2話『陽炎』
村を旅立つ日、思っていたより多くの人が俺を見送ってくれた。
育て親の村長に近所の人々、いつも遊んでいた友人·····。
そういった面々が、朝を迎えてキラキラしている村の入口に並んだ時、俺は朧気ながらに、自分が思っているよりも愛されていた事を知った。
「荷物はそれだけで平気か·····?」
「うん、大丈夫だよ」
心配そうに、日に焼けた顔を歪めた村長に笑いかけて、俺は背中の皮袋を背負い直した。
最後に一度、皆の顔をマジマジと見て、俺は村に背を向けた。
踏み固められた土に、薄らと足跡がついた。
一瞬、旅に出るはずなのに、近所に遊びに行くだけのような不思議な感覚に陥った。
十歩程進んだ所で、後ろから友人達の束になった声が響いた。
「「ハバキー!早く帰ってこいよーー!!」」
その言葉の持つ明るさに苦笑しながら、俺は右手を上げた。
振り返ることはせず、ただ右手を振った。
その日からずっと、俺は旅路の途中にいる───、
◇◇◇
「·····朝か。」
宿の天井を見ながら、もう何度目かも分からぬ呟きを漏らした。
しっかりと鍵をかけて、安宿の部屋を出る。
こんな宿の部屋を狙う泥棒なんているとは思えないが、荷物が俺の全財産だ。本当は、肌身離さず持っていたいくらいだ。
変哲もない木造の階段を降りると、備え付けの食堂につく。
テーブルの四分の一程が客で埋まっている。
冒険者らしき荒くれ者、それに比べて線の細い町人·····。宿の利用者も、食事だけしに来た者も、色とりどり様々な人々が、語らいながら朝食をとっている。
もうすっかり慣れたその喧騒を聞き流しながら、シチューとパンを注文する。
開け放された入口からは、人通りの多い大通りが見える。
俺の旅は、今日で二週間を迎えた。
───ここはアルマ王国の東に位置する都市〝ブランキア〟。
今から二百年ほど前に王国の領土となった、比較的新しい都市である。
ヴィタ村から最も近い大都市であり、豊富に取れる木材を生かした独特の建築と、数多くの冒険者が滞在する活気ある街である。
手早く食事を終えて、外に出た。
朝の日射しと青空が、木造の建物越しに見える。
道には果物を売る露店が並び、それを眺めたり、買い付ける人で賑わっている。
実は、ここに滞在してもう一週間になる。
ヴィタ村を出たあと、小さな町を三つほど通り抜けて、ここに着いた。
初めは街の活気に圧倒されたが、もう慣れた。
ブランキアにとどまっている理由は単純だ。
ここは冒険者の仕事が沢山ある。街の雑用等の低ランク冒険者向けの仕事も多い。
つまり、この街は稼げる。
ゲスい話だが、一人旅の身には金こそが最重要だ。
冒険者にはランクがある。
アルマ王国と、周辺国に支部を持つ冒険者協会の定める資格のようなものだ。
俺は冒険者になって日が浅いので、ランクはFだ。
冒険者ランクは、高い順にA〜Fとなっている。
最高位はSランクで、Sランク冒険者はAランクとは別格の存在だ。王国内でも十人程しかおらず、全員が二つ名を持っている。
ランクを上げるためには、依頼を一定数こなし、協会から出される試験をクリアしなければならない。
現在の俺はFランクなので、今はEランクを目指している。
街の掃除や雑用を主な仕事内容とするFと違い、Eランク以上は薬草や害獣・魔物の類を狩ることになるので、最低限の戦闘力を求められる。
試験の内容も、剣技か魔法などの格闘術を計られるらしい。
·····とはいえEランクだ。俺は剣の扱いも分かるし、落ちることはまず無いだろう。
試験を受ける基準は、Fランク向けの依頼を二十以上達成することだ。
俺はあと二個ほど依頼を受ければ、Eランクへの昇格試験を受けることが出来る。
·····この街を出る頃にはEランクになれるだろう。
暖かな午前の陽射しを受けながら歩くと、冒険者ギルドの建物に着いた。
木造が多いブランキアでは珍しく、石造りの建物だ。
三階建てで、入り口が大きい。
建物の中に入ると、テーブルが無数に並んだ広間に出る。
これはあれだ、「ここはガキのくる場所じゃねぇんだぜぇ」って初心者が絡まれるあの場所だ。
宿もそうだが、建物の一階部分は食堂になっている所が多い。わざわざ二階に水や食料を運ぶのは面倒だからだろう。
夕方になると、ここらのテーブルは酒盛りする冒険者達で埋まるのだが、今は朝なので人はまばらだ。
食堂はこんなものだ·····。
奥に進むと、受付がある。
依頼を受注する場所だ。
横の壁一面に広がる掲示板から、貼られた依頼票を剥がして、受け付けに持っていく。
今日はいつもより早く来たので、いい仕事を取ることができた。
「依頼の受注ですね」
受け付けの女性が依頼票を読み上げる。
「〝Fランク、果物屋の店番〟ですね。行ってらっしゃいませ」
店番は、下水道掃除や草むしりよりも楽なのでFランクの中でも人気の依頼だ。
ちょっと地味だが、今日一日働くとしよう。
◇
日が落ちる頃、俺はギルドに戻ってきた。
果物屋の店番は初めてしたが、悪くなかった。
色々な客を見れるし、適度な忙しさがある。店主のおばさんも優しかったし、またあったら取ろう。
自分が日雇労働者であるとしみじみと実感しながら道を歩き、ギルドで夕食を取ろうとした時、周りが騒がしい事に気付いた。
慌てて額に手をやるが、頭に巻いておいたバンダナが取れている気配はない。
最初の町で龍の呪斑を見られた時に小さな騒ぎになったので、それ以降は隠すようにしている。
王国内で、この模様は邪龍と戦った戦士の証という認識があるため、無用な勘違いを生みそうだからだ。
·····俺は親のせいで呪われているだけだからな。理不尽な話だ。
まぁ、それを何とかするために旅をしている訳だが。
「ッんだコラァアア!!」
食堂に入ると、人集りの中から太い声が響いてきた。
ちょうど仕事を終えた冒険者が、食事をしに集まっている時間だ。
ギルドでは、喧嘩は珍しくない。
実際、今までも何回か見たことがある。
遊び半分の力比べは毎日のように行われているし、冒険者とはそういうものだ。
「まぁスコットさん、落ち着いて」
「はぁ!?酒ぶっかけられて、あんなふざけた謝罪されて正気でいられるかよ」
見ると、仕事を終えた冒険者パーティーらしき男の四人組が、何やらヒリついていた。
頭一つ分背の高い、スコットと呼ばれた男が、周りの見物人に自分の服を指さした。
使い込まれた皮のレザーアーマーからは雫が滴っている。
どうやら酒をかけられたらしい。
「まぁ、わざとじゃねぇんだし、こいつ酔っ払ってますから、怒っても無駄っすよ·····」
「俺の気が済まねぇ、もう一回ちゃんと謝らせて───」
男の正面には、テーブルに伏してゴニョゴニョと動いている塊があった。
よく見るとそれは、褐色の肌と緑色の髪をしたダークエルフの男だった。
エルフらしく美麗な顔立ちをしているが、酒のせいで表情筋が溶けている。
酒瓶を手に持って突っ伏しているダークエルフの頭を、スコットと呼ばれた冒険者が掴んだ。
「·····んにゃ?」
「おい、これ見ろ!お前に酒かけられたんだよ」
「·····おー」
それだけ言って、ダークエルフはまた顔を伏せた。スコットの短く揃えられた金髪の下の額に青筋が浮かんだ。
「テメェ·····!」
「もういいだろ、スコット。さっさと飯食っちまおうぜ」
「··········。あぁ、そうだな·····」
全身の筋肉に力を入れたスコットだったが、仲間の言葉に頷いて、青筋を浮かべたまま、憎々しげな視線をくれて立ち去った。
喧嘩にはならなかったらしい。
「チッ、つまんねぇの」
「あのダークエルフ、流れの冒険者だろ?」
用は済んだとばかりに、喧嘩を見ていた周囲の冒険者達は各々の食事に戻った。
·····まぁ、ギルドの日常はこんなところだ。
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