第2話 急降下



「皆川さん?」


 待ち合わせた駅の改札に着いて、沙都を探していたら、そこにいたのは。


「小日向くん……!」


 姿を見た瞬間、心臓が止まりそうになった。


「偶然。待ち合わせ?」


「あ、うん、あの……」


 答えようとしても、しどろもどろになってしまう。今日、もしかして……沙都は、小日向くんも一緒のつもりだったの?


「陽くん、波流ちゃん!」


 そのとき、後ろから、聞き覚えのある声。


「ごめんね、遅れて」


 必死で走ってきて、息を切らしている沙都。


「いや。べつに、いいんだけど」


 そんな沙都に笑みを向けてから、小日向くんは、今度はわたしの方に目をやった。


 明らかに、歓迎されていない。せっかくの休みの日のデートに、わたしなんかがいたら、当然だ。うかがうように沙都の顔を見ると、うれしそうに沙都はニッコリ笑った。


「可愛い、波流ちゃんの服。似合ってる」


「えっ? そんな」


 小日向くんの前で、沙都にそんなことを言われても、何て返せばいいのか、わからない。


「服見たいんだろ? 沙都。行こう、皆川さんも」


 あきらめたように笑った小日向くんに促され、わたしたちは歩き出した。





「ごめんね、皆川さん」


 沙都が試着室に入ると、小日向くんがわたしを見た。


「沙都が、強引に誘ったんでしょ?」


「あ、ううん! そんなことないから」


 小日向くんが来るなんて、思いもよらなかったけれど、それを今言うのも感じが悪い。


「沙都、なんか皆川さんと友達になりたいみたいだから、仲良くしてやってくれる?」


「そんなの、わたしでよければ、もちろん」


 まだ、そんな状況に慣れられずにいる、わたしに。


「ありがとう」


 そう言って、微笑ほほえんでくれた、小日向くん。なんとなく会話に一区切りついて、二人とも黙る。


 ……やっぱり、格好いいよね。


 私服姿の小日向くんも、制服のときの印象と同じ。さらっとしていて、無理のない感じのTシャツとカーディガンの組み合わせは、何気なく見えるけれど、おしゃれに疎いわたしにも、センスのよさがわかる。


 ふわふわした、天使みたいに可愛い沙都と、よく合っていると思う。今こうして、わたしと小日向くんが二人でいても、どこかチグハグで不自然だ。


「見て、波流ちゃん。どうかな?このワンピース」


「わあ」


 よけいなことを考えていたら、試着室から沙都が出てきて、思わず声を上げる。小花柄のミニの白いワンピースは、沙都のイメージにぴったり。


「沙都のために作られた服みたいだよ」


 素直に、思ったことを口にすると。


「子どもっぽすぎないか? それ」


 あまり気に入らなかったらしい小日向くんが、顔をしかめていたんだけれど。


「やっぱり、波流ちゃんに来てもらってよかった」


 沙都はそう言って、何のためらいもなく、レジにワンピースを持っていく。そんな沙都を見て、あからさまに大きなため息をついた小日向くんが、なんだか……。


「何?」


 つい、頬が緩んでしまったのがわかっちゃったみたい。


「ううん。だって……」


 小日向くんが子どもみたいで、可愛いから。


「おまたせ。あれ?どうしたの?」


 戻ってきた沙都が、不思議そうに聞く。


「何でもない。腹減った」


 ふてくされたような表情で言う、小日向くん。


「じゃあ、わたしは、ここで」


 楽しかった。小日向くんには、ちょっと申し訳なかったけれど、期せずして、楽しい時間を過ごせて。でも、さすがに、これ以上二人のデートの邪魔をするわけにはいかない。


「えっ?波流ちゃん?」


「また、月曜日にね」


 小日向くんにも頭を下げて、わたしは本当に、一人で家へ帰るつもりでいたんだけれど。


「お願い。帰らないで?波流ちゃん」


「えっと……」


 わたしにしがみつくように嘆願する、沙都に負けた。





「わたし、チーズケーキ買ってくる」


 小日向くんを前にして、緊張しながらハンバーガーのセットを食べ終えた頃、あわただしく沙都が席を立つ。


「あ……」


 ふと顔を上げたら、小日向くんと目が合った。


 小日向くん、怒ってないかな? 普通に気まずさを感じながら、うつむいて、あいまいに笑うと。


「皆川さんって」


 唐突に、小日向くんが口を開いた。


「はい?」


 何を言われるのか、見当もつかない。


「沙都が仲良くなりたがるの、わかる気がする」


「そう……?」


 それは、わたしをほめてくれているの?


「沙都と正反対だよね? 皆川さん」


「それは……そう、だと思うけど」


 小日向くんは、どういう意味で言っているんだろう? 性格? それとも、見た目のこととか……。


「波流ちゃんに、今日のお礼。陽くんにもね」


 トレイにスティック状のケーキを載せて、沙都が戻ってきた。


「はい、波流ちゃん」


 沙都の手で、わたしのトレイにもケーキが載せられる。


「そんな、いいのに。でも、ありがとう」


 細くて白い沙都の指に、わたしは見惚みほれてしまう。


「ううん。波流ちゃんが来てくれて、うれしかった」


 まるで、本物の天使みたいに笑う沙都。


「甘い」


「文句言うなら、陽くんは食べなくていいもん」


 一口食べて、微妙に顔をしかめた小日向くんから、すかさず沙都はケーキを取り上げた。そして。


「波流ちゃん、二人で食べちゃおう」


 小日向くんのケーキを半分に割ると、片方をわたしに差し出してくれたんだけれど。それ、小日向くんが口をつけた方じゃない?


「ごめん、沙都。わたし、お腹いっぱいになっちゃったから」


 さすがにためらわれて、首を振る。


「そっか。じゃあ、わたしが食べちゃう」


「太るなよ、沙都」


「平気だもん」


 笑い合う二人に安心しながらも、なんとなく、わたしは小日向くんの視線を感じていた。





「わたし、もう帰る」


「えっ?」


 沙都の言葉に、わたしと小日向くんが同時に声を上げたのは、店を出た直後のことだった。


「なんで?」


 不服そうに沙都を見る、小日向くんに。


「ごめんね、陽くん。今日は、早めに帰るように言われてるから」


 なんだか、有無を言わせない口調の沙都。


「……わかったよ」


 小日向くんは納得のいかなそうな顔をしていたけれど、それでも駅に向かって歩き出す。


「ねえ、沙都」


 わたしの方が気が気じゃなくて、沙都に近づき、耳打ちした。


「何?波流ちゃん」


 沙都が無邪気に笑う。


「まずくないの?」


 ただでさえ、わたしがついてきたせいで小日向くんは面白くなさそうにしていたのに、そのうえ、もう帰っちゃうなんて。


「いいの。だって、今日は一緒に服を選んでくれることになってただけだし」


「や、でも」


 それだって、わたしが勝手に選んでしまったようなもので、後ろめたい。


「皆川さん、何線?」


 と、不意に振り向いた小日向くんに、ドキッとする。


「えっ?」


「電車。何線?」


「井の頭線、だけど……」


「同じだ」


 とくに、何てことはないようすの小日向くん。


「じゃあ、ここでね。バイバイ、陽くん、波流ちゃん」


 気がつくと、沙都は、もう自分が使っている線の改札の方へ向かっている。


「またね、沙都」


 あわてて、わたしも手を振って、そして、隣の小日向くんを見た。わたしは男の子と出かけたことなんてないけれど、ずいぶんと奇妙なデートだった気がする。どう考えても、わたしのせいだよね?


「あの、ごめんね」


「何が?」


「だって……」


 わたしが言葉を選んでいると、小日向くんの方が先に口を開いた。


「沙都なら、ああいう女だから」


 今の小日向くんはむしろ楽しそうで、沙都のことが本当に好きなのが伝わってくる。


「座る?」


「うん」


 ずっと憧れていた小日向くんと電車に並んで座るなんて、夢みたい。でも、相手にされない寂しさは、やっぱり人並みに感じてしまう。


「こっちこそ、悪かったね。振り回して」


「ううん。そんなことないよ」


 隣の小日向くんに、肩が触れそう。そして。


「なら、よかった」


 そう言って、ふっと笑った小日向くんに最高潮にドキドキさせられながら、考える。


 小日向くんは、知らないよね。わたしが何度も、 “あの場所” で小日向くんを見ていること。学校や、今こうしているときと全く違う表情で、小日向くんがいつも一人で……と、そのとき。


「最近も行ってるの?」


 小日向くんは、ごく普通の世間話のような調子で、その質問をわたしに投げかけた。


「え……?」


 心臓が大きく音を立てる。


「よく会ってたよね? 書庫で」


「あ……」


 小日向くんから、その話を切り出されるなんて、思ってもみなかった。


 学校から少し離れたところにある、古い区立図書館。書庫なんて、普通は許可を取らないと入れてもらえないんだけれど、そこは規制が緩くて、ほとんど自由に出入りできる。


 もっとも、そんな狭くて薄暗い空間に好き好んで入る人は、めったにいない。だけど、その窒息しそうな閉塞感がなぜか落ち着くわたしは、家に帰らないで、よくそこで時間をつぶしている。


 そう。先約の小日向くんがいないときは、いつも。


 いちばん奥の片隅に寄りかかって、くうを見ている小日向くんの姿を、わたしは何度も目にしていた。


「うん、行ってる。でも、来週いっぱいまで、館内整理で休みなの」


 ……小日向くんが、わたしに気づいてた。ただそれだけの事実に、心が乱される。


「ふうん。そっか」


 さほど興味もなさそうに相づちをうつ小日向くんに、そんな感情は抑えられるけれど、それでも。


「沙都には言わないでね」


 降り際にささやくように残していった小日向くんの言葉が、わたしには、どうしようもなく甘い響きに感じられてしまうの。


 わたしと小日向くんの、共通のお気に入りの場所。


 きっと、小日向くんにとっては、取るに足らない小さなこと。それでも、二人だけの秘密には違いないから。そんな、沙都へのわずかな罪悪感を抱きながら、電車が動き出すまで、去っていく小日向くんの後ろ姿をずっと見ていた。





「土曜はごめんね、波流ちゃん」


 週明け、教室に足を踏み入れるなり、わたしを見つけた沙都が、気まずそうに謝ってきた。


「あれから、怒ってなかった? 陽くん」


 今になって、心配そうにしている沙都。


「わたしの方がひやひやしちゃったけど、大丈夫そうだったよ」


「そっかあ。よかった」


 安心したように、ニッコリと沙都が笑う。


「ね。今日も、三人でどっか行かない?」


「さすがに、ちょっと、それは」


 小日向くんに煙たがられるのを想像して、とっさに答えた。


「今日は寄るところがあるし。ごめんね」


「そっか」


 なんとなく、不安げな沙都は気にはなるけれど、絶対に嫌な顔をされるに決まっている。それに、手の届かない憧れの存在だった小日向くんと、これ以上近づくのも心配でたまらない。もし、本気で好きになっちゃっても、つらいのは自分だから。


「二人で会うのに、まずいことでもあるの?沙都」


「ううん。何でもない」


 なぜか、少し顔を赤らめた沙都は、わたしの質問には答えないで、席について前を向いていた。





「じゃあね、波流ちゃん」


「うん。また明日」


 結局、迎えにきた小日向くんと、沙都は教室を出ていった。なんとなく、小日向くんとは視線を合わせられないまま。


「…………」


 教室の時計を見上げる。何日か前のお母さんを思い出した。また、ため息をつかせちゃいそうだし、学校の図書室で時間をつぶして帰ることに決め、荷物をまとめて、一人で教室を出る。


 本の匂いをかぐと、昔から落ち着く。ページを開けば、わたしがわたしでなくなるから。わたしの意識だけが、非現実の世界を漂う浮遊感が好き。楽しいことばかりじゃない現実の世界より、こっちの世界の方が……と、そのはずなのに、今日はだめ。


 小日向くんのことが、頭から離れない。本に集中しようとすれば、するほど、小日向くんと交わした会話が頭の中に浮かんできてしまう。


 “ 沙都には言わないで”という小日向くんの声が、いつまでも、わたしの耳に残っていて……。


「そろそろ、鍵閉めたいんだけど」


 と、気がついたら、横から聞いたことのない男の子の声。


「あっ、ごめんなさい」


 窓の外に目をやると、もう薄暗い。あわてて、本を棚に戻しに行こうと席を立ったんだけれど。


「…………?」


 さっき、声をかけてきた図書委員らしき男の子がわたしの顔をじっと見ているから、わたしもその人から目を離せなくなる。涼しげで端整な顔立ちだけど、少しきつめな目元。そういえば、この男の子、小日向くんとよく一緒にいるような……。


「ああ」


 そこで、男の子は小さく声を上げた。


「何?」


 不安感をあおられる、その調子に胸をざわつかせながら、わたしは聞き返した。


「なんだ」


 つまらなそうに、男の子は続ける。


「陽が言ってた、邪魔な女か」


「え……?」


 一瞬、思考が停止する。そして、言葉の意味を、だんだんと理解する。


「あ……」


 そんなの、当然だ。わたしなんて、最初から、ただの邪魔者に決まっている。


「早く出てくれる? 帰りたいから」


「……わかった。ごめんなさい」


 ほら、これが現実なの。バッグを肩にかけて、わたしは立ち上がった。


 小日向くんと秘密を共有しているなんて、知らず知らずのうちに沙都に優越感なんて抱いていたから、バチが当たったんだ。


 ううん。最初から、わたしなんか、小日向くんにとって、そんな程度の存在でしかなかったんだ。




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