1話『旅名詠む』
「そ···がいいわ········の名前は」
「旅と·····の·····」
馬車の中で、誰かが談笑していた。
自分はその声を後ろに、振動に震える窓ガラスから外の景色を見ている。
森の木々を映しているだけだった風景が突然開け、草原が現れた。
「ほら、良い景色だ」
「本当に·····」
ふと、自分の身体が持ち上げられて、視点がガラスに近づく。
「ほら、見えるか?我が息子よ」
声はそう言って、脇の下を掴んで持ち上げ続ける。
馬車の画角を流れ、目の奥へ景色が飛び込んでくる·····。
開けた一面の草原に、夕暮れの曇り空を抜けたオレンジ色の光が射し込んでいる。
「お前も·····いつか·····」
「ま····気が早·····よ」
二人の会話を背に、いつまでも景色を見続ける。
やがて身体が下ろされて、後ろの二人の顔が見えた。
「可愛い赤子だ」
「貴方の名前、憶えておくのよ」
二人の顔は、西陽に照らされて白く塗り潰され、細部までは分からない。
ただ声だけが、耳へと届く。長い年月を超えて。
「「ハバキ。」」
◇◇◇
ベッドに転がりながら、なかなか去って行かない睡魔を押し退けて、ハバキは瞼を開いた。
「·····またか」
いつも見る夢だ·····。
目を開けたそのままの姿勢で、天井を眺める。
物心ついた頃には、もう両親はいなかった。
その代わりに、俺は村の村長に育てられてきた。
自分で言うのもなんだが、明るい良い子供だったと思う。
畑仕事を手伝って、剣の稽古をして、友達と遊んで·····。平凡な村の子供の一員だった。
今までもそうだったし、これからもそうなのだろうと思っていた。
「·····」
カーテンに覆われた窓の放つ、仄かな明かりを頼りに、ハバキは体を起こした。
見慣れた部屋。
自分が十七年を過ごした部屋を、ハバキは無感動な目で見回した。
何の変哲もない部屋だ。
壁には稽古に使う木剣が立てかけられ、木製の机には、自分で木材を削って作ったガレオン船の模型が飾られている。
改めて眺めるような景色でもないので、ハバキはベッドから立ち上がった。
「はぁ·····」
部屋の入口に置かれた鏡を見て、ため息をつく。
楕円を描く木枠の鏡の中で、黒髪金眼の少年が目を擦る。
平凡より少し上の顔だが、部屋と同じく、改めて眺めるようなものでもない。
·····だが、平凡じゃない部分もある。
少年の額には、赤色の魔法陣じみた模様が刻まれていた。
模様は背中を丸めたドラゴンの様で、刺青と違う証拠として、仄かに赤い光を放っている。
これは呪いの一種だ───。
俺の両親は、優秀な冒険者だったらしい。
王国最大の冒険団に所属していて、二十年前の邪龍戦にも参加した。
勇者と聖女を含めた多くの屍と引き換えに、王国は邪龍を討伐した。
しかし、戦いを生き残った冒険者の額に、突如として謎の紋章が浮かびだした。
それは赤色の龍を描いており、模様が現れた冒険者達は皆、五年後に死亡した。
───模様は〝龍呪斑〟と名付けられた。
龍呪斑が発生した冒険者は皆、ラヴァニールに一撃でも攻撃を当てた者に限られた。
呪いに侵された者は、段々と体内の魔力が薄れていき、五年以内に死亡する。
手の施しようのない呪いと判明した頃には、患者は一人残らず死んでいた。
研究対象が失われた為、呪いの原因や解決法は発見されていない。
────そんな呪いを、俺は受けている。
恐らく両親から引き継いでしまったのだろうが、理由は分からない。
初めて模様が額に現れたのは、今から半年ほど前、十七歳の誕生日を迎えてしばらくした頃だ。
俺の額を見て慌てた
ヴィタには医者がいないからだ。
医者は俺の顔を、〝呪い図鑑〟という、見たことないくらい大きな本を見比べた。
その日の内に俺は両親の死因と、自分の余命を知る事になった。
あの時は、今日こそが人生最悪の日だと思った。
·····だが、その感想は間違っていた。
俺の人生は、日を越す度に、最悪を更新し続けている。
俺はあと五年で死ぬ。
龍呪斑の第二世代なんて見たことないから、もしかすると余命はもっと短いかもしれない、と言い訳する医者の顔を、俺はあまり覚えていない。
村に帰る道も、その日の午後をどう過ごしたかも記憶が無い。
「·····」
───とにかく、それ以降の俺はふさぎがちになった。
友人と遊ぶのも、畑仕事も、剣の稽古も。
何をするにも、直ぐに疲れるようになった。
何もかもが面倒で、辛くて、どうしようもなく苦しかった。
このまま余命を使い切って、死ぬ。
その瞬間が怖くて堪らなかった。
遊んでいる時だろうか、寝ているときだろうか、土の匂いを嗅ぎながら畑を耕している時だろうか?
力尽きて、朝露に濡れた植木の中に倒れる自分を何度も想像した。その度に、むやみやたらに膨らんだ不安に嗚咽した。
そんな時、ある話を聞いた。
賢者が、王都で龍の呪いを研究しているらしい───。
俺は荷物を纏めた。
必要な物は、驚くほど少なかった。
·····ダメで元々だ。
そう心に言い聞かせたが、やるべき事を見つけた安堵に胸が高鳴った。
俺は村を出発した。
───王都を目指して。
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