第7話 ネコの刺繍
「あら、これからクラブ活動なの? チョコレート頂いた神谷さんにもお礼の電話しておいたからね。それから牛乳と卵、おつかいに行ってきてくれる時間あるかしら? 」
背後から聞こえた母の声に少し動揺し
「う、うん大丈夫! 準備してただけだから」
元気よく答えておつかいへ。そして『どこも洗いたくない願望』は夕食後にあっさりと破られてしまったのだった。
月曜日の朝、いつものようにランニングをして時間割を整え学校に向かい教室の扉を開けると、そこには普段通りメガネを掛けて本を開いている柚子葉ちゃんがいた。
「おはよう」
互いに挨拶をして一週間がスタート。授業後に僕はバドミントンへ、彼女は自宅道場で柔道の練習という日々が坦々と過ぎていった。
そして三月十三日の日曜日、小遣いを握りしめてホワイトデーのお返しを探しに少し大きめのスーパーに歩いて出かける。母に頼まれたお砂糖と片栗粉を忘れないように先に購入してホワイトデーコーナーに足を運ぶと、かわいらしいキャンディーやクッキーの詰め合わせなどよりどりみどり。でもここで『高くて買えない問題』が勃発して他に自分の小遣いで買えるものを色々見て周った結果、ホワイトデーとは全然関係ないのだが女の子が好きそうなネコの刺繍入りハンカチを見つけた。
(女の子は良く手を洗うし、ハンカチなんてピッタリじゃん! )
二枚購入して一枚ずつ包装してもらい、足取り軽く翌日学校へ。柚子葉ちゃんには通学途中で渡し、神谷さんにはクラブ活動が終わってから渡した。
「ありがとう! 上杉君からお返し貰えるなんて凄く嬉しい! 開けていい? 」
「もちろんだよ! 」
中身を見た神谷さんは
「そうなんだ、わかった」
先ほどまでのテンションが一転、涙をこらえた様子で俯いたまま帰ってしまった。
(ネコが気に入らなかったんだろうか、それともハンカチ一枚では物足りなかったんだろうか? 同じものを持っていたとか? もしくは何かお手紙でも入れておくのがマナーなんだろうか)
バレンタインのお返しなんて初めてだからわからないし、何より神谷さんの反応を見る限り良くない事が起こっているのは確かだ。
(こういう時、素直に訊けるのは柚子葉ちゃんしか居ない)
母さんに電話を掛けてもらって彼女に代わってもらう。
「もしもし、柚子葉ちゃんあのね……」
「わかってる。ホワイトデーのお返しの件でしょ? 」
「そうなの! 神谷さんにも同じものを渡したんだけど、もの凄く悲しそうな顔で走って帰ってしまって。何がいけなかったのか、柚子葉ちゃんなら教えてくれるんじゃないかと思って」
「そう。神谷さんにも同じハンカチを渡したの……」
「うん。ホワイトデーコーナーを見てみたんだけれど、お小遣いでは全然足りなくて。いろいろ探し回ってかわいいネコが刺繍されていたからきっと喜んでくれると思ったんだけれど……ひょっとしてその声、柚子葉ちゃんも喜んでくれてない? 」
「うーん、上杉くんがホワイトデーのお返しについて何も知らないのを祈ってる感じかな」
「ごめん、何か知らなきゃいけないのがあるんだったら教えて。柚子葉ちゃんにしか訊けないの、素直に『かわいいから喜んでもらおう、女の子はよく手を洗うしハンカチを喜んでくれる』ってそれだけなの」
「うん。そうなんじゃないかとは思いつつ『ひょっとしてこの意味を知っていたら、明日からどんな顔したらいいんだろう』ってお部屋で考えてたの。あのね、ホワイトデーに限らず女の子にハンカチを渡すのは『サヨウナラ』を意味するの。もう一回聞かせて……知らなかったんだよね? 」
「知らなかった! 嬉しそうに使ってくれている想像しかしていなかった。そんな『サヨウナラ』なんて言うわけないし、考えたこともないよ。お願い柚子葉ちゃん、信じて! 」
「ふぅー、わかった! 私は上杉くんからそれを聞けたから大丈夫。ハンカチありがとう、さっそく大事に使うね! 明日登校したらすぐにでも神谷さん呼び出して、私に言ってくれたことを素直に伝えた方がいいよ? 勘違いがこじれちゃうと修復するの大変だからね、同じバドミントンで頑張ってる子だし」
「教えてくれてありがとう。柚子葉ちゃん、大好き! 」
「ほーら、そういうところも勘違いさせちゃうとこだよ。女の子にそんな簡単に『大好き』なんて言ってたら勘違いされちゃって、チャラい男の子っていわれちゃうゾ? 」
「勘違い? 素直にそう思ったから言ったし、他の子にはそう思わないから言わないよ? ごめん、これも何か間違ってた? 」
「……」
(泣いてる? )
「もしもし、柚子葉ちゃん? 間違ってたら謝るから教えて。柚子葉ちゃん! 」
「ううん、大丈夫。ありがとう、明日登校したらすぐ神谷さんに言ってあげてね……私もだから」
「私も? 学校で柚子葉ちゃんにも同じこと言った方がいい? 」
「そうじゃないよ、何でもない。電話くれてありがとう、また明日ね」
「こちらこそありがとう、明日ね! 」
こうして翌朝ショボンと登校してきた神谷さんを校門の前で待っていて、一時間目が始まる前に体育館の裏まで一緒に来てもらって説明した。すると彼女の表情は一変し
「え? お返しの意味とか何も知らずに上杉君があのハンカチ選んでくれたの? 」
「うん。女の子はよく手を洗うから、あのネコが刺繍されたハンカチを神谷さんが喜んで使ってくれている姿しか想像してなくて、まさかそんな意味があったなんて本当に知らなかったんだ。ホワイトデーコーナーいろいろ見たんだけれどすごく値段が高くて、僕には買えなかったの。そして家に帰って神谷さんの様子を話したら、母がその意味を教えてくれて……ごめんなさい」
「大丈夫! 上杉君が選んでくれたんだもの。今日は持ってきてないけれど、明日から大切にポッケに入れておくね! ホワイトデーって『三倍返し』なんて言われててね、女性から貰ったらその三倍くらいのものをお返しするのがマナーみたいな。だから売られているものも金額高めに設定されてたのかな? 別にそうしてって言ってるんじゃないのよ? 私は上杉君が想像しながら選んでくれたハンカチ、それだけで充分。気に掛けて朝から待っててくれてありがとう! ほら、チャイム鳴ってるから教室行こ」
こうしてホワイトデーのお返し事件は電話を切った後に
「神谷さんにお話しする時に『柚子葉ちゃんに教えてもらった』って言ったら女の子が傷ついちゃうから『母に教えてもらった』って言いなさいね」
と言ってくれた母さんからのアドバイスのおかげで乗り切ることができた。
バレンタインチョコってずっと憧れてたけれど、甘いだけじゃないんだね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます