第7話 それでも朝はやってくる
「起きろよ」
「…………!」
翌朝は、錬太郎くんの声で目が覚めた。
「何だよ?」
「ううん、あの……」
そうだ。ここは、錬太郎くんの家。
「……布団、使わなかったんだ?」
「あ、うん……」
知らないうちに、膝をかかえたままの体勢で寝ちゃっていたみたい。
「ごめんね、本当に。行くね」
わたしとなんて、いたくないだろうから。軽く服を整えて、立ち上がると。
「……腹、空いてない?」
「えっ?」
なんだか、ふてくされたような表情で、錬太郎くんに聞かれた。
「母親が昨日焼いていったマフィンが、腐るほどあるんだけど」
「…………」
わたしがいても、いいのかな。
「どっち?」
「あ、空いてる……!」
イライラしたようすの錬太郎くんに、必要以上に力を込めて、思わず正直に答えてしまう。
「じゃあ、こっち」
「うん」
変なの。二人きりで家にいるのに、自然というか、全然普通。
「食べたいだけ、適当に食べてけよ」
テーブルの上には、軽く温められたマフィンと、いれたての紅茶。これって、もちろん、錬太郎くんが並べてくれたんだよね?
「どうした?」
「錬太郎くん、マメだなあと思って」
嫌な顔をされるのがわかっていながらも、つい口から出てしまう。
「うるさいな」
「いただきます」
いいや。どうせ、嫌われてるんだもん。今さら、取り繕おうとしたところで、どうなるわけでもない。目の前のおいしそうなマフィンに、手をのばした。
「おいしい……!」
「そう?」
興味なさげに、錬太郎くんは相づちを打つけれど。
「うん。もちろん、マフィンもすごくおいしいんだけど、紅茶が……」
「それはよかったな」
「うん」
なんだか、つまらなそうに返事する錬太郎くんがおかしかった。
「何?」
「ううん」
つい笑っちゃいそうになるのを、我慢する。でもね、自分のためにいれてもらったお茶がこんなにおいしいなんて、今まで知らなかったの。
「食べたら、すぐ帰れよ」
「わかってる」
無意識に、窓から隣の家に目をやりながら答えた。ちょうど今頃、沙都と小日向くんも一緒に朝食をとっているのかな……と、そこで。
「あいつらに見られる」
立ち上がって、カーテンを閉める錬太郎くん。
「あ、ごめん」
そうだよね。いろいろ、誤解されちゃうかもしれないし。とくに、錬太郎くんは、きっと沙都のことが好きなわけだから。
「何?その何か言いたげな顔」
「や、あの……沙都に誤解されたら、嫌だろうなって」
「…………」
錬太郎くんが黙っちゃった。やっぱり、まずかった?
「何言ってんの?」
少し間をおいて、錬太郎くんの冷たい声を発した。
「ごめん。つい」
何の気なしに、口にしてしまった。
「くだらない女。陽のことを追いかけ回して、俺のことまで、そんなふうに考えてんの? 頭おかしいんじゃない?」
「そんな、わたし……」
追いかけ回したりなんか、してない。
「沙都に近づいたのも、そのためなんだろ? どうせ」
「そんなわけない」
ひどい。わたしのこと、何も知らないくせに。
「おまえみたいな女を泊めたなんて、あいつらに知られたくないだけだよ」
「そんな言い方……」
きっと、しっかりした優しい両親に育てられたんだろう。気に入らない人間でも放っておけなくて、ちゃんと丁寧に朝食まで出してくれた。だけど。
「……嫌い」
しぼり出すように、声を出した。
「大嫌い。錬太郎くんなんて」
そんなふうに思われているとわかっていたら、意地でも泊まらせてなんかもらわなかった。
「ちょうどよかった。俺も大嫌いだよ、おまえみたいなの」
痛くもかゆくもないっていう顔で、錬太郎くんも言う。
……さっき、すごくうれしかったのに。一瞬だけでも、わたしの居場所があった気がして。
「じゃあ、わたしは、その倍くらい大嫌い」
飲み終わったカップだけシンクに運ぶと、わたしはそのまま玄関に向かって、家を出た。
「ただいま」
重い足取りで、リビングへ入る。
「どこに行ってたの?」
比較的、機嫌のいい声で聞いてくる、お母さん。
「友達の家」
「そう」
お父さんの気配は、もうない。いつまで、この穏やかさは続くんだろう?
「どうしたの?波流」
「……ううん」
無断外泊なんかして、少しは怒られるかと思っていたのに。
「部屋に行ったら?」
「うん」
気抜けしちゃうくらい、いつもどおり。どうでもいいんだろうな、きっと。でも、それは、わたしも同じ。一晩たったら、お母さんとお父さんに対して、何の感情もなくなっている。
自分の部屋に戻ったら、かすかに、チョコレートの匂いが残っていて、何とも言えない気持ちにはなったけれど。
「……あ」
そこで、思い出した。そうだ。沙都に連絡しなくちゃ。
家の前まで行ってしまったことは、バレている。もしかしたら、心配してくれているかもしれない。机の上に置いていった携帯を、ゆっくりと開くと。
「…………」
沙都から、ものすごい数の電話の着信とメール。昨日の夜中も、今朝も。
<波流ちゃん、今どこにいるの?>
<連絡して、波流ちゃん>
<波流ちゃん、大丈夫?>
ひとつひとつ、短いけど全部違う文面で。ずっと、わたしのことを考えてくいれてたのがわかる。
……ねえ、沙都。わたしは、沙都が大好きだよ。
小日向くんは、わたしにとって、特別な人だけど、二人の関係はずっと続いてほしいって、心から願っているよ。錬太郎くんに、あんなふうに言われたくなかった。
「本当に心配したんだからね? 波流ちゃん」
休みをはさんで学校に行ったら、沙都が泣きそうな顔で声をかけてきた。
「ごめんね、沙都」
「ファミレスで時間つぶしてたなんて、気を遣いすぎだよ。それに、深夜は危ないんだよ? あのへん」
「そうみたいだね」
そのことだけは、錬太郎くんに感謝しなくちゃいけない。
「錬太郎も気が
「ううん!そんな……」
そこは、さすがに錬太郎くんのことをかばわなきゃいけないと思ったんだけれど。
「ね? 陽くん」
気がつくと、わたしの横にいた、小日向くん。
「あ、あの、ごめんね。いろいろと迷惑かけて」
まさか、小日向くんには、錬太郎くんみたいな誤解をされていないよね?
「一人でずっとファミレスにいたなんて、信じられないよね? 陽くん」
小日向くんに同意を求める沙都を、わたしがあいまいに笑いながら見ると。
「へえ。ファミレスねえ」
なんだか、小日向くんが意味ありげな反応をした気がした。そのとき。
「あ。わたし、プリント出し忘れてたんだ。ごめん、波流ちゃん。ちょっと行ってくる」
「あ……うん」
突然、あわただしく、この場を去っていく沙都。
「じゃあね」
それを見届けた小日向くんも、当たり前のように自分の教室に戻っていこうとする。だけど、さっきの小日向くんの態度って……。
「待って」
廊下に出て、小日向くんを呼び止める。
「ん?」
太陽に反射して、キラキラ光る小日向くんの髪。
「あの、金曜の夜のことだけど」
もしかしたら、気のせいかもしれない。わたしの思い違いだといいんだけれど。
「うん。何?」
「えっと……」
どうやって、切り出したらいい? わたし一人で、しどろもどろになっていると、ふっと小日向くんは笑った。
「沙都には黙ってるよ。錬太郎にも、とくに何も言ってない」
「…………!」
やっぱり、錬太郎くんの家に泊まったの、小日向くんに見られていたんだ。
「あの、どうして?」
「土曜の朝、皆川さんが錬太郎の家から出てくるのが見えたから」
致命的だ。言い訳のしようがない。
「でも、違うの。あのね……」
「いいのに、べつに。ちょっと意外だったけど」
ひやかすような表情で、小日向くんは続ける。
「うまくいくものも、騒ぐとダメになるかもしれないしね。ちゃんと、黙って放っておいてあげるよ」
「そんなんじゃない」
必死で否定しても、取り合ってもらえない。
「もしかして、最初から錬太郎ねらって来た?」
「そんな……!」
錬太郎くんには、小日向くん目当てだと言われて、小日向くんからは、錬太郎くんをねらってるだなんて。
「本当に、違うの」
そんなふうにだけは思われたくない。
「あのときは、家にいたくなかったから……!家に居場所がなかったから、だから」
つい、よけいなことを口にしてしまった。
「居場所がない?」
「ううん、あの……」
少し驚いた様子の小日向くんを、どうにかごまかそうとしたんだけれど。
「……家庭の事情ってやつ?」
「うん……」
小日向くんの静かな反応に、思わず普通に返事をしてしまう。
「…………」
「小日向くん?」
黙ってしまった小日向くんの口から、再び言葉が出てくるのを待っていると。
「びっくりした」
いつものように力を抜いた、小日向くんの笑い方。
「ずっと、そんな気がしてたから」
「そう……なの?」
予想外だった小日向くんの言葉に、わたしは目を見張った。
「どうして……」
「書庫で見かけてたときから、なんとなく」
小日向くんは、何てことのない世間話でもしているような調子で話しているけれど。
「似たような境遇にいる人間って、空気だけでわからない?」
「それは……」
何度か、感じたことくらいはあった。書庫にいるときの小日向くんの表情、雰囲気から。
「偶然だよね」
「え……?」
不意に自嘲気味に笑った、小日向くんを見上げる。
「落ち着く場所に、親に恵まれなかったことに、名前まで」
「…………」
心臓のドキドキを抑えるのに精一杯で、何も言うことができない。
「もしかして」
今度は、からかうような調子の声。
「運命かな」
冗談めいた、小日向くんの言葉。でも、わたしには……。
「あれ? 陽くん、まだいたの?」
戻ってきた沙都が、意外そうに声を上げた。
「いたら、悪い?」
「悪くないよ。でも、波流ちゃんは、わたしの友達だよ」
口をとがらせて、すねて見せる沙都。
「わたしより波流ちゃんと仲良くなったら、ダメなんだからね? 陽くん」
「子供かよ?」
そう言って、笑って沙都の頭に手をおいた小日向くんは、紛れもなく沙都の大切な人で。決して、わたしには手の届かない人。
もう、何度自分に言い聞かせたかわからないのに、わたしは今日も同じことを頭の中で繰り返すんだ。
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