黒い友達、騒がしい街5
「帰ったらやりたいことがあるの。付き合ってくれる?」
街道を馬で進む中、パルマはそんなふうに聞いてきた。
馬は一頭しか借りておらず、僕が手綱を握っていて、背後にはパルマが座っている。
馬を選んだのは、流石にパルマをエアロに乗せる訳には行かなかったからだ。
王族にあれを経験させるのは、流石に憚られた。
なので、馬上で揺れることになった。
僕が持ってきた荷物が存外多かったので、馬車は荷物で埋まってしまった。
パルマ用の馬を別で用意することも考えたが、彼女はそれを断った。
背中を借りるわ。
その一言で、この形に落ち着いた。
「いいよ。報告を済ませた後でならね」
「ああ、サニクリーンに。真面目ね」
「普通のことだよ」
「今回は私との用事を優先させなさい。これは命令よ。それに、報告の必要もないと思うわ」
無茶苦茶だ。
だが、拒否権がないことも明らか。
大人しく頷いて、受け入れるしか選択肢はなかった。
「分かった。でも報告の必要がないってどう言う意味?」
「それはすぐに分かることよ」
パルマは楽しそうに笑っていた。
帰ると、街は落ち着きを取り戻していた。
行く前、ゴーレムに壊された部分を元に戻すための工事をしていたことや、魔物の侵攻へ向けた準備で喧騒に包まれていたのは記憶に新しい。
それが一変して、穏やかな空気が全体に流れている。
僕たちは、中央のメイン通りまで歩いてきていた。
まだ完全に元通りとはいかないけれど、商売を行える程度にはなったようで、
「安いよー!復興セールで割引しちゃうよ!」「新しい素材がたくさん入っているよ!冒険者から、商人まで、全員見ていかないと損だよ!」「そこの人、試着してみない?」
といったように、商人魂溢れる掛け声が飛び交っている。
それに吊られた人々が、物珍しそうに露店の商品に見入っていく。
「うん、やっぱり魔物の侵攻も解決したみたいだね」
そんな通りの様子を見て、パルマは安堵していた。
どうやら、店に尋ねている客層から、そう判断しているようだった。
客の中には、多くの冒険者らしき人物がいて、全員落ち着いた様子。
呑気な顔をしていた。
おそらく、討伐帰りなのであろう。
「それで、用事っていうのは何?」
全体を確認した後、本題に触れる。
前を歩いていたパルマが、くるりと回って振り返った。
そして、口角をぐっと上げて待ってましたといわんばかりの表情だった。
「私のしたいことを全部やる、それが用事よ」
「え?何だって?」
一瞬、理解が追い付かずに、思わず聞き返してしまう。
「ちゃんと聞きなさいよね。私のやりたいことを全て行うって言ったのよ。買いたいものを買って、食べたいものを食べて、話したい人と話す。そうして、私が満足するまで遊ぶこと。アークはそれに付き合えばいいのよ」
分かった?と言わんばかりの表情をするパルマ。
意味は分かったが、内容については拍子抜けというのが正直なところだった。
パルマの口ぶりからして、どんな用事かと色々考えていたが。
自分と遊べというのは全く予想していなかった。
僕がボケッとしていると、
「だから、ほら。早く行くわよ」
パルマは僕の手を掴んで、走り始めた。
有無を言わせない強引さであったが、悪い気はしなかった。
そんなパルマに導かれて、僕たちは様々な場所を訪れる。
お菓子屋、服屋、宝石屋といった通常の店だけでなく、冒険者のギルドや教会といった施設まで幅広く。
今まで一度も訪れたこともない場所が多かった。
ケトラの買い物に付き合わされて、色々な店舗を回ることがよくある。
ケトラは特にスイーツを好むので、そうした類の飲食物は大体知っている自信があった。
しかし、そんなお菓子屋ですら知らない店が数箇所あった。
こんなの分かるはずがない、という隠れた場所にも店はあるものらしい。
悉く常識を覆されるような、新鮮な体験だった。
知っている店ですら、
「アーク、これを食べてみなさい!」
試したことのないメニューに挑戦することになり、
「何これ……ん、美味しい……」
新たな発見ができるのだから、飽きるはずもなかった。
「アーク、次は部屋の飾りを買って、その次は釣具を見るわ、それから……」
だが、そうして街を回っている中で、一番驚いたのは店に関してではない。
「こんにちはパルマ様、今日は墓守の人と一緒かい?」
たくさんの人が話しかけてくることだった。
「モグモグ……そうよ!モグモグ……いいでしょー」
パルマは慣れているようで、よく分からない肉料理を口に頬張りながら返事をしていた。
「おお、パルマ様。これ、新商品です。試してください」
「パルマ様―、こっち向いてー!」
「はいはいはーい!」
パルマがよく街に降っていることは有名だから知っていた。
ただ、まさかここまで人気があるとは思わなかったが。
「パルマって、王族っていうよりアイドルみたいだね」
「ふっふっふっ。嬉しい限りだわ。でも、アイドルとは違うわね。単純に私がこの国や、人が好きなだけよ」
パルマはニコッとはにかんだ。
魅力的な表情だったので、思わずドキッとしてしまう。
そんな風に、外遊を楽しんでいる時、
「きゃー!誰か助けて!泥棒、泥棒よ!」
どこからともなく、助けを求める声が聞こえてきた。裏路地の方からの救援であるようだ。僕はその声を受けて、即座に体が反応して動いた。誰かが助けを求めているなら、駆けつけるべきであるからだ。
「アーク!」
「分かってる!」
パルマもそれは同じだったようで、僕と同等の、あるいはそれ以上の反応速度で足が動き出していた。アイコンタクトをして、方向はあっちだ、と合図する。一瞬の以心伝心で僕たちは一つの裏路地に向かっていく。
そこには、大勢の人だかりが出来ていた。
基本的に野次馬ばかりであるが、その観衆が想像よりも多い。
「誰も動くんじゃねえ!コイツを殺してしまうぞ!なあ、おい!」
泥棒は逃げ道を失って焦ったのか、野次馬を一人捕まえて、首にナイフを当てる。
俺を見逃さなければ、殺人を犯す。その意思表示なのだ。
泥棒の行動に、観衆の間で動揺が広がった。ざわめきが伝播していく。
人の垣根をパルマと共に無理矢理に抜けて、前に出る。
人だかりの中央に、ぽっかりと空いた穴のような空間があった。
その中心で、事態は進行している。
「くそ……復興の最中なら、警備が甘くなると踏んだんだがな……逆効果だったかもしれねぇ……」
悔しそうな顔をする泥棒。
泥棒は、背の高い男だった。
格好はごく普通で、麻の布地のシンプルな茶色の服を着ていた。
これといった特徴もないが、強いて言えば他の人より目力が強い。野生の飢えた魔物のように鋭く、人質にした女性を見ている。
女性は、腰が抜けているのか自立する力を失っていた。
涙で顔を濡らし、無理矢理男に立たされているといった感じだった。
泥棒のこんなはずじゃなかったといった焦りが、額の汗となって現れていた。
彼はひったくりをした後、人混みに紛れて逃げる腹積りだったのだろう。
計算外だったのは、想像以上に裏路地に人がいたこと。
どこからともなく人が現れたせいで、逃げ道を失ったのだ。
結果、囲まれてしまい、かえって自らの悪行が晒される結果となってしまっている。
パルマは、そんな哀れな泥棒の元に歩み寄った。
人目や自分の立場を顧みず、前に出ていく。
野次馬の人垣の中で、男と対立した。
「アーク、終わったら遊びの続きよ」
女性の命が掛かっているというのに、パルマは平然としている。
物品漁りをしていたときと、同じ調子で緊張が一切見られない。
慣れているのか、心臓に毛が生えているだけか、理由は分からないが……。
「あ、ああ分かった」
反対に、僕は緊張していた。
それは、泥棒と対峙して恐怖を感じているから、というよりは周囲に人が大勢いるからである。普段、墓守の仕事をする時は周りに誰もいないことが多かったから、たくさんの視線に晒されることに慣れていないのだ。
これだけのギャラリーを背負うことは、初めての経験だった。
王の葬儀でも、視線が集まっていたのは僕ではなく父だったから。
故に、パルマの堂々とした様子に尊敬の念を抱いた。
「とりあえずアークは見ているだけでいいよ。私がなんとかするから。その代わり、ピンチになることがあったら助けてね」
「ピンチになることがあるの……?」
「……ないわ」
彼女は力強く笑った。
それは、自信や安心させるための嘘ではない。
単なる確定事項であるようだった。
不思議と、彼女の言葉には安心させる力があるようだった。
人の視線によって強張っていた体が、リラックスするのを感じる。
そして、僕と同様に安堵を覚えた観衆が、
「パルマ様―!頑張ってー!」「何?パルマ様がいるってのか?俺にも見せろ!」「パルマ様が来たならもう大丈夫だね。事件は解決したも同然だよ」
といったように各々パルマに檄を飛ばす。
やはり、僕と遊んでいたこの少女は人気があるらしい。
一緒にいればいるほど、そのことを痛感させられる。
「こんなところに王族の娘だと……!?しかも墓守までセットかよ!?」
僕にとって、一番しっくりくる反応をしたのはむしろ泥棒の方だった。
「畜生ついてねえ」
王族という肩書に怯みながら、男は自身の運のなさを嘆く。
「いいえ、むしろ運がいいわ。今投降すれば、王族である私自ら、減刑を訴えてあげるんだもの」
「そうやって、甘い餌をぶら下げれば、俺が食いつくとでも?」
「食いつかなければ、逆に重い刑を申告するまでよ」
「俺は絶対に捕まらないから、その選択には乗れないな。見逃すっていう選択肢はないのかよ?なあ、王族さんよぉ」
男はへらへらと、笑っている。
パルマは、犯罪者相手に強気の姿勢を崩さない。
「勘違いしないで。貴方の逮捕は、もう決定事項よ。出頭するか、逮捕されるか、それ以外の選択肢は存在しないわ」
「おいおい、勘違いしているのはそっちじゃないのか?」
男は、そういうと手元のナイフを人質の少女の首にはわせる。
鋭い切っ先が、薄く皮を切り裂いた。
ナイフの刃を伝って、血の雫が地面に流れていく。
「いっ……!」
痛みを受けて、少女から小さな悲鳴が上がる。
苦痛に表情が歪み、彼女は苦しさから更に涙を瞳から零した。
「傷をつけてしまってごめんなさい。でも大丈夫よ、私がすぐ助けるわ」
パルマは優しく微笑んだ。
「おいおい、状況が分かってないのかよ。今、有利なのは俺の方なんだぞ」
「そうね、あと数秒。貴方の有利は続くでしょうね」
「数秒?何を言ってや……」
次の瞬間、状況は動いた。
パルマはどこからともなく、黒い大剣を取り出した。
金の縁取りがされたその大剣を、パルマは握り、その場で地面に多叩きつけるように頭上から降り下ろし
た。剣はその重さを以て、路上のレンガを砕く。
かと思ったら、今度は剣を天に向かって突き上げる。
すると、砕けたレンガの破片が一つ、剣の切っ先に弾かれて飛んでいった。
「ぐっ!」
破片はそのまま、男の眉間に命中する。
受けた小さなダメージから、一瞬男が女性から手を離した。
自分の額に手を当てて、痛がっている。
その一瞬の隙を、パルマは見逃さない。
剣をその場に置いて、縮地。
弾丸のように男に向かって突っ込んでいくと、躊躇なく懐に飛び込んだ。
人質の女性を抱きかかえて、すぐさま後退する。僕が瞬き一つしているうちに女性を回収して戻ってきてしまった。
息もつかせぬ怒涛の勢いで、宣言通り状況を変えて見せたのだ。
「ね、数秒だったでしょ?」
キメ台詞として、声高らかにパルマは言った。
あまりにも鮮やかな救出劇に観衆から黄色い声援が飛ぶ。
救い出された女性は、パルマにお姫様のように抱えられていた。
彼女は顔を赤らめて、恍惚とした表情でパルマを見つめている。
その場に女性を下ろすと、ひたすらに頭を下げてパルマに感謝していた。
この場でのパルマは間違いなく英雄だった。
だが、完全に事件は解決したわけではない。
「くそっ……こうなったら逃げるしかねえ!」
男は、人質を失い、もう逃げるしか手段が残されていない。
脱兎のごとく、駆け足でこの場から去ろうと試みる。
「どきやがれ!」
周囲の人間を押しのけて、転ばせたり、突き飛ばしてみたりして、どんどん奥へ奥へと駆けていく。ただひたすらに、我武者羅に体を動かす。
必死な様子は、鬼気迫るものがあった。
「諦めの悪い人はカッコ悪いわ」
「そうだね」
やれやれといった顔をして、パルマは置いた剣を回収した。
さっと一振りすると剣はそのままどこかに消えてしまった。まるで、マジックでも見ているかのようである。
「ゆっくりしていて大丈夫なの?」
パルマの緩慢な所作で追う準備をしていた。
これでは間に合わないのではないか、見失うのではないかと思う。
「大丈夫よ」
「現に逃げられちゃってるし」
「あえて逃がしているのよ。今追いかけたら、無関係な人とぶつかるだけでしょ」
「それはそうだけど、見失っちゃわない?」
「ああ、アークはそれを心配していたのね。大丈夫よ、ほら」
パルマは、自分の指先を僕に向けた。
特にコメントすることもない、普通の指先であった。
それが、じっと見ていると輝き始める。
彼女の右手の人差し指は淡く、薄く光っていた。
「男に近づいた時に、女性を助けるついでにアイツの服にこれを塗ってきたのよ」
「これを、塗る?」
意味がよく理解できずに、オウム返しをしてしまう。
これを塗ったところで、なんだというのか。
そもそもこれとは、どういうものなのか。
「な、なにこれ……」
「知らないの?アーク、遅れてるわね。これは最近街で流行っているものよ」
パルマは、懐から瓶を取り出した。
ペンに付けるインクの瓶のような四角い形で、鮮やかな青いガラスでできている。
中には、透明の液体が入っているようであった。
「この液体はね、魔力を流せるの。面白いのは、そうすると液体の性質が変化すること。魔力を流した本人に、液体の位置が分かるようになるの。仕組みはよく分からないけど、塗った物体の位置が頭に伝わってくるのよ」
「それで、あの男の位置が分かるのか。だから慌てる必要もないってことね。でもなんだか、危なそうな液体だね……」
「そういうこと。危険性は分からないけど、人気なのは間違いないわ」
「軍で使用されているとかじゃないの」
軍事用目的以外で、使用用途が思いつかなかった。
僕の発想が貧困すぎるのだろうか。
「メインは、冒険者よ。ギルドが冒険者の体に塗って使うの。そうすると、どこにいるかが把握できるし、死亡したかも判断しやすくなるわ」
「なるほど」
「他には恋人ね。相手が浮気しているかを調査するのにこれは凄い便利なのよ。歓楽街に行っていないか、知らない人の家に上がっていないか。もし、そういう場所で水浴びでもして液体が流れて位置を見失ったら、最悪。黒確定ってわけ」
「凄い……そんな使い方があったなんて」
凄い道具が世の中で開発されていたようだ。
いや、凄いのは道具よりも、使い方を考える人間の方だろう。
僕一人ではこの道具を、そういう用途と結び付けられる気がしない。
シンプルに感心してしまった。
驚いていると、パルマはその瓶を僕に渡してくる。
「便利だから、使ってみるといいわ。特別に一つあげる」
「あ、ありがとう……」
それを受け取って、制服のポケットにしまう。
「ん、男はメイン通りの方に抜けたみたいね」
液体の効果で、男の位置を把握しているパルマがそう言った。
「裏道じゃなくて、メイン通りか。堂々としているね」
「そうね。相当な強い心臓をお持ちらしいわ」
ところで、とパルマは悪戯っぽい笑みを浮かべた。何かを企んでいるようである。
「アーク、貴方浮遊の魔法は使える?それかエアロはあるかしら?」
意図は分からなかったけれど、とりあえず答えておく。
「魔法は使えるし、エアロもあるよ」
グッと口角を上げて、パルマは楽しそうにした。
「完璧ね」
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