第23話 イヤな子

 翌朝教室に入って自分の席に座り、普段は座っているはずのぽっかりとあいた椅子を眺める。お昼休み以外はそこまで親密に会話しないし、なぜ休んでいるのか一番近くに居てわかっているはずなのに、彼の居ない授業時間を過ごすのかと考えると些か気が重い。



「姫嶋さん、おはよう! 上杉君の具合、どうですか?」



 私が現れるのを今か遅しと待っていて、彼の状態を心配している女の子がここにもいた。さすがバド部というべきか、机の間をうまくすり抜けてノート片手に最短ルートで机に来てくれた神谷さん。



「上杉君は保健室から車へ、車から自宅へと私の父上が抱っこして彼のお母様に引き渡されましたので大丈夫だと思います」



 彼女の気持ちも知っているだけに必要最低限の情報以外は限界まで削りつつ、多少の脚色はいれたつもりだ。ノートを受け取りながら精一杯の笑顔でそう答えると



「ううん、私なんてあの時支えきれずに一緒に潰れちゃいそうだったもの。それを助けてくれて、自分より重い男子を担いで保健室まで運んじゃうんだもん。姫嶋さん本当にすごい! 上杉君が居ない間、一緒にお弁当食べましょ」



 表情はニコニコしながらも、恐らく彼女は素直に話してくれているのだろうに、なぜこんなにも嫌味を言われているように感じるのだろう。


 まるで『女の子は倒れてきた男子を支えられないくらいがかわいいものよ、柔道やってる人はその点ゴツイわね』と言われている様な気分。


 席に戻っていった彼女の背中を見ながら、そんなイヤな事を考えてしまっている自分が居る。クラブ活動で二人が一緒にいる時間を私は知らないし、終礼と同時に一人で道場に向かう自分にいつも寂しさを感じていたのも事実だし、何より『上杉君がいない間』というワードが引っ掛かる。素直に女の子同士仲良くしたいのならこんな言葉は使わないだろう。この裏にはいつも昼食時に彼を独占されている嫉妬心や、それでいてクラブ活動の時間には自分が彼を独占しているのよ的な意味が含まれているのだろうか?



(何考えているんだろう、私。すごくイヤな子になってる……)



 思考を停止させて一限目から授業に集中しようとするも、どうしても目立つ空席が視界に入り、グルグルと同じことを考えてしまう。彼女が書いてくれたノートを開いてみると、女の子っぽいかわいらしい文字で書かれており、重要な部分と思われるところにはしっかりとマーカーが引かれている。


 神谷さんは子役モデル出身で人気者、成績も優秀でいつも人の輪が絶えない。それに引き換えこちらは上杉くんとニコニコできるのは昼食の時間くらいで、空いた時間はもっぱら一人で読書。チラリと斜め横に目をやると、彼に伝えるために一言も聞き洩らしてなるものかと、ものすごく集中して授業に取り組んでいる神谷さんの姿が見える。


 モヤモヤしながら時間は過ぎてお弁当の時間、彼女はいつも彼が座る私の正面にやってきて、クラブ活動での彼の活躍や自分が練習で苦しんでいた時に助けてもらった話などを楽しそうに喋りながらお弁当を食べている。


 私はといえば自分が知らない上杉くんとの時間の話を延々と聞かされ、時折相槌を打ちながらも答えようのない話題に困惑している状態だ。こうなるんじゃないかと予想していた状況はまさにその通り訪れ、ため息をつく訳にも行かずに必死で笑顔を作りながら時間を過ごしている。


 何とか一日を終えて道場へ向かうも精神的に疲れ切っており、全くと言っていいほど練習に身が入らない。基礎練習や柔軟、乱取りの最中にも目の前で話をしている神谷さんの顔がチラチラ出てきて、いつものように気持ちが入れられないのだ。当然この異変に師範である父上は気づく訳で



「柚子葉、ちょっと来なさい」



 と呼ばれる。目の前で背筋を伸ばして正座し



「よろしくお願いします」



 一礼すると、父上も腕を組んだまま正座して正対する。そして



「心配で仕方がない気持ちはわかるが、竜星君が居ないのは一週間くらいのことだろう? あの子は強い子だから元気になって戻ってくるさ、何といっても柚子葉の特性お粥を食べたんだからな」



 この一言で昨日の幸せな時間の記憶がブワッと一気に蘇り、神谷さんに対する全てのモヤモヤは吹っ飛んだ。



「ありがとうございました! 」



 お辞儀をして稽古に戻った私は、いつも以上にパワフル柚子葉だ。だっていろいろ思い出しちゃったし、嬉しいし照れ臭いし。これ以降、驚かれはしても父上から注意を受けることは無かった。


 そして翌日、すっかり余裕を取り戻して自分から神谷さんの机に掛け寄って声を掛ける。



「神谷さん、おはよ! 昨日柔道の稽古しながら考えたんだけれど、上杉君の分まで全教科ノートを作ってくれているでしょ? 勉強って時間が空くほど大変だし、もの凄い量を一気にやらなきゃいけなくなるから、もし神谷さんが負担じゃなかったら様子見がてら、行ける日は届けてあげたらどうかなーって。ほら、昨日お弁当の時に『帰り電車の中でグリップの握り方を教えてもらった』って話してくれたじゃない?ってことは『帰る方向同じかも』って思ったの。私は幼馴染だからお家の場所は知ってて地図は書けるけど、柔道の稽古があるから行けないの。神谷さんのノートってすごく字が綺麗で見やすく書いてくれているから、彼も喜んでくれるんじゃないかな」



 これを聞いた彼女の表情たるや、お弁当の時とは別人と言えるくらいの弾けた笑みで大喜び。



「そっか! そうだよね! 顧問に話をして少し早めにクラブ活動あがらせてもらって、毎日ノート届けてあげたら喜んでくれるよね! そしたらどれくらい元気になってるのかも姫嶋さんに伝えられるし。そうだ、そうしよ! 」


 その翌日からお弁当の時間になると毎日彼の状態を教えてくれて『上杉君が復帰したら練習がんばるぞー』と彼女にも幸せな気持ちになってもらえて、本当によかったよかった。


 父上のアドバイスから閃いたとはいえ、私はやっぱりどこかイヤな子なのかもしれない。

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