第二章 薫 第6話

 真子から連絡先を教えてもらい、電話番号に掛けてみたところ「来ていただいてもお構いできませんが……」と言われたが、ぜひご挨拶したいとお願いして訪問日を取り付けた。

 電話の印象だが、何となく歓迎されていない雰囲気だった。

 藤沢駅から江ノ島線で二駅、さらに徒歩で十数分ほどに安西家はあった。周囲を同じようなデザインの住宅に囲まれていて、同時期に建売住宅として販売されたと思われる一角だ。家の前には、色褪せたトールペイントの看板やいくつかの植木鉢が置かれていた。整った庭にあるグレー掛かったクリスマスローズが物悲しく映る。


 夕羽の母親は、全体的に線の細い小柄な五十代くらいの人だ。優し気な顔立ちだが、あまり夕羽には似てないな、と薫は思った。

 促されて通されたのはリビングで、続きの四畳半の和室に小さい仏壇が置いてある。白く包まれた遺骨と、白黒で映った夕羽が笑顔で納まっていた。

 わかってはいたものの、友達が亡くなったという事実を目にすると、薫はのどの裏側がぎゅっとするような痛みを感じた。あまり変わらない身長だった夕羽のすらりとした制服姿を思い出す。高校時代の面影より、写真の夕羽は化粧のせいか少し大人びていた。

「この度はお悔やみ申し上げます。ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございませんでした」

 仏壇で線香を上げたあと、香典とお供えの花を母親に渡して、薫と真子は揃って頭を下げる。夕羽の母は首を振った。母親は憔悴からか更に縮こまって見える。

「突然のことでしたし、暮れと正月を挟みましたので、家族のみで葬儀は済ませました。本来ならお友達にも連絡すべきだったと思いますが……」

 言葉を探すように言い淀む。急な話だっただけでなく、死亡した経緯のこともあるのだろう。


 薫はその様子を見て、夕羽の死を知ったきっかけについて正直に話すことにした。

「実は、急にお伺いしたのは、警察から夕羽さんが亡くなったと連絡があったからです」

 年明け、急に刑事二人が訪ねてきたこと、事件と事故の両面で調べられていると言っていたと伝えた。

「警察からお聞きかもしれませんが、夕羽さんはお亡くなりになる直前に、私と連絡を取ろうとしていました。何か相談があるとかで」

 視線を落として聞いていた夕羽の母の目元がピクリと動いた。

「その件ですか……。でも、うちには連絡もなかったので内容がわからないのです。何か悩んでいたそうなのですが」

 そうため息をついた。薫はどことなく違和感を覚えた。娘が死んだばかりなのに、母親からは悲しみもあるが、ひたすら途方に暮れ、なぜか諦めたような印象を受ける。

「では、パソコンに残されたメモの内容については、特に気になった点はなかったたでしょうか?」

「わかりません」

 倦んだように俯き、夕羽の母親はぽつりと呟いた。

「あの子は、私にはほとんど自分の話をしなかったので」


 その一言で、薫には夕羽と母親の関係が少しイメージできてしまった。見た目でもわかるほど病弱そうな母親としっかり者で責任感の強い長女。高校在学中の夕羽は、あまり浮ついたところのない大人しいタイプだった。人のフォローをさりげなくしていて、目立たないけど芯が強い彼女は、責任感もあり、自分でどうにかしようとしてしまうのだろう。母親もそれをわかっていながら、自分のことで手一杯のまま過ごしてしまったのだろう。夕羽としても、どうしたらいいかわからないことを、相談できる状況じゃなかった。――でも、もう二度と修復もできない。

「……そうですか」

 薫は俯き、少し言葉を探した。真子は内心ハラハラしていると思うが、薫の後ろで静かに控えていた。しばし沈黙が下りる。

 それでも、何か夕羽が伝えたかったことへの糸口を探そうと思い、考えを巡らせていたところに、家の奥からトントントンと、階段を下りてくる音が聞こえてきた。

 間を置かずリビングのドアが開く音が聞こえた。その音に反応し夕羽の母親が顔を上げる。


「母さん。……ごめんなさい。お客様だったんだ」

麻日あさひ

 そう声を掛けて立ち上がった母親の声に、少し張りが生まれた。

 薫と真子が声のしたほうを見ていると、和室に制服の上にコートを着た高校生らしき男の子が現れた。

「来客だとは知らず、すみません。弟の麻日です。今日はありがとうございます」

 そう丁寧に挨拶をするのを聞いて、薫と真子も頭を下げる。

「夕羽さんの高校時代の友人で、多知花と言います」

「後輩の幡多野です」

 年齢にそぐわず、とてもしっかりした印象だった。背の高いことと、目元が夕羽に似ている。

「多知花……下のお名前は薫さんですか?」

「はい」

「では、もしかして姉のメッセージの方でしょうか?」

 そう言って、麻日は薫の顔をじっと見つめた。薫が「はい」と答えると、何かを言いたそうな素振りを見せる。それを後ろで見ていた母親は、

「麻日、今日も図書館へ行くんでしょう?」

 と、急に声を掛けた。麻日の顔にサッと何かの感情がよぎり、口を結んだ。

「ほら、あなたは受験生なんだから」

「――うん。行くよ」

 そう言って薫に向き直ると目を合わせる。薫はその表情に一瞬目を見張った。

「今日はわざわざ来ていただきありがとうございました。姉も喜んでいると思います」


 そう挨拶し、再び頭を下げて出ていった麻日の後姿を見送ると、母親は愛想笑いを浮かべた。

「ごめんなさい。あの子、来月にも試験を控えているので勉強に集中させたくて」

 と、母親が取り繕うような調子で言った。高校三年生ということは、一月二月は受験期だ。薫は頷く。

「そんなお忙しい時期にお邪魔してすみません。私たちも、これで失礼いたします」

 そう言って帰る支度をする。真子はそれを聞くと、慌てて荷物をまとめた。夕羽の母親は「あら、お茶も出さないで」と、気がついたかのように言ったが引き留められることはなかった。

 薫は和室を去り際、仏壇の夕羽の写真を見る。

(……またね)

 何となくもう一度、来なければならない気がする。


 玄関で夕羽の母親に辞去の挨拶をしながら、ふと家全体に漂う雰囲気が何なのか思い当たった。『寂しさ』だ。この家は寂しく寒々しい。それは夕羽が亡くなったからなのか、それ以外の原因なのかは、薫にはわからなかった。玄関先で見送る母親は、薫たちを歓迎していなかったようだが、ホッとしているよりも心細い顔をしているように見えた。

 駅に向かって歩きながら、薫は改めて思う。追い詰められていた夕羽が伝えたかったことを、私は探さなければならない、と。

「先輩、いいんですか?」

 後ろを付いてくる真子が訊いてきた。夕羽の家が見えなくなってから薫は応えた。

「うん。多分、先で弟君が待っていると思う」

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