第三章 いつも隣にいる人

第十五話 様子のおかしいクラウ

 校外実習で優秀な成績を収めることとなった、我らクラウディアグループ。


 実習から数日は、比較的穏やかな日が続いたのだが。何やらクラウの様子がおかしいと気付いたのが、つい先ほどのこと。


 いつもなら、朝、教室に入れば彼女が先にいて、教室の整頓をしながら挨拶の一つもしてくれるところ、この日は何やら浮かない顔で席に座ったまま動かないでいる。


 どうしたのかと声をかけてみても、反応がなく、完全に物思いに耽っている様子。


 頬杖を付いて物憂げにしている様も実に絵になる可憐さだが、こうも普段と様子が違っては、いつも心配してもらっている手前、放置するというのはいただけない。


 そういう訳で、何とか彼女の意識を浮上させようと、あれこれ試してみることにした。


 まずは定番である、目の前で手を振ってみる方法。彼女の正面に移動し、目の前で右手を振って見せる。


 反応は、ない。


 続けて、耳元で指を鳴らしてみる。これならば、警戒心の強い彼女は、反応するのではないか。


 そう思ったのだが、やはり反応はなし。


 目も耳も反応がないとなれば、次は触れてみるしかない。とは言え、断りもなく触れ合えるほど、彼女に気を許されているとは思っていないので、触れる箇所は注意しなければならないだろう。


 いきなり顔に触れるのは危険。髪も同様のはず。


 無難なのは肩辺りだろうが、それでも触れるのに抵抗があるくらいには、彼女は美少女なのである。


 この時点で、だいぶ長いこと彼女の正面にいる訳だが、一向にこちらの存在に気付くことはなく、ボーっと虚空を見つめているクラウ。


 そうなると、こちらとしても心配は増すばかり。ただでさえしっかり者の彼女が、ここまで周囲が見えなくなっているのだ。何か深刻な悩みを抱えている可能性も出てくる。


 今まで散々世話になって来たのだから、こちらも何か返さねばなるまいと常々考えてはいたのである。


 何か困っていることがあるのなら、彼女に助力したい。


「何やってんだよ、クラウディア……」


 何の気なしに、彼女の本名を口にした。


 すると、クラウはハッとした顔でこちらに視線を向ける。


「……ディクス?」

「よう。おはよう、クラウ」


 クラウはポケットから手鏡を出して、そそくさと身だしなみチェックを始めた。気を抜いているところを見られたのがショックだったのか、耳まで真っ赤になっているではないか。


「……今、私の名前呼んだ?」

「名前なら、割りといつも呼んでるじゃないか」

「そうじゃなくて、クラウディアって……」


 ほんの少し顔を逸らし、視線だけチラチラとこちらに向けて、恥ずかしそうに目を伏せる彼女。


 どうして急にそんな反応になるのかわからないこちらからすれば、不意打ちもいいところ。ただでさえ美少女なのに、そんな可愛らしい振る舞いを見せられたら、思わずときめいてしまいそうになる。


「ああ~……。まぁ、確かに呼んだけど……」

「……どうして、その名前で呼んだの?」

「どうしてって、そりゃ~。クラウが元気なさそうだったから……」


 言っていて、自分でも意味がわからない。


 どうして彼女に元気がないと、本名で呼ぶのだろう。


 もちろん、それを疑問に思ったのはこちらだけではないようで、クラウも動揺と困惑が混ざったような視線をこちらに向けてくる。


「と、とにかく! 何かあったんだろ? 悩みがあるなら聞くぞ?」


 話を聞いたところで、彼女の力になれる保障はない。


 それでも、彼女のために何かをしてやりたいと、何かよくわからない使命感に突き動かされるかのように、彼女に詰め寄った。


 それでクラウが心の内をさらけ出してくれる確証もなかったが、言ってしまった言葉は引っ込められないので、大人しく彼女の返事を待つ他ない。


 こちらに悩みを打ち明けるのに抵抗があるのか、彼女は苦しげに顔を俯かせている。


 しかし、今の彼女を焦らせるのはよくないと思ったので、ここは向こうが口を開くまで、黙っていようと決めた。


 一秒経ち。


 五秒経ち。


 十秒経ち……。


 これは聞き出すことは出来ないかと諦めかけたその時、クラウがポツリと口を開く。


「……実家から連絡があったのよ。結婚相手が決まったって」


 結婚相手。この場合は政略結婚の意味合いが強いはず。学生の身分であるとは言え、クラウは貴族の生まれなのだから、そういったこともあるだろう。


 本来であれば、形式だけでも祝福の言葉の一つも言うべきところ。


 だが、彼女の様子を見ていれば、それが好ましいことのようには思えず。むしろ、何故だか無性に胸のうちがモヤモヤし始める始末。


 その正体が掴めないまま、何とか彼女の憂鬱を晴らしてやりたいという衝動に突き動かされる。


「……相手は?」

「……ローウェンハイド家」

「ってことは、アッシュか……」


 アッシュヴェル=ドゥ=ローウェンハイド。同じ一年生で、学年一位の成績の持ち主だ。


 特に背が高いという訳でもないが、その美男子ぶりは学園内でも評判で、高名貴族の出身ということもあり、主に女生徒からの人気が高い。


 いかにも貴族らしい高慢な性格で、悪い噂もないではないが、噂に関して明確な証拠はなく。整った容姿に加えて成績もいいとなれば、教員からの信頼も厚いので、結婚相手として悪い男ではないと言うのが、一般的な見解だろう。


 それでも、身分的に平民以下の存在として冷遇される側のディクスからすれば、目の上のこぶ。今でこそ、わかりやすい嫌がらせはないが、こちらが力を力をつければつけるほど、向こうからすれば目障りになると言うのは自然な流れだ。


「アッシュは何か言って来てるのか?」

「今朝言われたわよ。「俺の正妻になれることを誇りに思え」って」

「……何だよ、それ」


 わざわざ『正妻』という言葉を使ったということは、めかけを囲うことは、向こうとしては当然と思っていると見て間違いない。


 そんな奴にクラウが嫁ぐと考えると、はらわたが煮えくり返る思いだ。


「……何で、あんたが怒ってるのよ」


 それに関しては、確かに彼女の言う通り。貴族間の婚姻問題に、平民以下の自分が口を挟む余地などない。それでも――。


「クラウは嫌なんだろ? いくら親の言いつけとは言え、好きでもない相手と結婚なんて――」

「そういうのも含めて、貴族としての役割なのよ」


 こちらの言葉に被せるように、クラウは反論してくる。


 それを言われてしまえば、こちらには返せる言葉はない。


 優秀な血筋を絶やさないために、同じく優秀な血筋との婚姻を進める。この先の未来に優秀な聖剣錬成士ソードブリードを残していくという観点では、これ以上に堅実な道はないと言えた。


 いや、しかし――。


 ここで言い負かされてしまうようでは、前代未聞の能力を持った自分は、未来に何も残せない一般人のままになってしまう。


 目指したのは、誰もがその背中を追いたくなるような英雄。であればこそ、アルサンドラのような心の強さこそ見習うべきであろう。


「クラウ自身はどう思ってるんだよ。貴族としてじゃない。ただのクラウディアとして、この結婚話に納得してるのか?」

「それは――っ!?」


 クラウは言葉に詰まった。


 それこそが、彼女の本心。本当にこの結婚に納得しているのであれば、ここで答えに詰まったりはしない。


 その理由が何なのかは、自分には推し量れないが。納得していないなら足掻くべきだと、クラウを焚きつけることにする。


「諦めるなよ。納得してないことを受け入れるなんて、クラウらしくない。いつもみたいに反発して、論破して見せろ」


 クラウはハッとしたような表情をこちらに向けてから、すぐに赤面して顔を逸らしてしまった。


「……言い方は気に食わないけど、あんたの言ってることはもっともだわ。確かに、このまま親の言いなりになるのは癪だし。アッシュのことは、前々から気に入らなかったから」


 先程までの憂鬱そうな顔は消え、彼女らしい前向きな姿勢に戻っている。あとは、彼女のことをどこまでサポート出来るかにかかっているだろう。


 両親の説得までは手伝えないにせよ、アッシュとのやり取りならば、口を挟む余地くらいはあるはず。話し合いで解決しないのであれば、最悪、貴族の流儀に則った決闘も辞さない構えだ。


 と、他にも何か言いたそうにしているクラウだったが、結局何も言って来ず。


 尋ねようにも他の生徒が登校してきてしまったので、この件はこのまま有耶無耶になってしまったのだった。

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