第9話 イチゴ

 遂に始まった第一試合。



(サーブはショートかロングか? ショートなら少しでも浮いたタイミングを見逃しちゃだめだ。ロングならバック方向に打たれてもフォアハンドで相手の逆側に返せるように、踵は少し浮かせてフットワークを軽くして)



 最初のサーブはご婦人、こちらが一生懸命戦略を立てている間にシャトルが手から放たれる。



(あれこれ考えるな! 硬くならずにリラックスして最悪でもシャトルを落とさないように全部拾えば何とかなるかもしれない、もうやるしかないんだ)



 ご婦人の手から離れたシャトルは目の高さあたりまでポイと放り投げられ、ラケットはスカッと空を切った。



「あら、恥ずかしい! ごめんごめん、もう一回」



 試合のサーブミスで『もう一回』なんてありえないのだが、審判も苦笑いしてスコアカードをめくらないので惰性でそのままもう一度ご婦人のサーブ。再びポイと投げられたシャトルは『カチン』という音と共にご婦人の真横に飛んでいった。



「もう! 飛んできたやつなら何とかなるんだけど、最初のコレ苦手なのよねー。これでも公園でやる時には家族で一番上手いのよ? 」



 などと言いながら打ち損じたシャトルを取りに行こうともしない。


 ご婦人が動こうとしないのでネットをくぐってイライラしながらシャトルを拾いに行くと



「ほら、市民憩いの大会だから。クリアも軽めにして、適当に打たせてあげてよ」



 主審からも言われた。



(主審からもこんなこと言われるなんて、試合だぞ? 基礎打ちをやる時間も無かったし、どうなってんだ)



 シャトルを拾い上げてみると、学校の授業で使用しているゴムのシャトルよりも安価なもので、羽根に当たる部分には折れ曲がった跡がついたまま。そしてご婦人のラケットは競技用ではなく、ホームセンターなどで売られている娯楽用のラケット。ここでご婦人の発言と主審の言わんとしている意味がようやく理解できた僕の体から緊張という文字は消えてなくなり、本来であればサービスラインギリギリからコースを狙って打つところを少し後ろに下がってアンダーでポーンとあげる。その場に立ったまま思いっきり振り抜かれたラケットは空を切り、シャトルがご婦人のおでこにコツンと当たる。



「あらやだ、オホホホホホホ! ライトが眩しかったわ、もうすこし簡単なの打ってくれる? 」



 なるほど。市民憩いの大会で市民大会、こういう感じなのだな。初試合だからとピリピリしていたが、これならばどこに打たれてもご婦人の打ちやすい場所にちゃんと上げられるくらいの技術は自分にもある。


 ラブゲームのまま試合は進んでいき、こちらは優しくシャトルを上げ、お相手は一生懸命打ったり空振りしたり。気が付けばあっという間の二十一点だった。



「お兄ちゃん、ありがとね。この先も頑張ってね、おばちゃんお昼ご飯作らなきゃだから帰るわね」



 汗だくのご婦人に対し、こちらはようやく趣旨が理解できてスッキリ。



「こちらこそありがとうございました! 一回戦のお相手はどんな方だったのですか? 」



「それがねぇ、放送で呼んでもらったんだけど来なかったのよ。で、私の不戦勝! 久しぶりに汗かいて楽しかったわー」



 遊戯用ラケット一本とタオルを持ち、満足そうに参加賞のお菓子を貰って観覧席に消えていった。試合前の腹痛や吐き気は何だったんだというくらいの爽快感で自分も観覧席に戻り、座ったところで放送が流れる。



「第九コートで試合をされた上杉さん、上杉竜星さん。次は不戦勝となりましたので大会事務局までサインをしに来てください」



 言われるがままに体育館壇上に仮設で作ってある大会事務局まで足を運ぶ。



「上杉さんですね。次の対戦相手の方が『家族でお出掛けするから』とのことで棄権されましたので、こちらにサインお願いします。この後はお昼休憩をはさんでからになりますので大体一時間半後くらいになります」



 出された紙にサインして、再び観覧席に戻り荷物にならないようにと握ってもらった小さめのおにぎりに噛り付いていると



「あー、いたいた。上杉くん!人がいっぱいいるからウロウロ探し回っていたんだけど、ここに居たんだね」



 ジャージ姿の柚子葉ちゃん。これは嬉しいサプライズだ。



「父上がね、練習前のランニングついでにフルーツ届けてあげなさいって。父上ったらあれから上杉くんの話ばかりしているのよ? 気に入られちゃったみたい。ほら、我が家って道場があるから男性ばっかりみたいなイメージだけど、家族ってなったら男性は父上一人だから嬉しかったんじゃないのかな。素直だし礼儀正しいし、父上的にドストライクだったんだと思うの! この間もね、柚子葉が連れてくる男……」



 それまで明るく元気に話していてくれたのに、急にピタっと口を閉じてしまった。



「どうしたの? 」



 心配になって俯いている彼女を覗き込むと



「ううん、何でもない! 楽しくってペラペラしゃべっちゃってごめんね。ランニングに戻るからフルーツ食べてね」



 すごく慌てた様子で行ってしまった。最後の部分はよくわからなかったけれど、柚子葉ちゃんが来てくれたのはすごく嬉しかったし、差し入れてくれたタッパーを開けると、メロンにイチゴにマスカットにマンゴーと、フルーツ達がキラキラしていてびっくり!



(横に座って『はい、あーんして』なんて言ってもらえたら、もうそれだけで金メダル)



 なんてニヤニヤしながら大切に食べていたら、反対側に座っていた小さな女の子が



「ママ、見てー! じゅんちゃんの大好きなイチゴー! 」



 とはしゃいでおり、お母さんは申し訳なさそうな恥ずかしいような何とも言えない表情をしていらっしゃるので、女の子にイチゴを渡してあげる。



「ママー、イチゴー! おにいちゃんありがとー! 」



 キラキラ大喜び。お母さんからは



「すいません……」



 会釈をされるも



「いえいえ、市民大会ですから」



 なんて大人ぶって返しながら、柚子葉ちゃんが来てくれてからのホッコリとした時間を楽しんだ。そして二戦目。さっきまでの異常な緊張はなく対戦相手を観察してみると、ラケットは三本持っており生ゴムのバドミントンシューズを履いている。年齢はかなりご高齢にみえるのに、フットワークは軽そう。



「ボク、試合前に少し基礎打ち付き合ってくれないか? 」



 言われて打ってみると、高校の先輩と基礎打ちしているみたいな感覚だった。ショット、コントロールなどのラケット捌きに関しては間違いなく相手の方が上、ただしフットワークに関しては走りこんでいるこちらに分があるとこの段階で理解した。ここで事務局を通じて主審からアナウンス。



「この後対戦する予定だった人が捻挫のため棄権しましたので、本試合が事実上第九コートの決勝戦ということになります。基礎打ちを見ていて互いに経験者と判断しましたので、本試合からシャトルをゴム製から羽根に変更させていただきます」



 シャトルが交換されて再度基礎打ちを行うと、やっぱりスピードが全然違う。相手は背も高く腕が長い上にラケット捌きが以上に速い、これはひょっとしたら負けてしまうかもしれない。



「ラブオールプレイ」

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