第二章 薫 第7話①
駅への道は、少し大きめの公園を曲がるとあとは真っ直ぐなのでわかりやすい。改札前に線路を渡る踏切がある。その手前の道にある自動販売機の横に、制服にコートを着た長身の男の子が見えた。必ず通る道なので、待つのにちょうどよかったのだろう。
薫と真子が見えたらしく、麻日は読んでいた本を閉じて、向こうから歩み寄ってきた。
「よかった。合図に気がついてくれたんですね」
「お母様に見えないようにしていたってことはわかった」
薫が頷く。あの時、母親から声を掛けられた麻日が、薫を見つめて素早く口を動かしていた。「あとで」と動いた気がして、目を見張ったのだった。
麻日は照れくさそうに頭を下げた。
「回りくどく呼び出してしまってすみません。お時間大丈夫ですか?」
薫も家族から話を聞きたかったことを伝えると、麻日はホッとした表情を浮かべた。そのまま三人で藤沢駅まで移動することになった。この小さな駅の周辺に喫茶店などはなく、寒空の下で立ち話はかなり目立つ。
麻日の先導で、藤沢駅に向かった。駅の北口を出て、高架の歩行者用デッキを少し歩き、地上に降りてからすぐ路地に入る。少し先に、ブロックをレンガ調にして、エンジ色の外壁が味わい深い喫茶店が見えてきた。窓から見える店内の雰囲気も王道の喫茶店といった風情で、十代の学生が選ぶのにはかなり渋い。
「ここ、けっこう老舗の喫茶店なんですけど、最近はレトロブームらしくて僕たちみたいな若い人の来店も増えているんです。普通のカフェだと人も多いし、こういうところのほうが落ち着くかと思って」
そう言って浅日は店内に入る。薫と真子は顔を見合わせた。真子がこっそり薫に「弟君、モテそうですね」とささやき、薫は苦笑いする。二人で麻日の後に続いた。
店内は、年月が作り出す飴色にいぶされている。きっと昔は煙草の煙が渦巻いていたのだろうと思われるが、今は時世の流れに漏れず、全面禁煙になっているようだ。
窓際の席に着き、麻日の向かい側に薫と真子が座った。薫がコーヒー、真子はすごく迷ってロイヤルミルクティーを、浅日はホットのカフェオレを頼んだ。この店はプリンアラモードやペアになったメロンソーダというものがあるという。甘味好きな真子は、目を輝かせていた。
「改めまして、安西麻日といいます。今日は遠いところ、姉のためにありがとうございました」
頭を下げた麻日に、薫も自己紹介をすると、真子も続いた。
「多知花薫です。夕羽さんとは高二の時のクラスメイトでした」
「幡多野真子です。一年後輩ですが、委員会などでお世話になっていました」
「……そうですか。急なことだったので、会社の方が何名か自宅まで来てくださったのですが、友人関係は連絡ができなかったので姉も喜んだと思います」
そう、少し寂しそうな笑顔を見せた麻日に、薫から切り出した。
「今日お伺いしたのは、ご挨拶だけではなく、ご存知のとおり夕羽さんから私宛のメッセージがあったと知ったからです。実は、その少し前から、私に連絡を取ろうとしていたようでした。そのことを警察から聞いたのは、一月半ばくらいで、私も詳細はわからない。……よかったら、夕羽さんが事故に遭ったあたりのことを教えてもらえますか?」
麻日は頷くと、視線を下げたまま続けた。
「警察から連絡があった時はクリスマスの直前で、僕も母も、……父も混乱しました。初めは、状況から自殺らしいと聞いたのですが、そんな素振りは全くありませんでした。姉は……夕羽姉さんは、母と折り合いがあまり良くなかったのは、お気付きになったと思います。でも、僕とは頻繁にやり取りしていました。受験も近かったので、ここ数カ月は落ち着いて会うことはなかったんですが。それでも、LINEや電話で連絡は取っていました。あんな風に自殺するなんて、考えられなかった。でも、警察の話では、道路に急に飛び出したのは姉だったと」
「……はい」
「姉は、それほどお酒が飲めるタイプではないと言っていましたし、むやみに羽目を外す人でもないです。真面目で、責任感が強くて、慎重な人でした。深夜に青梅街道に走りこむなんて、よほど混乱していないとあり得ない……。そう警察に言いました。――少しして、姉がしばらく自宅のマンションに帰っていないこと、誰かに付きまとわれていたらしいことを聞きました。部屋に残されていたバッグに入っていたパソコンに、多知花さん宛のメッセージが残っていたことも。……僕は本当にびっくりしました。だってそんなこと何も知らなかったから」
浅日は顔を上げて薫を見た。
「僕は、結構仲がいい姉弟だと思っていました。僕とは少し歳が離れているけれど、だからこそ姉さんが母親代わりみたいなところもあって。悩みの相談に乗ってもらったこともあったし、僕に話してくれたこともありました。進路や部活の悩みや恋愛相談も。
……でも、事故前の状況は、本当にほとんど話してくれてなかったのがショックでした。自宅に帰ってなくてホテルを転々としていたことや、誰かに付きまとわれていたことも、全然知らなかった。そんなに困って悩んでいたなんて言ってくれればよかったのに。そう思うと悔しくて」
麻日は、少し潤んだ目をして次から次へと話した。多分、誰にも言えなくて苦しかったのだろうと、薫は口を挟まず黙っていた。
「僕が受験前で、余計な心配をかけたくないと思っていたことは、わかります。姉さんはそういう人ですから。だからギリギリになっても言い出せなくて、こんなに追い詰められてしまったんだと。だけど……、」
麻日が、言葉を切って一度大きく息を吸う。
「……すいません、自分ばかり話してしまって」
そう言って手付かずだったカフェオレを飲んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます