浮気現場と訓練場2
それから三日後のこと。
世間は休日を迎えていた。
休日がやってくるペースは不変であるが、今週は平日が短く感じた。
王の葬儀から始まり、カルラやパルマとの出会いがあり。
そして何より、父から正式に墓守の当主を受け継ぐことを伝えられた。
目まぐるしく、多くの出来事が起こり、目が回りそうになる一週間だった。父が回復次第、一子相伝の技も教えてもらえることになったので、今後が楽しみである。
今日は久しぶりの休みということで妹と街に出ていた。
天気が良くて、太陽も登りきっていないのに暑さを感じる日差しの強さ。
妹が付き合えというので、朝からである。
まあ、それとは別の理由もあったが。
墓守として、王の葬儀に参加したあの日。カルラと初めて会合した日である。
カルラと最後に、週末に会おうと約束を交わしたのだ。それが今日なのだ。
パルマの一件があった関係で、一度顔を合わせたがそれはまた別の話。
用事などを抜きにして、純粋に遊ぶと言う意味で今日は約束を取り付けたのだ。だが、決めた時間は午後から。
まだかなり余裕があるスケジュールだ。
よって、定刻までの暇つぶしも兼ねて、こうして妹と一緒にいる。
それに、どうせ城に繋がる隠し通路もこの付近にあるのだ。
どちらにせよ、街にはくる必要があった。
「アークお兄ちゃん、浮かれすぎー」
前を歩いていたケトラが、振り返った。
やれやれと、腕を振って呆れている。
「仕方ないじゃないか。正式に当主と認められたんだから」
「もうそれ百回は聞いたよー。流石に聞き飽きたよー」
「まあまあ、いいじゃない。許してあげてよ」
「自分で言うことじゃないからね、それ」
ケトラは大袈裟にうんざりといったポーズを取った。妹には、父の話をした次の日に、食卓を家族で囲んで報告をした。
最初に父が端的に説明して、僕が補足をする形で。
彼女の反応は、ふーんとか、やっぱりー?という冷たいものだった。
興味もなさそうで、両掌に顎を乗せてあっさりとしていた。
事前に知っていたことを今更打ち明けられた、というぐらい冷めていた。
(私の不真面目さと、お兄ちゃんの必死さを考えれば当然のことじゃん。改まって聞くほどのことでもないっていう感じ。とにかく、おめでとう、アークお兄ちゃん)
一応、拍手を送ってはくれたが、あまりにも乾いた拍手だった。
「そんなことより、アレ食べようよー」
ケトラが指を指したのは、ケーキ屋であった。
この前パルマと食べたいくつかの商品を思い出す。
「いいでしょう。兄自ら、オススメを教えてあげよう」
今まで食べたことのないメニューが想像以上に美味しかったのだ。
それを妹にも共有しようという親切心だった。
「どうせパルマ様に教えてもらったことの横流しでしょ。受け売りで偉そうにするのはどうかと思うな」
「う、何故それを」
「今まで私が買ったやつしか食べてこなかったお兄ちゃんが、急にそんなこと言い出すなんて変でしょー。これはスイーツが好きな女の子の影響があると見たね。ここ最近でお兄ちゃんが接触した異性なんて、カルラ様かパルマ様くらいのもの。特にパルマ様とは一緒に色々行動してたみたいだしー?確定だよねー」
合ってるでしょ、と自信満々のケトラ。
悔しいけど、一言一句全てが正しいので否定できない。
「その通りです……」
「あーあ、悲しいなー。当主の座も取られちゃうし、お兄ちゃんの心も他の女の子に取られちゃうし。悲しくて、奢って貰いたい気分だなー」
「結局それか……別に悲しくなくてもケトラは奢らせようとするよね」
「よく分かってるじゃん、流石お兄ちゃん」
「はいはい」
結局、いつも通り僕が財布を出す運びとなる。
妹は満足そうにムフーと鼻息を鳴らしていた。
こうして、午前中いっぱい、妹と談笑する運びとなった。
久々のケトラとの普通の会話は、楽しいのもそうだが、どこかホッとするような心地がした。
とある裏路地の通路。
煉瓦造りの道に、人一人が歩ける程度の狭い幅。
一件何もないように見えるこの場所には、城に通ずる道が隠されていた。
他国から攻め入られたとか、反乱する国民に命を狙われたとか、そういう有事の際に要人が逃げ出すための逃げ道。
城にはそういう通路がいくつか存在しているらしい。
その一つが、ここにある。そういうことだった。
他にも海の方に繋がる長い道や、ただ城の庭に抜けるだけの道もあるという。
そんなところに道を作ってどうするんだと思うが、考えても詮無きことだ。
ともかく、城に侵入しなければ。
今すべきことは、それだけである。
今日は特段荷物も持たず、買い物での戦利品もケトラに任せたので身軽なものだ。
唯一、手見上げをポケットにしまっている程度で、その他は何もない。
スコップすら、今日は家に置いてきている。
ついでに言えば、制服すら脱いでいて、今日は普通の格好をしていた。
「よし……」
周囲に人がいないことを確認して、扉を開く。
もう二回目なので、特に迷うこともなく順調に侵入できた。
通路も問題なく進行していき、すぐに目的の場所に辿り着いた。
「カルラ……?」
出口の蓋をそっと外して、部屋の様子を伺う。前回と全く同じ道程を辿ったので、今回もカルラの部屋が到達点である。
周囲に執事さんなどがいないか、確かめるようにカルラを呼ぶ。
「アーク……大丈夫だよ」
そんな慎重さも、カルラの返事で杞憂だと分かる。
どうやら、入っても問題ないようだった。
しかし、カルラから返ってきた返事は暗く、落ち込んでいた。
不思議に思いつつも、体を入り口から出して部屋に入る。前に訪れたときと、変わらぬ部屋がそこにはあった。
シンプルながらに、高級感がある家具。
可愛らしいぬいぐるみに、ピンクの色彩。
前と唯一異なるのは、中央のテーブルだ。小さなテーブルで、椅子が二つ対面するように置かれている。上にはお茶と菓子が添えられていて、来客用であることが一目でわかった。
おそらく、僕が来るということで準備してくれたのだろう。
その心づかいが嬉しかった。
「カルラ、どうしたの?」
カルラ本人は、部屋の端に立っていた。
どこか虚ろな目で、焦点が定まっていない。
「アーク、私どうしたらいいと思う?父様が戦争戦争って、そればかりなの」
僕の方に寄ってくると、そのまま抱き着いてきた。
胸に顔を埋めて、顔を隠す。目からは涙が溢れていた。
「喧嘩は辞めてって、必死に訴えても、私が何を言ってもダメなの。これはもう、遊びじゃないんだっ
て。あんなに怖い父様、初めてで、私……私……」
「カルラ、落ち着いて。大丈夫だから」
それに対して、僕が力になれることはあまりない。
掛けられる言葉も、一つもない。
父が戦争を起こそうとしている、そんな極限の状況に置かれる彼女の心情は察する。
しかし、陳腐な慰めは、むしろカルラを傷つけるだけだ。
優しく、寄り添おうと努力すること。
それしかできることはなかった。
「ごめん、アーク……せっかく遊びに来てもらったのに……」
ひとまず、カルラを椅子に座ってもらう。
用意してあった紅茶を飲んでもらって、お菓子を食べるよう促す。
来客をもてなすためのそれらは、用意した主を癒すために働くことになった。
「いや、いいよ。むしろ、辛いことがあるならこうして相談してもらえた方がいいかな。僕達、友達なんでしょ?」
「そうだね……」
できることは少ない。
だが、友達として、可能な限りは手を尽くす。
それが友人としての最大の敬意の払い方だと僕は思う。
「それで、詳しく話してもらえるかな?」
「うん」
一呼吸置いて、カルラは深呼吸した。
息を大きく吸って、吐いてを繰り返していく。
「あのね、アークがパルマのことを聞きにきたあの日、最後に執事が来たのを覚えてる?」
「覚えているよ」
確か、カルラに大事な話があると言っていたはず。
し執事の来訪を受けて、退散することにしたのは記憶にも新しい。
「大事な要件だっていうから、何かと思ったの。そしたら、お嬢様、一大事でございますって。私、そんなこと今までなかったから慌てちゃって。内容は父とイルディオが争っていて、一触即発だって」
「シリウス様とイルディオ様か……」
二人の姿が脳裏に浮かぶ。やはり城で争っていた印象が強い。
彼らが一触即発という状況も容易に想像できるほどには。
「そうなの……。それで慌てて様子を見に行ったら、二人ともすごい剣幕で……とても私が口を挟める空気じゃなかった。本当に怖かった。それから、すぐに戦争だって、決着はお互いのどちらかの命が尽きるまでだって」
カルラは再びその時の恐怖が蘇ったようだった。
肩を震わせて、顔からは血の気が引いている。
「今日まで戦争はやめてって何度も何度も父様には訴えてきたけど、聞く耳を持ってもらえなかったの。本当に、準備が整い次第始まりそうな勢い……。もう、私にはどうすることも出来ない……アーク、私どうしたらいいの?」
カルラが真っ直ぐこちらを見つめてくる。
その瞳は、切実に誰かに助けを求めていた。
どうにかしてあげたい。だが、僕に言えることなんて……。
そう思っていた時、父との会話を思い出した。墓守の後継の話ですっかり忘れてしまっていたが、最初に戦争の今後についても触れていた。
(まず戦争の方だが、起きる可能性は否定できない。止められるうちは、止めるために尽力はするがな。だから、安心しろとは言わないが、そう悲観もするな)
そうだ。
父も戦争を止めるために動いてくれるのだ。
何より僕が尊敬するあの父が。
それに、感情を抜きにしても、墓守の実力が世間で評価されているのは事実。
これだと、確信した。
取り乱すカルラの手を握って、優しく両手で包む。
「大丈夫、戦争は起きない。起こさせないよ。僕の父は知っているでしょ?」
「うん……パラグリオさん。すごく恰幅がよくて、強そうな人だった」
「僕の父はその見た目通りの人なんだ。強くて、大きくて、すごい人。息子の僕が褒めると身内贔屓に聞こえるだろうけど、本当にそうなんだ」
カルラは無言で耳を傾けていた。
「その父が言ったんだ。そんなもの起こさせないって、そうならないように動くって。父は前王とも仲が良かったみたいだし、何よりこの国が好きだから……。それに、反対しているのは父だけじゃない。僕や妹、もちろんカルラも。止めようとする人がたくさんいる。みんなで協力すれば、何とかなるよ」
「……そうだね」
気休めだとは分かっていた。
国のトップが一度決めたのなら、止める術などない。
たとえ父がどれほど優れていたとしても。
どれだけの人が反対しているかなど、関係なく。
だが、カルラに対して……いや、自分自身に向けて、言い聞かせるために。
そう言う他なかった。
「アークは優しいね。アークがパパだったら、こんなことにはならなかったのかな」
カルラは俯いてしまい、気力がしぼんでいくようだった。
僕が父親だったらなどという、荒唐無稽な考えが浮かんでくるほど、脳が疲れている様子。
「ははは……そうだったら、面白いね」
居たたまれなくなって、よく分からない返事をしてしまった。
どうやら、疲れているのはこちらも同じであるようだ。
と、僕たちが暗い気持ちを少しでも鼓舞しようとしていると
「カルラ!いるわね!」
勢いよく入り口の扉が開かれた。
バン、と大きな音が鳴り、扉が壊れそうだった。
現れたのは、パルマだ。
意気揚々と乗り込んできたパルマの頭上には、針金の王冠が躍っている。
相変わらず、黒い髪が美しい少女である。
僕たちは、不意を突かれて体が硬直してしまった。誰かに見つかったという気持ちと、驚きが合わさって一瞬動くことができなかった。
カルラなど氷結の魔法でも受けたかの如く、フリーズしている。
ビクッと音に反応はしたが、まるで人形にでもなったように固まった。
テーブルと下を向くカルラのつむじ越しにパルマと目が合う。
彼女も僕がここにいたのが予想外であったらしく、
「あ、あれ、アーク……?こ、こんなところで何を……」
動揺したせいか声が上ずってしまっていた。
面白いくらい慌てていて、アタフタしている様子。
何故か体を手で隠そうと、必死になって両手を動かしているようだった。
人は、自分より慌てふためいている人を目の前にすると却って冷静になるもので、パルマを見ていると気分が落ち着いてきた。
手元にあった、茶を一口すすり、パルマを改めてみる。
それで、ようやく気が付いた。
パルマは風呂にでも入ってきたばかりなのだろう。
黒のパジャマを身にまとい、完全にリラックスした姿であった。
髪もよく見れば濡れていて、ほとんど乾いていない。
全身からは蒸気がほのかに立ち昇っていて、温かそうだ。
おそらく、風呂場でカルラへの用事があったことなどを思い出して、身なりを整える前にここに飛び込んできたのだろう。
走ってきたせいか、少し汗もかいている。
これでは風呂に入った意味がほとんどない。
そういえば、妹のケトラも、風呂に入ったときはこんな感じであったな。
すぐにお菓子を食べたいだのなんだのと言ってバタバタと動いていた妹の姿を思い出す。
二人の意外な共通点を見つけて、思わず吹き出してしまう。
「フ、フフ」
僕の中の暗い気持ちが、吹き飛んだ気がした。
「何笑ってるのよ!」
パルマは怒っていたが。
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