第9話

胸が踊る感覚を新鮮に思いながらスケッチブックに鉛筆を動かす。



 描くことを意識したことが無かったから分からなかっただけで、ずっと心踊るような感覚でいたのかもしれない。



 それをコントロール出来ず、スケッチブックに描いた風景にそのまま出てしまっている。





「フフッ、これは駄目だな」





 空に浮かぶ雲も草や木の全てが、嬉しい楽しいと踊っているようで可笑しい。



 一息つこうとスケッチブックを置き、食べずに持ってきたサンドイッチとペットボトルを鞄から出す。



 包を開けてサンドイッチを食べ始めると、街に続く道から自転車が走ってくる。



 この道の先には牧場主の家ぐらいしかない。牧場の関係者だろうかと近づいてくる自転車を眺めていた。





「ニコロ?」





 そう呟いた時には自転車は目の前を通り過ぎて行ってしまった後だ。



 一瞬だが向こうもこちらの存在には気付いていたようだったが自転車を止めるには至らなかったらしい。



 ニコロが小さな時から数える程度しか顔を会わせていないのだから、向こうが覚えていなくても仕方ないだろう。



 自転車の前カゴにはパンの包らしきものが見えたので配達中だったのかもしれない。



 ぼんやりと小さくなっていく自転車を見ながら、サンドイッチを水で流しこむ。



――もう少し描けるかな?



 時間だけを気にしながら先ほど描いていたもうどうにもならない風景スケッチを笑いながらページを捲る。



 静寂の戻った中また別の方向に視線を向けて筆を動かし始めた。



 さっきより風や草木の音が耳に入り、心も穏やかになっていく。



 集中して気にしなければならない時間の感覚が薄らいできたころ、風に混じって無機質な音が聞こえ手を止め顔を上げる。





「なんだろう?」





 音のする方に視線を向けると、先ほど通りすぎて行った自転車が戻ってきていた。



 また何もなく通り過ぎるだろう自転車を見ていると、近づくにつれスピードが落ちて目の前で止まる。





「こんなとこで何してんの?」



「おはようニコロ。早起きしたからスケッチをしてるんだよ。ニコロは配達かな?」



「牧場のばあちゃんが足を怪我したって言うから治るまでパンを届けてるんだ。それ、近くで見てもいい?」





 描いていたスケッチブックに興味がわいたのか、ニコロは自転車を止めて横に腰を下ろす。



 立てていた膝を伸ばしてスケッチブックをニコロに渡した。

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