第二章 薫 第4話

「何ですかこれ……」

 変換された文章の黒丸は復元できなかった部分だとしても、内容の不気味さに言葉を失う。

 薫は首筋から後頭部にかけて鳥肌が立つのを感じた。

「夕羽は、このマンションに引っ越してから、何かに巻き込まれていたんでしょうか?」

 浪川は眉をひそめて考え込むような表情をした。

「正直、これを解読するまでは、安西さんは抑うつによる突発的な自殺だと考えていました」

「周囲の方の話でも、最近、職場で元気がない、顔色が悪かったと話す同僚もいたんです。仕事量はそれほどでもないはずなのに、うたた寝をしているのを目撃されることもあったようです。真面目で評判が良かった彼女らしくない、と」

 滝が職場での情報を補足する。

「これを見ると、不気味なのはもちろんですが、どうもストーカー被害を受けていた可能性が出てきました。それも、部屋に関係する女性らしいようです」

「……たしかに、『白●●女が追●●けてくる』という部分は、そう読める気がします」

「多知花さんにお伺いしますが、ご実家についての話が書かれていますね。旅館の方には本日行かせていただきました。神社というのはどういう繋がりなのでしょうか」


 刑事たちは直接薫の実家に行ったために、大磯まで来やすかったようだ。

 神奈川県の北部山間にある薫の実家は旅館を営んでいる。そして父は地域の村社である「花鎮神社はなしずめじんじゃ」の禰宜でもあった。

 薫はそのことを秘密にしている。学校の友人には実家の職業は旅館を経営しているとぼかして伝えていた。ただ、スキー旅行での出来事がきっかけで、夕羽には話したことを覚えていたようだ。

「うちは今では普通の旅館として経営していますが、山の一角にある『花鎮神社』は、私の祖先が別の土地から移住して開いた小さな神社です。昔は修験者が寄る宿坊だったとか。それが、近くに温泉が出たこともあり、普通の旅館になりました。神社のことはほとんど友人に言ってません。……ただ、夕羽には一度だけ話の流れで言ったことがあって、それでここに書いたんだと思います」

 本当は刑事に詳しく言うのも避けたいが、薫の実家に行ったのなら隠すのも面倒になるだろう。薫は小さくため息をついた。

「家が神社だと、変な頼みごとをされることも多いので基本は隠しています」


「なるほど。するとここに書かれていることは、神社に関係する内容なんでしょうかね?」

 浪川が探るように薫を見たが、わかるわけがない。薫は首を振る。

「内容が文字化けしているからだけではなく、本当に夕羽とは卒業以来会っていないので、状況はわかりません。周りの友達に連絡先を繋いで会おうとしていたくらい、切羽詰まっていたみたいですが。でも、もし神社に関係することを聞かれても困っていたと思います」

 マンションでのストーカー被害と、薫の実家が神社であることが、一体どう繋がるのか意味不明だった。単なる厄除けくらいなら、どこの神社でも依頼できるはずだ。

 浪川と滝はちらりと視線を見合わせる。それが合図だったのか、また滝と浪川が話し始めた。


「実は、もう一つ判明したことがあります。安西さんはどうもマンションに帰っていなかったようでした。ここ一カ月ほど、都内のホテルや簡易宿泊所を転々としていた形跡がありまして。周囲には出張と言っていたようですが、会社に確認をしてもその事実はありませんでした。何らかの理由で、マンションには帰らず過ごしていた」

「私たちは、その原因がこの手紙に出てくる女だったのではと考えています」

 浪川が手紙を指差した。滝が続ける。

「これは、周囲の防犯カメラなどを確認してわかりましたが、事件の夜、渋谷のカプセルホテルにチェックインした後、カフェで過ごしていた安西さんが、二十二時過ぎに自宅に戻る様子が駅の防犯カメラなどに映っていました。カプセルホテルには大型のトランクがそのまま保管されており、長期宿泊を思わせる中身でした。しかし、周囲の方たち、会社の同僚などは安西さんが部屋に戻っていないことは知らなかったようです。誰にも相談せず、この一カ月ほど自宅に戻らず生活していた」

「状況を整理すると、安西さんはしばらく部屋に帰っていなかったのが、事件のあった夜に、会社の人から次の日に使う資料を持ってくるように言われ、それを取りにマンションに戻った。そこで何かが起こり、事故にあった」


 滝と浪川が淡々と説明するが、薫はその内容に愕然とした。自宅に帰らず宿泊施設を転々としていた? それほど追い詰められた状況だったのに、夕羽は誰にも相談できなかったのだろうか。

「――そんな状況だったなんて思いもしませんでした。連絡したいと後輩から話が来た時は、何も言っていなかったので。言ってくれればもう少し早く連絡できたかもしれないのに……」

 刑事たちから聞かされるに、薫は戸惑った。最後は言い訳じみた言葉になってしまう。それほど親しい友人ではなかった夕羽だが、薫に連絡をするほど『何に』追い詰められていたのだろう。

 浪川も滝も少し黙ってコーヒーを飲んだ。


「――でも、高校を卒業して数年経って連絡してくる友人に警戒するのは仕方がないものです。僕も経験ありますよ。警察学校に行ったのを知らないで、昔の友達からヤバいセミナーの誘いがあったりね。……あまり気を落とさないでください」

 滝が慰めるように声を掛けた。

「……では、他に何か気が付いたことがあればこちらにご連絡ください」

 浪川が切り替えるように言い、薫に名刺を渡す。それを合図のように滝が机の上を片付け始めた。手紙を回収しようとするのを見て、薫は思わず止めた。

「あの、その手紙を頂くことはできますか?」

「これですか? 内容はほとんど読めないと思いますが」

「……夕羽が最後に私に宛てたものなら、私がもらっておきたいんです」

 もらったところでどうしたらいいのかまだわからないが、これは薫が持っておくべきだと感じる。


 すると、何を納得したのか浪川が小さくうなずいた。

「わかりました。まだ捜査中の物ですので、取り扱いには注意してください」

 そう言って浪川は席を立ち、一礼するとさっさと出口に向かう。慌ただしく帰り支度をしていた滝は、去り際に薫へにっこり笑う。

「また何か思い出したらいつでも連絡してください。こちらもご連絡するかもしれませんから、スマホの着信は無視しないでくださいね」

 と、滝も名刺を差し出してくぎを刺す。

 薫は小さく「すみません」と呟き首をすくめた。

 滝はその場で会釈をすると、会計を済ませて浪川の後を追いかけた。薫もその場に立ち、刑事たちを見送ったが、頭の中は疑問でいっぱいだった。

 ――夕羽に何が起こったのだろう? 判別できない手紙は、薫に何を伝えたかったのだろうか。

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