第4話 彼と彼女の関係



「昨日は、うれしかったなあ。波流ちゃんが来てくれて」


 心からうれしそうな顔で、沙都がお弁当の卵焼きを頬張る。色とりどりの可愛らしいお弁当。


「よかったね、今日は学校に来れて」


「昨日だって、べつに何ともなかったんだよ。わ、おいしそう、それ」


 わたしがちょうど、ベトナム風の春巻きを口に入れようとしたところだった。


「ひとつ食べる?」


「食べる、食べる」


 沙都が、わたしのお弁当箱に箸をのばす。お父さんの分の前日のおかずを自分で箱に詰めるのが、わたしの日課。


「うそ! お店のみたいに、おいしい」


 想像どおり、沙都は感嘆の声を上げた。


「うん。お母さん、ずっと料理教室に通ってるみたいで」


 それだけは、欠かしたことがないんだ。


「すごいなあ。わたしのお母さんなんて、見かけ重視で、味はちょっと微妙なんだよね」


「そう? 可愛いし、おいしそうだよ、沙都のお弁当の方が」


「じゃあ、食べてみてよ」


 もうひとつの卵焼きを、わたしの口に運んでくれる沙都。


「どう?」


「うーんと……」


 たしかに、なんだか。


「微妙でしょ?」


「……微妙」


 顔を見合わせて、二人で笑う。と、そのとき。


「錬太郎!」


 廊下の窓から、沙都が歩いていく錬太郎くんに声をかけた。


 べつに、どう思われてもいい。わたしは錬太郎くんを避けるように、体の向きをそむけた。


「昨日は、ありがとね。お母さんにも、よろしく」


「ああ。沙都も、今度ゆっくり遊びに来いってさ」


「うん!また、お菓子の作り方、錬太郎の家で教えてもらいたいなあ」


 二人の会話を聞きながら、ぼんやり考えた。錬太郎くんって、もしかしたら、沙都のこと……。


「ね?波流ちゃん」


「あ、何?」


 沙都の声で、我に返る。


「波流ちゃんのお母さんも上手なんだよね?料理」


「あっ、うん」


 とっさに、返事をしてしまった。


「へえ」


「…………」


 また、嫌な感じの空気。


「じゃあ、行くから」


「うん。またね」


 無邪気に手を振る、沙都。そして。


「ごめんね。錬太郎、愛想なくて」


 悪そうに、わたしに謝ってくる。


「ううん。大丈夫だよ」


 ずっと気にしていたら、身がもたないし。


「でも、優しいところもあるんだけどね。あれで」


 そこで、ふっと沙都が笑った。


「そう……」


 きっと、好きなんだろうなあ。錬太郎くんは、沙都のことが。でも、だからって、あんなに突っかかってくることないし、当たられる筋合いもないのに……と、納得のいかない気持ちでいたら。


「ねえ、波流ちゃん」


「ん?」


「波流ちゃんは、つき合ってる人いないの?」


 突然、沙都から向けられた質問。


「い、いるわけないよ」


 予測もしていなかったから、あわてふためいた。


「どうして?」


 大きな目で、わたしをじっと見る沙都。


「どうしてって……」


 わたしは沙都と違って、人目を引くような顔じゃないし、性格も明るいとは言えない。誰かに好きになってもらえることなんか、ないだろうかから。


「わたしが男の子に生まれてたら、絶対に波流ちゃんみたいな子を好きになるけどなあ」


「また、そんな……」


「本当だよ。本当に、本当なんだから」


 ムキになる沙都に、くすぐったくも、うれしい気持ちになる。


「……ありがと、沙都」


 そんなふうに言われたの、初めてだよ。


「波流ちゃんって、ちゃんと自分の世界を持ってるでしょ?」


「そう、かな」


 単に、一人でいることが多いだけのような気がするけれど。


「わたし、こんなでしょ?寂しがりで、そばに誰かいないとダメなの。一人でいると、どうしたらいいかわからなくて、不安になっちゃうの」


「沙都のそういうところ、可愛いよ」


 心の底から、そう思っている。小日向くんだって、きっと同じ。


「今は、それでいいかもしれないけど……でも、そのうち、陽くんに飽きられちゃう気がして」


「そんなことないよ」


 わたしと小日向くんの会話を思い出してみても、小日向くんはいつだって、沙都のことを考えている。


「……この前、陽くんの家に行ったの」


「えっ?あ、うん」


 内心、ドキッとしながら、耳を傾ける。


 オカゲサマデ、二日後ニ、無事デキタカラ……。あの、いつかの小日向くんの言葉が頭に浮かんでしまう。


「ずっと、さきばしにしてきたんだけど、あまりもったいつけるのもなと思って」


「あー……」


 やっぱり、その話。


「陽くん、すごく慣れてたから、なんか心配になっちゃって」


「そ、そんなこと、どうしてわかるの?思い過ごしだよ、きっと」


 うろたえながらも、わからないなりに考えて、そんなふうに返してみたら。


「だって……」


 真面目な顔をして、沙都は続けた。


「前つき合ってた人より、全然上手だったんだもん」


「…………!」


「わっ、大丈夫?波流ちゃん」


 飲んでいたお茶に、むせてしまった。





 反応に困っていたのを悟られないように、一人で水道に手を洗いに来た。沙都ったら、突然、あんなことを言い出すから。


 小日向くんから、わたしをからかうように教えられたときよりも、さっきの沙都の話の方が、もっと現実味を帯びていて。また、改めて、二人とも別世界の人なんだなあって……。


「資源の無駄遣い」


「え……? あ、ごめんなさい」


 いきなり、目の前の流しっぱなしの蛇口をひねった、大きな手。見上げなくても、空気だけでわかる。そう、小日向くん。


「沙都、よろこんでたでしょ?」


 わたしと沙都の数分前の会話の内容も知らず、普通に声をかけてくる、小日向くん。


「あ、うん……! そう、そうだね」


 明らかに、わたしはようすがおかしいはず。わたしには全く無関係の話で、ドキドキする必要すらないのに。


「…………? じゃあ」


 小日向くんが、怪訝けげんそうな表情を見せてから、向きを変える。


「待って」


「え?」


「あの……」


 やだ。話すこともないのに、つい呼び止めたりしちゃった。


「あのね……えっと、そう、図書館」


「うん」


「今日から、また開いてるよ」


 苦しまぎれに、思いついたことを言ってみる。もっとも、ここ最近、ちょうど沙都とつき合い出した頃から、小日向くんを書庫で見ることはなかったんだけれど。


「ふうん。そう」


 やっぱり、さすがに不自然だったかな。


「あ、それで……」


「べつに、気を遣って、無理に話なんかしなくていいのに」


 言葉が見つからず、口ごもっていたわたしに、優しくも意地悪でもない普通の口調で、小日向くんは言った。


「そんなんじゃないよ」


 反射的に口から出てきた。


「わたしは、ただ小日向くんと話がしたくて」


 自分に、びっくりする。まさか、そんな言葉がここで出てきてしまうなんて。


「へえ」


 意外そうに、小日向くんがつぶやいた。


「や、あの、今のは……」


 自分が自分じゃないみたいで、気が動転する。


「そういうこと言うんだ? 皆川さんも」


「…………」


 短い笑みを残して、今度はそのまま歩いていった小日向くんに、わたしは今日も心臓をつかまれたみたいになる。


 こんな自分を、わたしも知らない。誰に対しても、何に対しても期待なんかしないで、都合よく現実から目をそらしながら、ただなんとなく、穏やかに小日向くんをながめていた毎日。


 その頃と目に見えて変わったことなんて、きっとひとつもない。でも、わたしの日常、そして、わたし自身は、確実に以前とは全く別のものになった。





「波流ちゃん」


 教室に戻るなり、泣きそうな顔で、沙都がわたしを見る。


「沙都?どうしたの?」


 あわてて、沙都に駆け寄った。


「わたしが、あんな話しちゃったから。だから、波流ちゃんは、あきれて出ていっちゃったんじゃないかと思って」


 半分、涙目になってる沙都。


「ううん、そんなんじゃないから!たしかに、何て言ってあげたらいいのかわからなくて、戸惑っちゃったけど。沙都は、全然悪くない。あきれてなんかないよ」


「ごめんね、波流ちゃん。気をつけるから」


 そう言って、わたしを少し見上げて、やっと安心したように笑った沙都は、やっぱり、同性のわたしでもドキドキしてしまうくらい、愛らしい。


「そういえば、沙都と小日向くんは、どういうきっかけでつき合い出したの?」


「あ、それはね」


 話題をそらすために、そんな質問をしてみたら、沙都はすごくうれしそうに反応した。


「わたしのヒトメボレ」


「じゃあ、沙都の方から?」


「そういうわけでもないかなあ。錬太郎と陽くんが同じクラスだったから、なんとなく話すようになって、どちらからともなくって感じ。でも、ちゃんとつき合おうって……はっきり言ってくれたのは、陽くん」


 出会った頃を思い出すように、表情を緩ませる沙都。


「……そっか」


 残っていた最後の春巻を、わたしは口の中に入れた。





 放課後、ひさしぶりに図書館へ足を運んで、小日向くんがよくいた書庫の奥の場所にしゃがみ込んだ。


 ……優しい幼なじみの友達の男の子に一目惚れして、どちらからともなくかれ合い、自然につき合い始めた二人。なんだか、完璧な物語みたい。


 この場所で、わたしがひそかに感じていた運命なんて、取るに足らない小さなもの。それに、もう小日向くんは、この場所に来ることもないかもしれない。


 でも、小日向くん。あなたはいつも、ここで何を思っていたの……?



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