第24話 イノシシ君
結局一週間学校もクラブ活動もお休みし、すっかり元気になった日曜日。地区大会に向けて朝から体育館を開けてくれるというのでイソイソと張り切って学校に行くと、校門の前にいつものように高級外車が停まっており、高見澤さんが降りてきた。
「おはよう。あら、早いのね」
「おはよう! 高見澤さんこそ早いんだね。一番なんじゃない? 」
「女子部長として体育館のカギを顧問から預かっているの。あなたのことだから張りきって朝早く来るんじゃないかと思って。それはそうと姫嶋さん、全中優勝したのね」
校舎のど真ん中に『祝 姫嶋柚子葉 全国中学生柔道選手権大会 優勝!』と、ものすごく大きな横断幕が下げられていた。
「すごいな! 優勝したばかりなのに、もうこんなに大きい幕がぶら下げられているんだ」
「それは自分の学校から全国優勝者が出たとなれば、学校としたら大ニュースよ。来年からは中学柔道クラブも柔道場も作られるでしょうね。新聞を見たらものすごく大きく写真付きで載っていたのでびっくりしたわ、駅前では地方新聞の号外も配られたらしいわよ」
「へー、そうなんだ。あんまり新聞とか読まないから知らなかった! 」
「あら。一週間も学校お休みして新聞も読まず、何で『優勝したばかり』って知ってたの?」
「母親同士がお花の稽古を一緒にやっていて、姫嶋さんと僕は幼馴染みだって彼女が転校して来てから知ったんだ。それで先日は道場の皆さんに母も加えてもらって一緒に会場で応援して、優勝おめでとうを姫嶋さん家でお祝いしてきたの」
「姫嶋さんって、二年生の初め頃に転校してきたわよね」
「うん、それくらいだったと思うよ」
「柔道部もない中学に二年生から転校? それで上杉君と幼馴染みか……」
そんなこんな話をしながら体育館に向かって歩いていると、後方からものすごい勢いで走ってきたであろう何かにドンと背中を突き飛ばされて、高見澤さんを置き去りのまま前方に吹っ飛んだ。両手が開いていたので幸い顔面から着地せずに済んだが、いきなり何がぶつかってきたのかまったくわからない。地面と仲良しの状態で振り返ると、口に手を当てて驚き固まっている彼女の横に仁王立ちする面識のない男子がいた。身長はそこそこながら、もの凄い形相で見降ろすように僕を睨みつけている。
「上杉君! 大丈夫? ケガとかしてない? 」
直ぐに駆け寄ってくれた高見澤さんは自らの肩に僕の腕を回してゆっくりと立ち上がらせ、ジャージに着いた砂を優しく払い落としてくれながらすごく心配そうだ。
「うん、大丈夫だよ。びっくりしたけど、どこも怪我はしていないよ」
どこかいつもツンとしていて『近づかないでオーラ』を身にまとっている感じなのに、体を密着させ優しく起き上がらせてくれて、心配そうな顔で見上げているその表情はとてもかわいい女の子だ。『大丈夫』というキーワードを得た彼女はニッコリ微笑んだかと思うとクルリと背を向けて、イノシシのようにぶつかってきた人物に凄く冷ややかなトーンで話し始める。
「どういうつもりかしら、我が校のエースに不意打ちのような後ろからの衝突。卑劣極まりないのは言うまでも無いけれど、男として生きていて恥ずかしくないのかしら。どうやら見たところ頭の中は閑古鳥が鳴いていそうだし、果たして今私が話しているこの人間の言葉が理解できているかも疑問よね。先ずはこの私が意味不明なあなたと話をしなければならなくなった点について、目の前で腹を切って謝罪してくれるかしら? 」
ものすごく怒っているのが雰囲気からわかる。辺り一面が凍り付いてしまいそうなこの冷徹な言い回し、声を荒げることなく一見穏やかに話している様に見えるけれど、その内容はとんでもなくサディスティックでおぞましい。
「ごちゃごちゃとウルセエ! オレはその男に用があるんだ、女はすっこんでろ! 」
「あらあら、日本語が通じないのかしら? 私は謝罪の気持ちを込めて腹を切りなさいと言ったの。あなたの汚い声を聞きたいなんて一言も言っていないし、同じ空間で呼吸をしているのかと想像するだけで汚らわしいのだけれど。言葉の通じないイノシシは猟友会の皆様に来てもらって、害獣として駆除をお願いする必要があるわね」
たけり狂った様子で相手が一歩を踏み出したのを見て、背中から彼女の前に出ようとすると
「大丈夫よ」
細くきれいな指で自分の後ろに居るように制せられた。生意気な障害物を横に押しのけてこちらに向かって来ようとした瞬間、高見澤さんは自身に一瞬触れた彼の指を掴んで動きを制し、そのまま腕を背中側に捻じり上げて地面にねじ伏せてしまった。柚子葉ちゃんのように投げるのではなく、ねじ伏せるという表現が最も正しいと思う。
「高見澤家は代々柔術を継承する家系で、もちろん私もその一人。柔術って見たことあるかしら? 」
立ち上がることも適わず呻いている彼をよそに、僕に向けられた言葉と表情は優しく可愛らしい女の子だった。
「ううん、初めて! あっという間に倒しちゃうなんて、高見澤さんって細くてかわいいのにものすごく強いんだね! 」
地面でモゾモゾ抵抗しようとしている背中を照れ隠しにドンと踏みつけ、少し恥ずかしそうに目線を反らしながら
「う、うん。柔術はね、相手の力が大きければ大きいほどその効果も強くなるの。いくら相手が大男だとしても、こんな風に指一本取ってしまえば力とか大きさとかは関係なくなってしまう武術なの。バドミントンも一緒よ、力ではなくポイントを正確にとらえますでしょ? 」
うっすら頬を染めながらモジモジと、らしくない話し方をしている彼女の正面に回り
「高見澤さん、助けてくれてありがとう! でもこれ以上やっちゃうと怪我をさせてしまうかもしれないし、誰だか知らないけどジャージを着てバドミントンのラケットケースを持っているってことは、どこか他の学校の選手だと思うんだ。怪我も無かったし、もう反省していると思うから放してあげてくれるかな? 」
少し離れたところに置かれている、恐らく彼の所有物であろうカバンを指さしながら反対の手をそっと差し出すと
「はい」
今まで聞いた事の無い声のトーンと見た事の無い表情で見上げながら、彼女は白魚のような指をそっと手の上に乗せた。言うことを聞いてくれて彼を解放した彼女の手を握りながら立ち上がらせ、優しく頭をポンポンして
「ありがとう、高見澤さんは素直で優しい女の子だね。それに比べてこっちはどうやら僕に用があるみたいだから、話を聞いてみるね」
伝えると、再び
「はい」
静かに口にして彼女は一歩下がった。
(しまった! 勢いとはいえ、手を握ってしまったのを怒っているんだろうか? いや、きっと頭を触られた方がショックは大きいと思う。助けてもらったのに、女の子に対してなんて恩知らずで失礼な事をしてしまったのか。一連の騒動が終わったらちゃんと謝ろう)
捻じり上げられた状態から解放された彼は、立ち上がってジャージの砂をパンパンとはらっている。
「まあ、いろいろあったけど痛み分けって事にしないか? 君が何でここに来たのかとか重要な部分を訊かせてほしいし、そもそも何で自分が標的なのか全く分からないんだ。ラケット持ってるからバド、やってるんでしょ? 今日は他校と練習試合があるなんて聞いていないし、理由を聞かせてよ」
少しの沈黙の後、再び睨みつけるようにして口を開いた。
「この学校で真っ赤なバドのラケットケースを持っているヤツ、オマエ上杉だろ! 小さい頃からずっと一緒にモデルをやってきたオレですら貰ったことの無い、ミリリンからのバレンタインチョコを受け取ったのがどんな奴かと見に来てみりゃあ、ミリリンの居ない所で他の女とイチャコラ歩きやがって! 彼女は天使でアイドルで、オレの超絶推しなんだよ、彼女を弄ぶのもたいがいにしろ! 今日は部活に行くつもりだったけど、ここでオレの強さをミリリンに認めてもらって、推しはオレが守ることにする」
僕も高見澤さんも右斜め四十五度くらい、同時に首を傾ける。よくわからない言葉はあったものの、彼が言わんとしている半分くらいは理解できた気がする。
「彼がクラブ活動中にチョコレートを貰っているのを確かに私も知っている……ということはあなたの言うミリリンっていうのは神谷美鈴さんで間違いないのよね? そして幼少期から一緒に子役モデルをやってきた間柄で、彼女はあなたの天使であると。その超絶推しである神谷さんがバレンタインにチョコを渡した上杉君を朝練に行く途中でたまたま見かけたところ、私という美少女と談笑しているものだから『不埒なヤツめ』と頭にきて後ろから突進した。そして自分の方が彼よりふさわしいことをバドで証明したいから、神谷さんに観て貰っている状況で彼を打ち負かして『幼馴染のあなたの方がステキで自分を超絶推しと言ってくれているのだから、上杉君にチョコレートを渡した私が間違っていましたゴメンナサイ。一生あなたについていきます』と言わせたいわけね。何それ気持ち悪い、脳みそが発酵しているのかしら? 別にあなたの名前を知らないし知りたいとも思わないけれど、今にも朝食のグリーンスムージーが胃から出てきそうなくらい不快だから名前くらい名乗ったらどうなの?」
流暢に声のトーンは一定で、一切噛むことなく高見澤さんは自分を美少女と挟みながらとんでもなく酷い言葉を浴びせた。これに激高するかと思いきや
「おう、理解してくれて嬉しいぜ! オレは西山琥珀、光山寺中学三年だ。インターハイ常連校のここを受験して、来年は同じバド部になると思うからよろしくな! 」
(自分に都合の悪いところは一切聞いていないらしい。なんて都合の良い独善的な解釈なんだ……)
「西山くんでいいかしら?激しく期待を裏切るようで申し訳ないのだけれど、私たち今日は混合ダブルスの自主練習だから神谷さんは来ないの。そういう訳だからあなたの希望する状況にはならないし、何より練習の邪魔だからお引き取り頂けるかしら」
「ミリリンが……来ない?」
そう呟いてしばらく立ち尽くした後、自分の荷物を拾い上げてトボトボと学校から出て行ったイノシシ君だった。
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