浮気現場と訓練場1

ひとまず僕たちは家に帰ることにした。


考えごとは、ゆっくりご飯を食べてからでも遅くはない。

父のその言葉を受けて、とりあえずは夕飯を食べることにしたのである。

だが、帰宅して食事をしたが、戦争という言葉が持つ緊張感のせいで、まともに味を感じることも出来なかった。


妹も同じで、下を向いて食器を動かしていた。

父はいつも通りであったが、そういう風に振る舞っているだけであることは子供の僕であっても理解できる。


父は強かったが、僕は弱かった。

父のようにいつもの調子で動くことは叶わなかった。

いつもより静かな食事を終えて、部屋に戻る。


拾った記事の内容を詳しく読むことにした。

そこに書いてあるはシンプルなものである。


「王は亡くなった。王位継承を巡って、シリウスとイルディオは対立。話し合いは苛烈を極め、遂には武力での決戦へ……か」


読み上げると、まるで光景が浮かんでくるようだった。

シリウスとイルディオが争う様子が。


城で大暴れしていた二人を思い出す。


あの時は、本当に一触即発といった感じだった。

僕達が間に入って止めなければ、部屋は消し炭になっていたかもしれない。


それぐらいの剣幕があったのを覚えている。


「ふー……」


思わず、溜息が出てしまう。

まさか、話し合いで結論が出ないとは。

いや、まだ戦争が確定したというわけではないか。


可能性が示唆されているだけで、決定事項というわけではない。

それでも、不安であるのは二人の対立を目の当たりにしているからだ。

本当にそうなってもおかしくないのを、肌で感じてきたから。


新聞の記事一つとは、説得力が違う。


「お兄ちゃん、大丈夫だよね、きっと」


寝巻に着替えたケトラは、いつもより弱弱しい。

いつもの元気で調子のいい少女の面影がなくなってしまっている。


「多分ね。そうならないことを祈るしかない」


根拠のない希望的観測といった返事しか、今は返せない。

町では、戦争が始まるかもしれないという男の訴えを笑うモノが幾人かいた。


そんなわけないと、王が死んだというのも本当のことなのかと、疑う声は少数派ではなかった。

それはそうだ。

まだ、城は正式には王の死を告知していない。


日常が続いている人々に、簡単に想像できることではないのだ。

そういう意味で、真の意味で記事を深刻に受け取ったのは墓守や城の関係者だけだろう。ふと、二人の少女を思い出す。カルラにパルマ。


二人はどんな気持ちであるのだろうか。


自分の親が戦争を引き起こす張本人になる可能性がある。

僕だったら、耐えられる自信がない。

カルラもパルマも、僕より少し年下だ。いくら王族で、次期王候補の娘とであったとしても、少女であるという事実は変わらない。


純粋に、二人の心が心配だと思った。


「パルマ、大丈夫かな……」

「分からない……けど、きっと落ち込んでいるとは思う」

「そうだね、次会うときは励ましてあげたいね」

「うん」


それっきり、会話が途切れてしまう。

沈黙が、部屋を支配していた。

カチカチと時を刻む魔道具の針が動く小さな音が聞こえる。

そんな静寂の中で、コツコツと、階段を上がってくる足音がドアの外から鳴り響いた。

足音はだんだんと近づいてきて、やがて部屋の前で止まる。


すると、コンコンと今度は部屋のドアがノックされた。


「どうぞ」


気力なく、ノックの主に入るように促す。


「ああ、入るぞ」


入ってきたのは、同じ家の中なので当たり前ではあるが、父だった。

相変わらず古びた制服を着ていて、寝巻に着替えることもない。いつ会っても、この格好をしているのだから不思議なものである。


寝るときくらい、リラックスすればいいのに。


「アーク。話がある。ついてきてくれ」


父は神妙な顔をしていた。どうして、とか、何の用、とか聞ける空気ではない。

毎日笑顔でいる父としては珍しい真剣さだった。


だから、有無を言わせぬ力があり、僕は大人しく従った。


「分かった」


ケトラは、そんな僕を心配そうに見ていた。


ついてこい。


深く理由を考えることもなく、僕はただ後ろを歩いた。


正確には、考えるまでもない、が正しいところだ。今日の流れを受けて、大切な話など戦争についてといった重い話題しかありえない。なので、心構えがなんとなくできていた。そのおかげで、気分は落ち着いている。


具体的に何を言われるかは分からなかったけれど。


しかし、ある程度アタリが付けられたことで夜の湖面のように胸の内は凪いでいる。

そのまま父の背中を追い、歩を進めていると、いつの間にか体は家の屋根の上に辿り着いていた。

二階の窓から身を出して、屋根に体を乗せたのだ。


時間帯はすっかり夜になっていて、暗い。

ここは郊外で魔法の街灯もないので、本当に一面が真っ暗だ。

その代わりに天から降り注ぐ、半分の月と数えきれない星の光が鮮やかに空を照らしていた。特に今日は雲も一つもなく、景色が綺麗だった。


この家も、都会から離れているので、周囲は静かなもの。

虫の鳴き声や、草の揺れる音が微かに耳に届いて気持ちがいい。

そんな、穏やかな夜だった。


僕と父は、斜めになっている屋根に、座った。

広い空が一望できる特等席。


「アーク。こうして二人きりで話をするのも久しぶりだな」


父は、ジャブとしてそんなふうに切り出した。


「そうかな。覚えていないよ」


嘘だ。


本当は、よく覚えている。小さい頃、母が亡くなってすぐの頃。

母がいないという悲しみに打ちひしがれていた幼少期の自分に、父は丁寧に接してくれていた。

今のように、二人で話す時間を設けて、色々な話をしてくれた。


冒険の話、自分の昔話。雑多に何でも語ってくれた。

あの時間は、僕にとって宝物なのだから。

しかし、その思いを素直に打ち明けることは恥ずかしいことであるように思えた。


「俺の妻であり、お前たちの母であるメアリーが亡くなってすぐの頃は、こうしてよく二人で話をしたものだったな」


懐かしそうに、父は思い出を噛み締めていた。


「ケトラが家に来たばかりだったから、暗い気分にさせないようにって、自分も悲しいのに必死に強がってたのを、昨日のことのように思い出すよ」


酒に酔っているのか、顔が酒気を帯びて赤らんでいる。


「どうして急にそんな昔のことを……」


思ったことをそのまま口にしてみる。

父が何を考えているのか、全く意味不明であったから。


僕が困惑していることを察してか、父は本題に触れていく。


「まあ、そう焦るなよ。ちゃんと話してやるからさ」

「……」

「そんな目をするなよ。戦争のことにも触れるからさ。ただ、話をしたいのは、そのことだけじゃないんだ」

「分かった」

「まず戦争の方だが、起きる可能性は否定できない。止められるうちは、止めるために尽力はするがな。だから、安心しろとは言わないが、そう悲観もするな」

「うん……」


だが、戦争については父はそこまで気にしているようではなかった。


それだけで、すぐに語り口は止まってしまう。

それから、父にとっての本題が始まるようであった。

戦争以外の内容。いったい何の話をされるのだろう。


「アーク、城で俺がお前にカルラ様と話をするよう促したこと、覚えているだろ?」

「忘れるはずもないよ……」


そう、忘れるはずもない。


「何で今、そんな話をするの」


僕が仕事を任されると思っていたのに、父は妹に仕事を振り、僕には少女と談笑していろという指示を出したこと。あまりにも悔しかったので、記憶を封印して、なるべく思い出さないように努めていたのに。


「違うな、今だからこそ、この話をする必要があるのさ」


父の方から触れてくるなんて。


「あの日、仕事を振られると期待していたであろうアークにとっては非常に不服だっただろうな」

「不服だったよ……普段の仕事だってケトラより真面目にやってるし、準備だって問題なく行える自信があった。任せてもらえると、思ってた」

「確かに、そうだな。お前の墓守という仕事に対する姿勢は評価に値する。普通なら、任せていたと思う。だが、あの時そうしなかった理由は二つあるんだ」


父は指を二本立てて、僕の方に向けた。

そのうちの一本を折って、言う。


「一つ目は、極度の緊張状態にあったことだ。自分では気が付かなかったかもしれないが、アークはあの時、仕事に前のめりになり過ぎていて、肩も震えていたし呼吸も乱れていた。とてもじゃないが、作業をさせようという気にはならなかった。何より、あのままでは絶対にミスをしていただろう。ミスはカバーできるからまだ問題がないが、それでアークが自身を失ってしまう可能性もあった。そんなつまらないことで、つまづいてほしくない、そう思ったのさ。そして、それに自分で自分の状態に気づいて欲しかった。カルラ様と話せば、同じように、いやアーク以上に緊張している彼女と話せばそれに気がつくと踏んだんだがね」


残りの一本を折って、続ける。


「二つ目は、墓守としての仕事をする上で、コネクションは大切だからだ。墓守というのは国から正式に認められた仕事だ。そんな大役を任されている以上、大きな責任が伴うのさ。ミス一つすることがあってはならない。何故なら、誰かの大切な人の遺体を預かる身として、魔物にそれが奪われることはあってはならないからだ。一度奪われ、アンデットとなった死体は殺すしかなくなる。遺体を、この世から消すしかない。分かっているな?」


「もちろん」


「そして、魔物は日々進化している。昨日敗れなかった結界をどう破るかを考える知性を持った種族も存在する。そんな奴等とまともに戦う為には多くの人の助けが必要だ。武器、魔法、単純に人手。助けはいくらあっても困らない。特に王族の協力を得ると、段違いにやり易くなる。研究をしているなら、許可が降り易くなるし、予算が不足しているなら補助してもらえる。俺が王と懇意にしていたのは、友情も大きいがそれだけじゃない。そうした助力を得る為でもあったのさ」


言いたいことが分かるか、と父は聞いてくる。


必死に頭を回して、自分なりの回答を用意した。


「王様が亡くなって、王族との繋がりが薄くなったから、今度は孫の代と仲良くしようと父さんは思った。だから、僕に話をしてこいって言ったってこと?」

「うーん、五十点てところだな。間違いではないが、満点ではない」

「それ以外に何の意味があるってのさ」

「分からないか?」

「謎々じゃないんだから、分かるわけないじゃん」

「それは、残念だな」


父は笑っていた。そこには、いつもの父がいた。

僕は不貞腐れてそっぽを向く。

綺麗な空の景色が、やけに白々しく感じられた。


「俺はな、そろそろ引退することにしたんだ」

「え?」


背中越しに、意外な事実が明かされる。それは、青天の霹靂だった。

思わず振り返ってしまう。不貞腐れていた陰鬱な気分など、吹き飛ばすような衝撃。

父の引退、というワードにはそれだけの力が込められていた。


「もちろん、今すぐじゃない。お前達にもっと仕事を教えて、きちんと継承できると判断してからだ。でもな、最近体が衰えていると感じているんだ」

「な、何だよ急に引退って!突然すぎるよ!」


居ても立っても居られなくなって、反論してしまう。

父は僕にとって大きな目標だ。


その背中を超える前に引退されてしまっては、勝ち逃げされるのと同じ。

とてもじゃないが、納得できるものではなかった。


「言ったろ。今すぐじゃないって。それにな……」


父は徐に、制服の上を脱ぎ始めた。

それから、露出した背中をこちらに向けてきた。


「!」


そこには、大きな傷があった。右上から左下にかけて。

巨大な爪で一線、薙ぎ払われたような傷跡が。


肉を大きく抉り、血が滲んでいる。最近、それも昨日今日で受けたダメージであるのようで、まだ全然治っていなかった。


きっと、あの傷ではポーションを活用しても跡が残ってしまうだろう。

ゴーレムを一撃で葬り去った光景を思い出す。

あれだけ、圧倒的な力を持つ父が深傷を負う相手。


そんな魔物が、存在するはずもない。信じられなかった。


「ドジをやっちまってな。このザマだ」


父は再び服を着て、毅然としたまま腰を下ろす。痛みは残っているはずなのに、そんな素振りも一切表に出さない。


「かなり強い奴が今回の侵攻で現れてね、そいつのトドメを指す前に一撃もらっちまったのさ。毒を持っていたのか、理屈はよくわからないが、回復薬の類も全く効果がなくてね。困ったものだよ。昔なら、こんなミスしなかったんだけどな」

「父さん……」

「だから、完全に衰えが来てしまう前に、俺の戦士としての命の灯火が完全に消えてしまう前に、技を継承しようと考えている」


唐突過ぎて、頭が追いつかない。


そのはずなのに、父の話は否が応でも頭の中に入ってくる。


「よく聞け、アーク。俺はお前に正式に跡を継いでほしいと考えている。ケトラは、仕事を継ぐことにさして興味がない。最終的にはお前の補佐になるだろう。これは、俺の中では決定事項だ。引き受けてくれるか?」


父はやはり、いつもの調子でそう言った。


とても大切なことなのに、雑談でもするかのような。

ぼうっとしていたら、聞き逃してしまいそうな抑揚で。

それは父なりの照れ隠しだったのかもしれないが。


だけど、僕の耳にははっきり届いた。この世に生を受けてから、今日までの素晴らしき日々の中で、最も嬉しい言の葉だった。

耳の奥がツンとして、目頭が熱くなるのを感じる。

僕は、涙を流してしまっていた。


最も尊敬する人から、最も言って欲しかったことを言ってもらえたのだ。

こうして号泣してしまうのは必然だった。

恥も外聞もなく、ただ涙と鼻水を垂れ流して泣いた。


そうして、感情が昂った後、


「当然、引き受けるよ……」


僕は墓守当主の座位を受け継ぐことが決定した。


「そう泣くな、大袈裟な奴め。まあ、俺の傷が回復してから、きちんと手続きだのなんだのは行おうと思う。ケトラにもちゃんと伝える必要もあるしな」


「うん……うん……」

「それから、アーク。記念に今度、一子相伝の技を伝授してやろう」


その夜は、僕にとって最高の夜になった。

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