戦と宣布とカタストロフ1

一週間。


技を見てから、一週間。


毎日の日課に変化が現れた。

ケトラと一緒に墓や結界の維持、ギルドの任務を遂行するのは同じだが。

夕刻に、父と修行を行うのがルーティンに加わることとなった。


修行の内容はもちろん、技の練習に他ならない。

実践を行い、父の技を見る。


そういう日々が日常となった。


普段は仕事ばかりで家を空けがちな父が、こうして毎日指導してくれる。

非常に満足度の高い日々だった。修行は厳しく、苦しいものだったけれど心が充足していたから幾らでも

耐えることが出来た。


話は逸れるけど、カルラやパルマとの文通は続いている。

文面は今日あった出来事や、食べたものといった日常。


戦争を止めるという計画がどれほど進んでいるか、というのは書かれなくなっていた。

だからといって、深堀するわけにもいかず。

モヤモヤとした気持ちは、しこりのように心に残った。


そのため、そろそろ父に相談をして、本格的に動こうと思っていた。

そして迎えた夕方。

いつものように、ケトラに見送られて家を出る。


修行のために、父と二人でいつもの岩場に足を運んだ。

最初に訪れたときに地形が大きく崩れたままであるが、人が足を運ぶことがないのは変わらないため、ずっとここである。


だが、あれから父は反省したらしく。

技を見せるときは、天に向かって力を解放するようになった。

分厚い雲がかかるどんよりした天気が、一瞬で雲一つない空に変わる。


だから、ここ一週間は毎日綺麗な夕焼けが町に降り注いでいた。

僕の鍛錬が終わり、父の技が繰り出される。


跡には夕焼けだけが残される。


それが一連の流れだった。

今日も今日とて、同じ流れを辿り。

修行が終わるころには、また黄昏が頭上に広がっていた。


「あのさ、父さん」


僕は疲れ果てて、仰向けになって寝そべっていた。

肩で呼吸をしながら、視界の端に立っている父に声を掛けようとする。


「何だ?」

「実は……」


カルラとパルマについて、相談しようと思った。

そろそろ本腰を入れて、二人に協力したい。だから、父の助力が欲しかった。


しかし、その時。


突然、空を獄炎が走った。

偶然空を仰ぎ見る格好だったから、よく見えた。

紅蓮の炎が揺蕩い、夕暮れのオレンジを塗り替えていくのが。


それは悪夢のような光景だった。


炎が視界を満たし、陽炎の揺らぎが遠くまで続いていく。


「え」


あまりにも唐突すぎて、僕は始めそういうことしかできなかった。

景色が日常からかけ離れた色に染まっていくのを、受け止めることができずに唖然としてしまっていた。


「な、何が、起きて」


ただ狼狽えてしまい、口がうまく動かない。

救いを求めるように、起き上がって父を見る。


「何だこれは……」


だがその父も、何が起こったのか分からないようだった。

愕然とした表情で、勢いよく夕焼けを飲み込む緋色を眺めている。


「父さん……」


再度僕が呼ぶと、ようやく父はこちらに振り向いた。

ハッと我に帰った顔をしてから、口角を引き締める。

何かを決意したようであった。


「アーク、この状況はマズいかもしれない。正直、俺にもこれが何かは分からないが……。それでも本能が危機感を訴えてきやがる」


「そ、そんなに?」

「ああ、見てみろ」


父は、視線で遠くを見るよう促してきた。

それに従い、首を動かすと、地獄が広がっていた。

思わず、息をのんでしまう。


「っ……!!」


魔物、魔物、魔物。


地平線の向こうから一つの塊のようになった魔物の集団が押し寄せてくるのが分かった。

しかも、ただの魔物ではない。スカーレットドラゴンやオークレジェンド。魔物の中でも所謂上位種にあたる、強いやつらだ。ある程度練度の高い冒険者が数人束になって挑んで、ようやく一体倒せるかといったレベルの強さの魔物たち。


僕でも、一人では数体しか倒せないだろう。

父ですら、あの数では殺されてしまうかもしれない。


そういう数だった。


全ての魔物が、目を紅く輝かせ、荒く息を吐く。

殺気に満ちた独特の雰囲気は、遠くに離れているはずの僕の背筋を凍らせる。


魔物の侵攻。


そう、魔物の侵攻だ。

ここ最近は戦争や修行に脳のリソースを割いてしまっていたので、頭から抜けていたワードだった。


「ケトラが心配だ。お前は、一度家に戻れ」

「父さんは、どうするの?」

「俺はギルドに向かう。早急に対策を立てる必要があるからな」

「そ、そんな……。父さんも一緒に一度帰るべきだよ。あれは父さんでも無理だよ」


本能が、危機を訴えていた。

父が死んでしまう可能性がある。

だから、家族で逃げるべきだと思った。


帰るというより、どこか安全なところへ逃げる。

そういうつもりの発言をしたつもりだった。

そんな僕の思考を見透かしたように父は返答する。


「では、誰がこの状況をいち早くギルドに伝えるんだ?」

「そ、それは冒険者の誰かが……」

「それでは間に合わないだろう。それに誰かが真っ先に気がついたとしても、俺より先にギルドに辿り着く奴はいない。俺が報告しにいくのが、一番早いんだよ」

「なら!報告した後に帰ろう!」

「何を言っている。俺は討伐に向かう。いつものことだろう」

「でも、アイツらは……。あの数は……。いくら父さんでも無理だよ」

「何、別に一人で戦うわけじゃない。戦力をある程度揃えてからやるさ」

「…………」

「それに、家に帰ったところで、それで無事というわけでもないだろ?魔物を殲滅しなければ意味がない。この国から逃げる、という意味でお前が提案しているなら、それこそ無理な相談だ。俺は国を守る義務があるからな」

「王族でもないのに、そんな義務ないよ」

「いや、ある。俺はディアナという国が好きだ。多少人使いが粗い面もあるが、街は人の笑顔で溢れているし、食べ物も美味い。何より、俺が愛した女性。今は亡きお前達の母さんが愛した国だ。好きな人たちがいるこの場所を、好きな人が好きだった土地を、守りたいと思うのは当然だろう」

もう、何もいうことは出来なかった。

「…………!!」


父はこれから、死地へと向かう。

その事実だけが、僕の心に重くのしかかった。


「別に死ぬためにいく訳じゃない。帰ってくるさ」


父は僕の頭を撫でて、そう言った。

優しい、僕が好きな手だった。


「僕も一緒に行くのはダメ?」

「ああ、ダメだ。お前はケトラを守れ」


今までにない強い口調で拒否される。


「なら、せめてこれを塗ってもいい?」


せめてこれだけはという思いで、懐から一つの瓶を取り出して見せる。


「何だ、それは?」

「無事に帰ってくるためのおまじないみたいなものかな」


瓶は、パルマにもらったものだった。中身を塗ると、魔力に反応して塗られた対象が何処にいるかが分かるようになるという優れもの。今日持ってきていたのは偶然だし、それまで使ったことも一度もなかった。咄嗟の思いつきだった。


「分かった、好きにして良い」


中身など知らぬ父は間髪入れずに承認した。

僕は瓶の中身を父の服に擦り込むように、塗る。

父は塗り終わるとすぐに飛翔の魔法を使って飛んでいってしまった。


「じゃあ、ケトラを任せたぞ」

「分かった」


最後に、父は何だか物憂げな表情をしていた。

その理由は考えないことにした。


「はぁ、はぁ、…………」


自宅への移動にはエアロを使った。

体調は悪くなる。魔力も大幅に消費する。

しかし、そうしたデメリットを一切無視できるほどに、エアロという乗り物は速い移動手段なのだ。


「ケトラ……!」


空中から一気に滑空して、滑るように着地する。

乗ってきたエアロを雑に置いて、家の中に転がり込んだ。


「ケトラ、何処にいる!?」


右に左に視線を振るが、中には人の気配がない。

焦って、探索しようと奥に入っていこうとしていたところ、


「アークお兄ちゃん!」


後ろから声をかけられた。

振り向けば、そこにはケトラがいて、急いでいたのか肩で息をしていた。


「空が急に変になっちゃって、私どうしていいか分かんなくて」

「魔物の侵攻が始まったんだ……空が赤くなって、魔物が現れたんだ」

「それで、お父さんは?お兄ちゃんと一緒に修行をしていたんじゃないの?」


キョロキョロと父の姿を求めて目を動かすケトラ。

その姿を見るのは、僕には非常に辛い。


「父さんはギルドに向かったよ。状況を伝えに行った」

「じゃあ、その後戻ってくるんだよね、良かった。今回は何だか、危険な気がするよ」


胸を撫で下ろすケトラに、真実を伝えられない。

押し黙ってし沈黙してしまう。

それが、暗に事実を告げていた。


「嘘……。お父さん帰ってこないの!?どうして!」

「父さんは……その後討伐に向かう、らしい。この国を守るために」

「空の色を見て!こんなの絶対おかしい!いくらお父さんでも危険だよ!」

「そんなこと分かってる!僕は、間近で見たんだ。魔物が列を成して向かってくるのを。そいつらが全部上級の魔物だったっていうことも!」

「それなら尚更だよ!お父さんを無理矢理にでも!無理矢理にでも……」


ケトラの勢いは削がれていく。

力なく、彼女は項垂れてしまった。


「そんなことが出来るなら、父さんはここにいたよね……ごめん」

「いや、僕の方こそ説得出来なくて、ごめん」


お互いに、冷静になる。

そうだ、こうして兄弟で言い争っている場合ではない。

今は無事を確認できただけでも、良しとしなければ。


僕は、自身の頬を両手で挟むようにして叩く。

落ち着け、僕。話はそれからだ。


「僕は父さんにお前を守るように言われてきたんだ。一応聞くけど、どこか怪我したりしてないよね?」

「うん、私は大丈夫」


ケトラは、周囲を指差して続ける。


「実は、空が赤くなった後、見回りに行ってたんだ。結界に異常はなかったし、結界の外にも特に異変は起きてなかったよー」

「そうか、まあ無事なら何よりだ」

「それで、私達はどうすればいいんだろう?」

「とりあえず、気休めかもしれないけど結界の強化だけやっておこう。それからギルドに行って、メンバーを適当に集めて討伐に向かえれば最高だね」


父は僕を着いてくるなと突き放した。

断言はされていないが、ケトラを万が一の事態から守るために僕はここに帰るよう指示されたに違いない。

だけど、僕は素直に従う気になれなかった。


当然、妹は大切だ。


家族として、これ以上ない愛情を感じている。

だが、それは父も同じ。かけがえのない存在だ。


どちらも失う訳にはいかない。ケトラは無事も確認できたし、どこか安全な場所にでも隠れていて貰えばいいだろう。今危険の渦中にいるのは、父だ。たとえ叱責を受けることになっても、助けに行かねば気が済まなかった。


「賛成だよ。お父さんを助けたいし」

「いや、ケトラはダメだ」


ケトラも同じ気持ちであったらしい。

それでも、僕は提案を退けた。


「どうして!?意味が分からないよ」


当然、ケトラは反発してくる。


「家族の無事が優先だからだよ。今無事なケトラを戦場に連れていくのはわざわざ危険な状態にしてしまうことになる。許可できるわけがないよ」

「そんなのアーク兄ちゃんも同じじゃん!」

「確かにそうだね。でも、二人より一人の方が、最悪な場合の犠牲が少なくて済む」

「それを言うなら二人いた方が、ピンチを脱せる可能性が高まるよ」

「ケトラ……」

「聞き分けが悪くてごめん……。でもこればっかりは譲れないよ」

「そうか。分かった。なら、こうしよう」


ここで僕は一つ、提案をすることにした。


「ギルドで、仲間を探すんだ。上級の冒険者を数人、集めることが出来たのなら、戦場に行ってもいい」

「何その条件」

「ケトラが自分で言っただろ。一人二人の方がいいって」

「あ……」

「それなら、二人よりもっとたくさんの人がいた方がいいのは当たり前だ」

「そうだね」

「ケトラが何人連れて来れるかが、僕たちの生死に関わってくる」


だからな、ケトラ。


「頼まれてくれるね?」


妹は、無言で頷く。

それは了解の印だった。


「その代わり一つ、約束して」


そして、要求を呑む代わりとして約束を提示してきた。

何を要求されるか分からなかったから、身構えてしまう。


「お兄ちゃん、私が人を集めている間、お父さんを探すんでしょ」

「うん、そのつもりだよ」

「もし見つけたとしても、参戦しないで一度ちゃんと帰ってくること。そのまま戦っちゃうんじゃ、仲間を集める意味がないから」


それは、ある意味当然の決め事だった。

そうでなければ、僕の言う通りにする道理もなくなってしまうのだ。


「分かった」


だから僕は了承の旨を即答した。


「本当に守れるの?」

「当たり前」

「怪しいなぁ……そうだ、これ!」


訝しんだ妹は、僕が父に塗ったのと同じ瓶を持ち出した。

どうやら兄弟で同じ思考を辿ったらしい。これで、ケトラは僕の居場所がすぐに分かるようになったと言う訳だ。


瓶に何が入っているのか。


「何それ」


僕は知っていたが、知らないふりをした。


「秘密―」


父の居場所を把握していることを悟られないために。

最後。

家を出る前に、母の遺影に挨拶をした。


「何でもいいや、じゃあ行ってきます」


なんとなく、もう帰ってこれないような気がしたから。

母は、相変わらずあの日の笑顔をこちらに向けていた。

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