第10話 無理だから
集中力を高めてエンドラインギリギリに高いサーブを打つ。アウトと確信したのか背中を向けてシャトルを見ていた……と思いきや、ライン上ギリギリで頭の上をはるかに超えられるバックショット。
(ヤバイ! )
初動が遅れ、体を弓なりに反らせて後ろにジャンプしながらラケットを振るも届かない。ラケットが空を切って着地と同時にシャトルを見ると、エンドラインを超えていた。
「アウト」
肉体疲労ではない嫌な汗がドッと噴き出す。
(あんな体勢から手首だけでここまで持ってくるなんて、腕力ではなく鞭のような撓りだ。もしもインだったと考えたらゾッとする)
「ありゃ、アウトだったか。まあそれはそれとしてボク、ガットが切れておるぞ? 」
慌ててラケットを見ると確かにガットが切れていた。ペコリとお辞儀をして主審にラケットを見せ、持ってきていた予備のラケットと交換する。今まではシャトルがゴム製だったので、少し緩めに張られているラケットを使っていたことをすっかり忘れていた。コートに戻り再びお辞儀をしてシャトルを受け取り、ゆっくりと深呼吸しながらショートサービスの構えに入る。
(さっきのサーブ、ガットが切れてくれなかったらアウトだった。シャトルが羽根に変わったことだしガットも強めに張られているし、ここからは打ち返そうとしなくてもラケットに当てるだけで何とかなるかもしれない。身長が高くて腕が長いとはいってもシングルスのコート範囲は縦長だ、フットワークとスタミナで勝負してやる! )
「ワン・ラブ」
ショートサービスの構えから手首のしなりを利用して、低い弾道で早く遠いロングサーブ。咄嗟にラケットに触られはしたものの、ネット前甘いところに上がったシャトルを足元に叩き落とす。
「トゥー・ラブ」
今度は一歩下がってロングサービスの構えからの、ネットをかすめる様なショートサービス。思わず一歩下がられるも長い手ですくい上げられるが、こちらも甘く浮いたので叩き落とす。
「スリー・ラブ」
未だ一点も獲られていないが、もの凄い圧をビリビリと感じる。一瞬でも緊張の糸が切れてしまったら一気に持って行かれそうだ。再度一歩下がってロングサービスの構えからのショートサービス、これは読んでいたとばかりに長い腕で叩かれるも、こちらはシャトルの勢いを殺して相手と反対側のネット付近へポトリと落とす。
「フォー・ラブ」
ロングサービスの構えから高い弾道を放ち、ハイクリアスタミナ戦に持ち込む作戦。相手が息を切らして前に落として来たら叩き落とす算段でエンドラインを注視しつつハイクリアを右に左に打ち続ける。相手はバックハンドが強いのでそこまでフットワークを使わなくてもシャトルは返って来るのだが、だんだんと左右に打ち分けられていたものがコートの真ん中あたりに集まり始めた。明らかに疲労の蓄積だと判断し、甘く返ってきた一本を見逃さずジャンピングスマッシュ体勢からのネット前にドロップショット。半ばつんのめるように前に出てシャトルに触りネットを超えるも、今度は叩き落とさずに後方へとクリアを上げる。
(基礎打ちでテクニックでは敵わないのがわかった。それならば徹底的にスタミナ勝負だ)
相手コート側からすると様々な攻撃パターンが予想される中で、現状この瞬間に相手が最も嫌がるであろうショットを打つのがバドミントンのセオリーだ。前につんのめった状態から後方にクリアを打たれ、いくら手が長いといってもフットワーク無しでは絶対に届かないし、アウトになるほどギリギリには打ってない。『キュッ』とシューズの音がして踏ん張って上半身を反らせた瞬間、相手はその場に崩れ落ちた。主審の笛と同時に医療班が担架を持って掛けつけるも、相手選手は
「すまんすまん、腰が……イタタタタタ」
市民大会なので無理は禁物ということで試合はここでストップされ、第九コートの勝者は僕に決定したのと同時に、他のコートの優勝者たちとこの後戦うことになる。
三十分の休憩の後に各コート優勝者が大会事務局の前に並び、男子五名女子三名(二名棄権)が観客のみなさんから大きな拍手を受けた。そしてこの八名によるシングルストーナメントの組み合わせ抽選が箱の中のゴムボールを引いていく形で行われ、幸か不幸か決勝トーナメント第一試合は同じくらいの年で身長も同じくらいの女性に決まった。シングルス決勝は二十一点ニセット先取で行われるため、最長で三セット戦うこともある中で
(男子相手に女の子がシングルスで体力が持つものなのだろうか)
心配をしていたが、これが大きな誤算だっだ。四面のコートに八人が二人ずつ入って一斉に試合開始、それぞれが試合開始前の握手をしてサーブかコートかじゃんけんで選ぶのだが、ツンケンしたこの女の子ときたら
「どっちでもいいわ、男の人と握手とか無理だから」
プイとしている。このスポーツマン精神に則らない態度にイライラしながらも主審にサーブ権を選択する旨を伝え、試合開始。
「ラブオールプレイ」
コートのセンター付近から高いサーブを打つと、リズミカルにステップを踏んで対角線上にドロップショットを打ってきたのを一歩踏み出して、そのままヘアピンでネットをギリギリ超えさせるショットを放つ。そんなに浮いていないはずなのにパシンと叩かれてシャトルは足元に転がった。
「サービスオーバー、ワン・ラブ」
前に出した足のつま先を力いっぱい踏みしめて彼女から放たれた高いサーブをハイクリアで返すと、顔より少し高めに早いドライブショットが返ってきたのでこちらもドライブで返す。
(連続失点してなるものか)
ドライブに対してドライブで返していくと、少しずつ自分の膝が折れていくのを感じる。シャトルの軌道がどんどん低くなってきてミスした方がネットに引っ掛かってしまうくらいの高さに下がっていくのに対し、速度はどんどん上がっていく。シャトルを打つスピードはこちらの方が早いはずなのに、戻ってくるタイミングは彼女の方が早い。僕よりも体からラケットを放して前の方で捌いているから対応が早いのだ。暫く打ち合った後、焦ってネットを超えることなく自分のコートにシャトルを落としてしまった。
「トゥー・ラブ」
同じ姿勢から同じ軌道の高いサーブに対して今度はこちらもハイクリアで返すと、相手もハイクリアで返してきた。互いに右に左に打ち分け続けているが、あきらかにスタミナを削られている、何かがおかしい。気づく前にこちらのハイクリアが相手コートのエンドゾーンを超えてアウトが申告される。
「スリー・ラブ」
また同じサーブ、さっきの違和感を確かめるべくハイクリアで返し勝手にハイクリアが返って来るものだと思い込んでいると、ネット前にカット気味の早いドロップショットが打たれた。一番後ろで構えていたが一気にネット前まで詰めて何とかシャトルに触るも、パシンと叩かれてこちらの足元に転がる。
「フォー・ラブ」
特別な事をされているわけではないのに、こちらの攻撃が全部読まれているかのように彼女の掌の上で転がされている感じだ。そしてまた同じサーブが。
(今度は一発目からスマッシュを打って体勢を崩してやる)
構えた目に入ってきたのはネット前ギリギリまで来ている彼女の姿、これを見て急遽ハイクリアに切り替えたのをあざ笑うかのように軽いステップで後ろに下がりクリアで返される。今度こそはとスマッシュの態勢に入るが、返ってきたのが低い弾道の早いクリアだったのでステップが合わずに上半身だけで打たされた軽いスマッシュをネット前にポトリと落とされる。
「ファイブ・ラブ」
その後も噛み合わないまま、十一対〇でインターバルに入る。彼女には次にどう動くのかまで全部見えている感じだから戻ってくるシャトルに対して迷いなく動けるし、ミスショットも無い。百戦錬磨の全日本選手が手首のスジまで見て先読みできるのはわからなくもないけれど、同じ歳くらいの選手がそこまで出来るとは考えにくい。
(自分には何かわかりやすい癖とか動きとか、何かあるのだろうか)
インターバルが終了して再び試合が始まるも、展開は変わらない。苦手でいつもは使わないバックハンドを使ってみたり、右に体重をかけて左に移動するフェイントをかけてみたりしてもことごとく動きは読まれて確実に自分が予想だにしていない所に打ち込まれる。
「トゥエンティ・ラブ・セットポイント」
とうとう二〇対〇と一点も得点できないままセットポイントを迎えてしまった。こちらは揺さぶっているつもりがゼーゼーと肩で息をしている始末、対して相手はうっすら額に汗を浮かべている程度。
(そんなに無茶苦茶レベルが違うわけでもないのに、何で一点がこんなに遠いんだ……)
シャトルは無常にもネットの上を滑るように転がり、何とか相手コートに返そうとするもネットを超えることは無くこちらの足元に落ちた。
「セット、コートチェンジ」
いくら考えてもトリックの謎がわからないばかりか、どんどん沼にはまっていく感じだ。
(この試合でスタミナ切れになろうがどうなろうが、自分の出来ることをおもいっきりやるしかないじゃないか! )
「ラブオールプレイ」
答えの出ないまま無情にも第二セットが始まり、彼女の高くきれいなサーブが上がる。目線をネット際にやり脱力したと見せかけて後方へハイクリアを打つも、彼女は釣られることなくごくごく普通に打ち返してくる。
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