第5話
しばらくしてユリは意識を取り戻した。遅れてかけつけてきた薬師が薬蕩を飲ませ、ユリの容体は一応の落ち着きを見せた。おかみさんがつきっきりで世話をしていた。
「いや、リュウさん、この度はほんとになんてお礼を言っていいのか。あなたのおかげでユリは命を取り留めました。あなたに医術の心得があったとは知りませんでした」
里長であるダイは、大きな体を丸めて行商人に頭を下げた。
「なんの、顔を上げてください、ダイさん。医術の心得なんてものじゃないですよ。たまたま海辺で暮らしていたときに覚えた技です。おぼれて息が止まったときのためのね。とっさにしたことだが、助かって本当によかった」
商人は気のいい顔で恐縮していたが、ふいに声をひそめた。
「ところでね、ダイさん。先ほどおかみさんにはお話したんだが。ユリちゃんを、アスクラピアにやる気はないかい」
「ええ?それはあの、医者の国という異国のことですか?ずっと東にあるという?」
ダイは驚いて言った。この地では、そのような遠い国に実際に行くことなど考える人はいなかったのだ。
「しかし、そんな途方もなく遠い土地にあのような幼い娘をやれるわけはない…第一金もないし…」
うろたえるダイに、リュウはおかみさんにしたのと同じ説明をした。
「それは確かにいい話だけれども…」
困惑するダイに、リュウは力を込めて言う。
「あの発作を見ただろう。あの子の病は急速に悪くなっているよ。残されている時は長くない。あの苦しみ方はあの子の母親のものと似ているのではないのかい」
ダイの顔がさらに曇った。
「確かにおっしゃる通りだが…しかし…」
苦渋の表情で口ごもるダイに、リュウはさらに追い打ちをかける。
「それに大きくなればなるほど、あの子がこの土地で生きていくのは難しいのだろう。来年になれば学校に上がる年だ。いずれ力の秘密も知ることになる。さすれば自分はこの土地の人間とは異なることを否応なく知るはずだ…。見た目だけではない、よそ者としての自分をね」
ダイの表情がさらに険しくなる。
「秘密を知れば、この里を出ていくことすら難しくなる。ただ何も知らぬ子どもとしてかわいがるわけにはいかなくなっていくんだ。事はさらに複雑になる」
ダイの苦悶を知りながらも、リュウは言葉を止めない。先ほどとは比べ物にならない厳しい顔であった。
「もっとも、あの様子では、あの子は来年まで命を保つことすら難しいだろう。心臓がだいぶん弱っているようだ。生き延びさせてやるには、アスクラピアにやるしかないんだ。それとて、助かるという保証はないが。この里にいるよりはましだろう」
ダイは沈黙し、考え込んだ。
「しかし、その試験というのは難しいものなのでしょう」
「それはそうだろう。だが試してみる価値はある。あの子は利発な子だ。少々恐ろしいほどだ」
その言葉に、ダイは怪訝な顔をした。
「どういう意味です」
「薬師が言っていた。あの子は、教えた薬草のことはただの一度で覚えてしまうと。何十種もの薬草のことを、見分け方も、生えてる場所もね。それにあの子はまだ学校も行っていないのに読み書きと計算ができるじゃないか」
「ほんとうですか?」
「知らなかったのか?俺の持ってきた絵本は軽々と読んでいたぞ。どうして知ってるかと聞いたら、兄さんたちが宿題をやっているのを見ていたと言っていた。きちんと教わってもいないのに、あんたの息子よりもよく理解してるくらいだよ」
ダイはすっかり沈黙してしまった。彼にとって、ユリはあくまで無邪気でかわいらしい小さな娘だったのだ。年の割にどこか聡い面もあり、大人の気持ちをふいに読んだかのような言動をするときもあったが、それも親を早くに亡くした苦労がそうさせているのだろうと、いじらしく思っていたのであった。異国へと手放すのはつらいし、心配この上ない。
しかし、この里では弱っていくのを見ているしか術がないのも事実であった。実際にユリの母はそうして死んでいった。大きくなればなるほど、この里で生きづらくなっていくことも、ダイとて常々案じていたことではあったのだ。
「それに」
考え込んでいるダイに、リュウは追い打ちの一手をかける。
「あの子の容姿ならば、この山の向こうの異国から来たといっても通じるだろう。言い聞かせておけば、あの子だって話を合わせることはできるだろう。里の秘密も守られる」
「……」
すっかり沈黙してしまったダイに、リュウは呆れたような顔をした。
「なんだい、ナトの虎と恐れられた男が情けないね。そんなにあの子に情が移っちまったのかい?あの子の母親が沢で倒れているのが見つかった時は、殺すの追い出すのって騒ぎになったってのにさ」
「それは…あのときは、もしかしてどこかの刺客じゃないかと思ったから」
ダイが反論した。
「まあそりゃね、こんな険しい山に女が一人で迷い込むなんてこと普通ないし、しかも記憶喪失した臨月の妊婦だっていうんだから、怪しすぎたけどな」
リュウも少し勢いを弱める。
「銀髪に青い目だなんて、この辺の人間とは明らかに人種が違うし、化け物じゃないかって話もあったけど…結局、お前さんが助けることを決断したんだったな。監視がてら、母子共に家に引き取るということにして」
「……」
「それがいつの間にか、ほんとの娘みたいになっちまったってことか」
「…何と言われようと、はじまりがどうであろうと…私はあの子がかわいいんだ。実の娘のように思っている」
リュウの同情を含んだ声に抗うように、ダイは言葉を絞り出した。
「それならば、なおさらだ。あの子をこの里で死なすのか、遠くに手放してでも治療を受けさせるのか。それを決めるのは、あんたなんだよ」
リュウの言葉は、ダイに重くのしかかった。
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