張ってきてほしいんだ。まさかこの状況で動かせないなんて言うアホはいねえだろうが、念のためきちんと動いているか確認してきてくれ」

「戦う選択肢がないじゃないか!僕はまだ体力が全部残ってる!」

「だからこそだ。一番体力があるお前が、きちんと援軍を呼んでこなきゃいけないんだ。今各地で戦っている冒険者。彼らの生死は援軍の有無に左右される。そいつらの命運を、体力がないやつに任せられるわけがないだろう」


父は僕の肩を掴んで諭す。


「これは、一番安全だから任すのではない。一番大事な仕事だから、任せているんだ」

「……分かった」


そこまで言われては、これ以上反論することはできない。

頷いて、一歩下がる。


降りてくる時に手放したエアロが、地面に突き立っていた。

それを拾って、父に背中を向ける。


代わりに向かい合った冒険者に、回復薬を懐から取り出して渡す。


「すまない、助かる」

「恩に着ます」


短くやり取りを終わらせ、エアロに跨る。

走って勢いをつけた後、そのまま飛び立つことにした。


「父さん、死なないでね」


去り際に本音の感情が漏れる。

返事は返ってこなかった。


僕は一っ飛びして、街に蜻蛉返りすることになった。

援軍を、国の軍がキチンと動いているかを確認するためだ。

もし動いていれば、情勢を伝えておくべきだし、動いていないのなら、動かす必要がある。


非常に重要な役割だ。


そして、国軍は城に駐在している。

よって僕が向かう先は城であるべきだ。

しかし、僕は今ギルドにいる。都市の中心の建物の中に。

理由はケトラの様子の確認と、異様に殺気だっている人々の鎮静のため。


ギルドに押しかけているのは、冒険者だけではなく。

普通の町民も多く集まっていた。

人が密集することで、より一層上記は混乱を極めているようであった。

こんなことをしている場合ではない。


そう思った。


だからこそ、戦える者は外に出し、守るべき国民は適正な場所で保護する必要がある。

そうでなくては勝てるものも勝てなくなってしまう。

軍だけよりも、一人でも多くの冒険者に討伐に参加してもらわなくては。


僕が一刻も早く城に向かうべきであるのに、ここに来たのはそういう意味がある。

正直、ケトラの確認は二の次でもいい。


ちゃんと戦力が機能するなら、彼女が何処にいようと生存できる確率は上がる。

結果的にケトラの生死も、ギルドと城に依存しているのだ。


「ケトラ!」


と、考えていた矢先にケトラを見つけた。

人に揉まれながら必死になって仲間を探しているようだった。


「だ、誰か!一緒に!」


しかし、その声は雑踏に飲まれて誰にも届いていない。

罵詈雑言の嵐に溶けてしまっていて、みなそれどころではないといった様子。

僕は人々が何を叫んでいるのか調査する必要があると思った。


耳を澄ませて、叫ぶ人々の声を聞く。


「おい!最強のサイトさんが遠征してるってどういうことだよ!」

「強い奴らが戻って来てないのに、勝てるわけがないだろ!」

「私たちは何処に逃げればいいの!?国の城壁も危ないって聞いたわよ!」

「この空はそもそもなんだっていうんだ!国の保証はあるんだろうな!」

「回復薬が足りなさすぎるぜ!在庫はどうなってんだよ!」


そうしていると、誰かに誰かに腕を引っ張られた。


引っ張られた方向に顔を向けると、ケトラであった。

いつの間にか僕を見つけたようである。

なんとも泣きそうな顔をしていた。


実際泣いたようで、涙の跡があった。

腕を引かれ、人々の間隙を縫って外に出る。

その外ですら、落ち着いて話せる場所を探すのが大変であった。


歩いて裏路地に入ったところで、ようやく喧騒が少しだけ遠ざかった。

振り向きもせず、前を先行していたケトラがこちらを向く。


酷い表情だ。


人に揉まれて皺に塗れた服が、悲壮感を強調している。

僕は、急かさず彼女が語り出すのを待った。

やがて彼女の小さな唇が、弱々しく動き出す。


「空が赤くなって、魔物の侵攻が迫っているという話が広まったの。でも、皆んな憶測で噂を広げるから情報が錯綜して、街は大混乱だったよ。今も城に押しかけてる人とか、ギルドに詰めかけてる人とかばかりで討伐どころじゃない感じ」

「そうか」

「ギルドの職員さん、サニクリーンさん達もお手上げ状態。もう私どうしていいか分かんなくて……」


その言葉からは、悲しいというより悔しいという気持ちが滲んでいた。

自身の非力さを実感した人間特有の、雰囲気であった。


「お兄ちゃん……ごめん……」

「ケトラ」


ケトラの頭に手を置いて、軽く抱きしめる。


「ところで、お父さんは?」

「無事だったよ。戦ってはいたけど、全然元気だったさ」

「そう……。なら良かった」


妹に対して、また嘘を重ねてしまう。

今のケトラにこれ以上心労を追わせたくなかった。


「大丈夫だから、後は僕に任せて」


だが、それ以上に僕の頭は別のことで支配されていた。


それは、怒りだ。


団結して戦おうとしない、国民に対する怒り。

国の危機に真っ先に出動して冒険者より早く働かなかった軍への怒り。

本当に、こんなことをしている場合ではない。


今は早急に一人でも多くの人間が協力して働かなくてはならないのだ。

冒険者は討伐に参加して、残った人々は物資を運んだり城壁の強化を行ったり怪我人を救護する必要がある。


やる事は山積み。


徒に時間を消費してはいけないんだ。

それなのに、皆んな皆んな状況の把握すら出来ていなかった。

このままではダメだ。


今外で戦っている父や冒険者の努力が無駄になってしまう。

僕は、居ても立っても居られなくなり、浮遊の魔法を使った。

サッと宙に浮いて、ギルドの上空に飛翔。


十数メートル上がったところで、止まって街を一瞥する。

相変わらず、喧騒の中にある人々は理性を失ったままだ。慌てふためく人々は、救いを求めて錯綜している。


だけど、僕は彼等が本当はちゃんと動けることを知っている。

以前の侵攻の際。


ゴーレムに通りを破壊された時。

どちらも、見事に団結して混乱を乗り切ったのは記憶に新しい。

統率が取れ、連携は見事だった。


その実力を今回も発揮してもらう。

そうでなければ、外にいる者だけでなく、城壁内の国民も全滅する。

さっきは理知的に動かないのを目の当たりにして、突発的な怒りに支配されてしまったが、考えてみれば

全員が被害者なのだ。


こんな不気味な空の下で、魔物が攻めて来ている中で。

正気を保つ方が難しい。


それでも、動いてもらわねばならない。

だとしたら、やるべき事はシンプルだ。

僕は声に魔力を込める。


なるべく、広範囲に伝わるように。

なるべく、たくさんの人に聞こえるように。

大声で宣布する。


「全員、聞いてくれ!」


音は木魂となって、響いていく。


「まずは、落ち着いてくれ!今から僕が説明するから!」


まず初めにこちらを向いたのは、外にいた人だった。


「僕は墓守のアーク!パラグリオの息子だ!」


ぽつり、ぽつりと視線がこちらに向いてきて、注目が集まってくる。


「もう一度言う!全員、落ち着いてくれ!聞いてくれ!」


それは声を出している自分でも驚くくらいの大ボリュームで空気を震わせて国中に轟いていった。

聴衆は落ち着いたというより、より大きな衝撃を受けたことで戸惑い、勢いをそがれたといった雰囲気である。


想定外の横やりを入れられて、空気が若干冷えたようだ。

最初の一人が空を見上げたことで隣も吊られて上を仰ぎ見る。

そういう流れが続いて、多くの視線がこちらに向いた。


この好機を、逃すわけにはいかない。


「皆、事態を簡単に説明する。よく聞いてくれ」


伝えたいことは、今のタイミングで伝えるしかない。


「今、国の周囲を囲うようにして魔物が攻めてきている。先に行動してくれた父パラグリオを筆頭に幾人かの冒険者が奮闘して止めてくれている。だけど、魔物の数が多くて、人手も物資も足りていないんだ」


国の危機であること。


国民全員の協力が必要なこと。


「だから、協力してほしい!」


誰に何をして欲しくて。


誰が何処に向かえばいいのか。


簡単に指示を飛ばそうと思う。


「戦える者は武器を持って、外へ!商人は回復薬などの物資を供給できる経路を確保してくれ!町民は城壁を少しでも強固なものにするよう、突貫工事を!国軍は、迅速に自分たちの役割を果たしてくれ!」


お願いだ。

お願いだよ。


「これは国の危機だ!」


今は協力しないと、勝ち目がないんだ。


「各々が役割を果たさなければ、全滅してしまう」


自分のためでなく、人のために、大切な誰かのために、動いてくれ。


「愛する家族を、好きな人を、守るために働いてくれ!」


見せてくれよ。

ちゃんと団結できるってところを。


「空が赤くなって、魔物の数が増えただけで、いつもの侵攻となんら変わりはないんだ。いつものように、結束して、いつものように勝利してくれ!強いディアナの国の力を存分に奴らにみせつけてやってくれ!」


僕の必死の拙い演説は、短く終わる。

言いたいことは、それだけで十分言えたはずだ。


あとは僕の話を耳にして、どれだけの人が行動してくれるか。

それだけが心配である。


が、それも杞憂に終わる。


「分かったぜ、坊主!」

「了解よ、パラグリオの息子ちゃん!」

「任せてくれ!行くぞ、お前ら!」


次々とそうした肯定的な声が上がってくる。

自分でも上手く説明できた気がしなかったが、何とか意味は伝播してくれたようだ。

そうして、一人。また一人と、自分の持ち場に移動するようになる。


冒険者は武器を持ち。

商人はそれをサポートする。

残りの非戦闘員は城壁へ向かっていった。


ここはもう大丈夫だろう。


放っておいても、自分たちで考えてどうにかしてくれる。

そう思わせてくれるだけの理性を、既に人は取り戻していた。


「よし、ここはもう大丈夫だな。……ケトラ!」

「何、お兄ちゃん!」


下にいる妹にも、指示を出しておく。


「僕はこれから、一度城へ向かう。一応、軍がどうなっているかを見ておこうと思う。ケトラは、冒険者に混じって、戦ってほしい。出来れば、父さんの援護を頼む」


今の宣布で、ほとんどの人は自分の役割を自覚したはずだ。

冒険者、商人、町民、そして国軍。


しかし軍に関しては一抹の不安があった。

普段彼らは城内にいるから、姿が見えない。

実際に働いてくれるようになったかは、よく分かっていないのだ。

父に頼まれた本来の依頼は、軍を戦場に引っ張ってくること。

達成できたかどうかを確かめておく必要があると思った。


「分かった!」


指示を受けた妹は、表情を引き締めて内容を了承した。父を手助けするという意味を正確に理解して張り切った様子である。

ケトラは、浮遊の魔法が使えない。


よって、足を使って全力で何処かへ向かっていく。

その背中に、もう悲壮感は見受けられなかった。

ケトラのことを見届けた後、城に向かう。


僕も仕事を終わらせて、早く二人と合流しなければ。

僕は固い決意を胸に宿して、飛翔していく。

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