第3話 事情というもの
沙都が、学校を休んだ。あれから何日間か、沙都といる時間をなるべく減らすようにしていた矢先。
沙都は、寂しそうだった。だけど、わかっていたこととはいえ、あんなことを聞かされた身で沙都といるのもつらかったから、小日向くんの視界にも極力入らないように沙都を避け、休み時間は教室を出ていったりしていた。
理由も言わずに、そんなことをしてしまって、やっぱり、傷つけちゃったのかもしれない。わたしの態度が学校を休んだ原因なのなら、きちんと謝らなきゃ……と、そのとき、沙都からメールの着信。
昨日微熱が出たから、大事をとって休んでいるだけだという。だけど、わたしの態度も無関係では……。
「皆川さん」
「あ」
いきなり、真横の窓からかけられた声に驚く。
「小日向くん……」
まともに顔が見れない。
「なんか、ひさしぶり」
「……そうだね」
ジャマナ、オンナ。なるべく普通に返事をしながらも、そのフレーズが頭の中をぐるぐる回る。ずっと憧れてた小日向くんに、そんなふうに思われてしまったという事実。
「今日、これから時間ある?」
「はい?」
そんな意外な小日向くんの言葉に、思わず顔を上げた。
「沙都の家に、一緒に行かない?」
「沙都の家?」
つい、小日向くんの顔を凝視してしまった。本当に、綺麗な目。
「でも……」
あわてて、視線をそらす。
「沙都、皆川さんに会いたがってるよ」
「……うん」
そこまで小日向くんが言うのなら、うなずくしかない。
「よかった。じゃあ、門で待ってる」
安心したようすで先に歩き出す、小日向くん。
もし、あんなことを聞いてなかったら、わたしは今頃、どんな思いでいたのかな。きっと、こんな状況にバカみたいに一人で浮かれて、ドキドキしていたに違いないんだ。
「もしかして、
「えっ?」
初めて、レンタロウという名前を聞いたのは、学校から駅までの道を、ちょうど半分くらい歩いてきたところだった。
「あ……」
それって、例の図書室にいた男の子のこと、だよね?
「やっぱり」
わたしのようすを見て、小日向くんは笑った。
「えっと……」
「
「ううん、いいの!」
急いで、わたしは遮った。
「気にしてないから。今日も、沙都の顔だけ見たら、すぐ帰るから」
改めて、あんなことを小日向くんの口から聞かされたら、ショックで今度こそ立ち直れない。
「やっぱり、気にしてるじゃん」
わたしを見て、また少し笑う、小日向くん。
「…………」
そんなの、気にするよ。だって、小日向くんに彼女がいたって、相手が沙都だって、わたしの特別な人であることに変わりはないんだから。
好きになんて、なってもらえなくたっていい。最初から、好きになってもらえるわけもないけれど。それでも、嫌われちゃうのは、やっぱり嫌だ。
「いや、あの日は」
と、小日向くんが苦笑いしながら、話し出した。
「家に誰もいない日だったから、沙都呼ぼうと思っててさ」
「……うん」
緊張しながら、耳を傾ける。
「そうしたら、沙都が警戒して、いきなり皆川さん呼んだりするから。で、つい頭にきて、錬太郎に
「警戒?」
今の小日向くんの説明、そこだけ意味がわからなかった。
「どうして、沙都が小日向くんの家に行くのに、警戒なんてするの?」
「ん?」
わたしの質問に、小日向くんは、一瞬止まって。そして、そのあと笑って、わたしの耳元に口を寄せた。
「一ヶ月もつき合うと、いろいろとやることがあるんだよ、皆川さん」
「やること?」
近づいた距離に、気が動転する。
「やることって、何を……」
あ。
「おかげさまで、あの二日後に、無事できたから」
「…………!」
みるみるうちに熱くなっていく、わたしの顔。
「沙都が待ってる。早く行こう」
「待って、小日向くん」
おかしそうに笑いながら歩いていく、小日向くんに置いていかれないように追いかける。
「真っ赤だよ、皆川さん」
「だって、いきなり、そんなこと……!」
考えてみれば、当たり前のこと。でも、できれば、考えたくなかったのに。
「男とつき合ったこと、ないんだ?」
「あるわけないよ、そんなの」
とっさに、素で答えてしまったけれど。
「ふうん。まあ、頑張んなよ」
「あ、うん……」
べつに興味もなさそうに話を切り上げた小日向くんに、好きになっても無駄だと釘を刺された気がした。
遠くから、なんとなく見ているだけだったときと、こうして並んで歩いているのに、もっともっと遠く感じる、今。いったい、どっちがよかったかな?
「わざわざ来てくれて、ありがとう。陽くんと……」
「はじめまして。皆川です」
出迎えてくれた沙都のお母さんは、沙都の印象と同じ、ふわふわした可愛らしい人だった。
「あら、波流ちゃんね。沙都がよろこぶわ。あがって?陽くん、波流ちゃん。今、お茶持っていくから」
「お邪魔します。おかまいなく」
勝手を知った小日向くんのあとに続いて、階段を上っていく。沙都のお母さんに、わたしのことをすぐにわかってもらえて、うれしかった。
気がつくと、階段の左右の壁には、小さい頃のお人形みたいな沙都や、優しそうなお父さんとお母さんも写った家族写真が、何枚も何枚も、まるでギャラリーみたいに並べて飾られている。大事に、丁寧に、大切に。そんなふうに沙都が育てられてきたのが、よくわかる。
……それにしても、沙都のことを不自然に避けてきてしまったわけだし、沙都と会うのは少し気まずいような。部屋が近づくにつれて、心配な気持ちがずつふくらんできたんだけれど。
「波流ちゃん!」
ドアを開けた瞬間、わたしに向けられた笑顔に、そんな不安が一気に飛んでいった。
「来てくれたんだ? 波流ちゃん」
沙都のうれしそうな顔に安心して、気が緩む。
「具合はどう? 沙都」
ひさしぶりに、まともに言葉を交わした。
「うん。もう、すっかり元気なんだけどね。お母さんが、どうしても今日は休んでなさいって言うから」
弾んだ声で、わたしに向かって話し出す、いつもの沙都。
「そっか。よかったよ」
あの男の子のことなんて、最初から気にするんじゃなかった。よくよく冷静になって考えてみれば、あんな大人げない人の言うことなんて、真剣に受け止める必要もなかったのに。
「波流ちゃん、ごめんね。わたしも昨日錬太郎から聞いて、びっくりした」
申し訳なさそうに、沙都がわたしを見る。
「あ、えっと……」
「錬太郎。小さい頃から、ずっと隣に住んでるの」
「そうなんだ?」
いわゆる、幼なじみっていう関係なのかな。
「昔から口は悪いし、性格もちょっと問題があるんじゃないかと思っちゃう」
と、沙都が、少し大げさに眉をひそめたとき。
「ああ、錬太郎。いたんだ?」
「…………!」
小日向くんの声で後ろをふり返ると、ドアの前に立っていたのは予想通り、あの男の子。わたしに無言の視線を向けてから、錬太郎くんは小日向くんの横に座った。
「誰が、性格に問題があるって?」
わたしのことを完全に無視して、錬太郎くんが沙都に言う。べつに、かまわない。わたしだって、錬太郎くんのことなんて、好きじゃない。
「錬太郎だよ。波流ちゃんに変なこと言って、信じられない」
「べつに、本当のことしか言ったつもりないけど」
「ほら……!錬太郎の、そういうところだってば」
そんな会話を聞きながら、とがらせた沙都の唇に目が行った。きっと何度も小日向くんとキスした、沙都の唇……なんて、わたし、何を考えているんだろう? 絶対、小日向くんに、あんなこと聞いたせいだ。
そして、今度は小日向くんの方へ、そっと視線を移した。何を考えているのかが全くわからないようように感じるのは、やっぱり、わたしが小日向くんを好きだからなんだろうなと思う。
だけど、どんな気持ちなんだろう? 自分の好きな相手に、自分のことも想ってもらえるのって……と、小日向くんから顔をそらした瞬間、錬太郎くんと目が合ってしまった。
バカにしたような、わたしへの視線。沙都も、もちろん、小日向くんも、そんなことに気づくわけもないんだけれど。
「お待たせ」
居心地の悪さに押し潰されそうになっていたとき、ドアを開けた沙都のお母さんの明るい声に救われた。
「錬ちゃんママが作ってくれた、焼リンゴよ。お茶と一緒にいただいてね」
「へえ。錬ちゃん、ごちそうさま」
「うるさいな」
ひやかすような口調の小日向くんに、ふてくされた表情をする錬太郎くん。
「はい、波流ちゃんも。錬ちゃんママ、料理が上手なのよ」
「ありがとうございます」
テーブルの上に、リンゴとクリームがおいしそうに盛られているプレートが置かれた。銀のフォークも手入れが行き届いていて、キラキラ光っている。
「錬ちゃんママ、さすがよね。知ってる? リンゴは、加熱すると抗酸化作用が九倍に……」
「ママ、もういいってば」
恥ずかしそうに、沙都が遮る。
「はいはい。じゃあ、ごゆっくりね」
沙都とそっくりの笑顔を残して部屋を出ていく、お母さん。
「もう……」
ふくれた顔も、沙都は可愛い。
「ごめんね、波流ちゃん。階段の写真とかも、ひいたでしょ?」
「ううん。まさか」
本気で心配そうな沙都に、思わず笑ってしまう。
「うらやましいよ、すごく」
わたしの重苦しい家とは、全然違う。
「ごちそうさま」
錬太郎くんが、カップを置いた。
「帰る」
「もう少しいれば?」
と、軽く引き止める小日向くんに……ううん、わたしに向かって。
「いいよ。邪魔になる」
表情を変えないで、そう錬太郎くんは続けた。こんな態度を取られたら。
「……じゃあ、わたしも」
カップを重ねて、すぐに立ち上がる。
「また、錬太郎がそんな言い方するから。前のことも、波流ちゃんに謝って」
「ううん。本当に気にしてないから。今日は予習しなくちゃいけないし、沙都の元気な顔も見れたから」
真剣に怒ってる沙都を、なだめて。
「じゃあね、皆川さん」
「また明日」
小日向くんとも短いあいさつを交わして、部屋を出た。言われなくたって、わかってる。居座ったりしないで、ちゃんと小日向くんよりも先に帰るつもりでいた。
玄関には、まだ錬太郎くんが残っていたけれど、わたしは無言で靴を引き寄せた。なるべく、この人とは関わりたくない。できる限り、ずっと距離をおいて……と、そのとき。
「あんた、陽を手に入れられるとでも思ってんの?」
「え……?」
いきなり発せられた錬太郎くんの言葉に、わたしは体が動かなくなった。自分の思うように、口も動かない。
「錬太郎くんの言ってること、よくわからな……」
「それなら、なんで、あんな物欲しそうに陽を見てんの?」
「そんな……」
あまりに突然、思ってもいなかったことを言われて、体が小刻みに震え出す。
「少しは、自分をわきまえれば?」
軽蔑したような
「…………」
ゆっくりとバッグを引き寄せ、胸に抱いて、立ち上がる。
わきまえてるよ。沙都にかなうわけないことだって、最初から知ってるし。そもそも、小日向くんが、わたしなんかを好きになってくれるはずがないということだって。わざわざ、錬太郎くんに聞かされなくても、とっくのとうに。
……嫌い。わたしだって、錬太郎くんなんて、大嫌い。
人を好きになる気持ちは自分で止められるものじゃないから、どうしても小日向くんの方に目が行ってしまうのは、しかたがないじゃない。
家に帰ったら、いつもと同じ。やっぱり、お母さんがわたしを見て、大きなため息をつく。
「ただいま」
一応、声だけはかけて、いつものように二階に上がろうとすると。
「波流」
めずらしく、お母さんに呼び止められた。
「何?お母さん」
笑って、振り向く。
「あなた、いつも学校の帰りに、どこに寄ってきてるの?」
「今日は……友達の家」
いつもは一人で図書館にいると正直に答えるより、そう言った方が安心してもらえると思ったんだけれど。
「いいわね、あなたは。楽しそうで」
お母さんの表情は、さらに険しくなった。また、失敗しちゃった。
「……うん」
ごめんなさい。そう出かかったのをのみ込んで、雰囲気を察知しないふりをして、返事だけした。
お母さんの態度や言葉になんて、もう十分慣れている。昔から、ああいう人なんだからって、ちゃんと理解していたはず。だけど、どうしてか、ひさしぶりに、一粒だけ涙がこぼれた。
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