第七話 強制早朝ランニング
翌早朝。
まだ外は薄暗いと言うのに、何者かに肩を揺らされて、ディクスは無理やり意識を覚醒させられた。
「おい、こら。起きろ」
女性の声。
だが、大人しさとか、穏やかさとはまるで無縁な、荒々しく、ともすれば凶暴とも取れる声色だ。
この声の持ち主を、ディクスは知っている。
昨日、学園長から話が上がった、クラス担任――ネフェルティア=アルドノートその人だ。
ここは男子寮。一応、学園関係者であっても、女性の立ち入りはよしとされていない場所のはず。それなのに、慌てて上体を起こしつつ目を開けば、確かに彼女はそこにいる。
女性としては長身で、肉付きのいいボディーラインに、長い金髪のポニーテール。誰もがつい視線を送ってしまう豊満な胸。
しかし、女性教師用のスーツも着崩している様を見れば、彼女が大よそまともな教師でないことは、推して知るべし。実際、彼女は学園きっての不良教師として有名だ。
「何アホ面晒してやがる。さっさと準備しろ」
「……準備? 何のことです?」
こんな時間に彼女がここにいる理由も、準備というのが何を指しているのかもわからない。
当然、ディクスは混乱するばかりで、すぐに動ける訳もなかった。
「さっさと顔洗って、運動着に着替えろって話だ。わかったら早くしろ。俺様は無駄な時間ってのが大嫌いなんだよ」
全くもって話が見えて来ないが、ここは大人しく言うことを聞いておいた方が身のためだろう。彼女を怒らせても得することは何もない。むしろ、怒らせたところで不利益しか生み出さないのだから、どちらを取るかは考えるまでもないだろう。
そういう訳で、彼女の指示通りに準備を済ませたディクス。
彼女のあとについて寮を出れば、タイミングを同じくして、女子寮の方からクラウが姿を現したところだった。
「おし。そっちも準備は出来てるみたいだな」
先生の言い方から察するに、クラウもまた、朝方に先生の襲撃を受けて叩き起こされたのだろう。女性の方が準備に時間がかかるのを見越した上で、クラウの方を先に起こしに行ったに違いない。
「ネフェル先生。一応、あなたの指示通り準備を済ませて来ましたが、これは一体どういうことなんですか?」
思っていた疑問を、クラウが先に口にしてくれた。
そもそも、先生に話があったのはこちらであって、向こうからこちらを訊ねて来る必要はないはず。それなのに、わざわざ寮まで出向いて。しかもこんな時間に。
いったい何をするつもりなのだろうか。そう思いつつも、黙って彼女のあとについて行くと、辿り着いたのは、学園の正門前。
こんなところにつれて来てどうするのかと思っていたら、急に彼女が声を張り上げてこう言った。
「二人とも、学園の外周を駆け足で十周だ! 始め~い!」
「「はぁ!?」」
広大な敷地を持つ学園の外周を十周もしろと言うのか。距離だけなら、かつて散々走り込みをして来たディクスにとっては、そう難しいと言うほどでもない。が、流石に時間はかかってしまう。下手をしたら、授業開始に間に合わないかも知れない。
「先生! こんな時間に叩き起こされて何事かと思えば、強制ランニングだなんて、滅茶苦茶です! 何かの罰だと言うのなら、ちゃんと理由を聞かせてください!」
クラウはこれを何かの罰則だと考えたようだ。
確かに、悪いことをしたつもりもないのに、このようなランニングを強いられれば、納得が行かなくて当然だろう。
しかし、肝心のネフェル先生は、その場に仁王立ちして腕を組んでいるだけで、追加の説明をする気はないらしい。代わりに彼女の口から出たのは、こんな言葉だった。
「この先、お前が
「それは……」
「つべこべ言わずに走れ! 話はそれからだ!」
「は、はい!」
弾けたように走り出したクラウのあとに続き、ディクスも走り出す。
一度駆け出してしまえば、指定された周回を終わらせるまでは止まれない。授業開始の時間に間に合わせるためにも、のんびり走っている場合ではないのだから、ランニングの速度としては全力で向かう必要があるだろう。
すっかり日が昇り、町全体に人の行きかいが増えてきた頃。
何とか授業開始の鐘がなる前にランニングを終えた、ディクスとクラウの二人。天を仰ぐようにしながら肩で息をしているクラウを尻目に、頬を伝う汗を手の甲で拭い、ディクスはネフェル先生に問いかけた。
「走り終わったら、話を聞かせてもらえると思っていいんですよね?」
「こんだけ走らせても、お前はまだ余裕がるのか。想定外だな」
「どういうことです?」
「学園長に話を聞いた感じ、お前は追い込まれた時に力を発揮するんじゃないかと思ってな」
要するに、この早朝ランニングは、体力的、精神的に追い込むことで、こちらの能力の発露を再現しようとしたと言うことか。だとしたら、クラウは巻き込まれただけで、完全に走り損な気がする。
「それなら最初からそう言ってくれればよかったのに……」
「事前に説明したら追い込みにならないだろ。こういうのは無茶振りだからいいんだよ」
言いたいことはわからないでもない。
アルサンドラの下でも無茶振りは多かったし、一見限界と思われるまで追い込まれた時こそ、そこからの爆発力は自分でも信じられないほどのものだった記憶がある。
とは言え、先日のような命の危機など、そうそう体験したいものではない。能力の発現条件を知ることは大事だとは思うが、先生にはぜひ加減をしてもらいたいところだ。
「まぁ、今からじゃ追加の検証する時間ねぇ~し。お前等、さっさとシャワー浴びて登校しろよ。早くしねぇ~と遅刻だぞ?」
それだけ言い残して、ネフェル先生はその場を去ってしまう。残されたのはすっかり呼吸が整ったディクスと、いまだに苦しげ蹲っているクラウだけ。
自分だけならばすぐにでも行動を起こせるが、この状態のクラウを放置するのも忍びない。
ディクスは、とりあえずその場で蹲っている彼女に話しかけた。
「えっと……。ごめん、俺の事情に巻き込んだみたいで」
「大丈夫?」などと野暮なことは聞かない。大丈夫な状態でないことは、彼女を見ていればわかるから。
「……別に、学園長に直訴しに言ったのはあたしだし。今後同じようなこと起こされても困るから、監視してるだけ」
言い方はツンケンしているが、既に彼女の根の優しさを知っているディクスからすれば、思わず吹き出して笑ってしまうほどの可愛らしさにしか見えない。
いきなり笑い出したこちらの様子で、何を笑われているのか察したらしい彼女は、顔を真っ赤にして、聖剣を錬成した。
「ガルディエル! 今すぐにこいつを焼き尽くしなさい!」
「待て待て! それは洒落になってない!」
彼女が聖剣を振り回す
校門から学生寮までは、走っても五分ほど。その間に消し炭にならないよう祈りながら、ディスクは彼女から逃げ続けるしかない。
走りつつも、ディクスはネフェル先生が言っていた言葉を思い起こす。
もし、先日のあの能力の発現条件が、精神的、肉体的に限界まで追い詰められた時だけなのだとすれば、再現性は限りなく低いと言わざるを得ない。
能力を安定して使えないのであれば、
いつまで続くかわからない、クラウの照れ隠しの攻撃に戦々恐々としながらも、ディクスは思考することをやめない。
それこそが、師匠であるアルサンドラの下で学んだ、英雄に至るための大事な教訓だったから。
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