第十三話 ワイバーン襲来
いつまでも呆けている場合ではない。
相手は既に臨戦体勢。この場で動けなければ、その時点で未来はないのだ。
それがわかっていたからか、それとも貴族としての意地か。真っ先に声をあげたのは、他でもないクラウだった。
「各自散開! 木陰に入って身を隠しなさい!」
蜘蛛の子を散らすように、それぞれ木陰に入り込んだディクスたち。
しかし、相手は既にこちらの存在を認識しているのだから、それで易々と逃がしてくれるはずもない。
ワイバーンが翼を大きく振るえば、その巨体が生み出す突風は、見る見る間に木の葉を吹き飛ばし、木々を丸裸にしてしまう。
何もないよりはマシとは言え、木の幹だけで身を隠すのは、ワイバーンの視野の広さに対して有効とは言えない。相手が少し高度を上げれば、真上から丸見えになってしまうのだから。
(どうする!? このままじゃ全滅だ!)
せっかく隠れているのに声をあげる訳にも行かないので、何とか視線だけで、クラウに問いかける。
眉間にしわを寄せ、俯きながら、必死に考え込んでいるクラウ。時折顔を上げては、それではダメだという風に首を横に振っている。
決断力のある彼女ですら、この状況では決断出来ないのだ。無理もない。
トールの方はと言えば、流石にワイバーン相手に劣り役を買うことは出来ないようで、大人しく木の陰で縮こまっていた。
ワイバーンの羽ばたく音と、吐息だけが、辺りに響いている。
相手はいつ仕掛けてくるつもりなのだろうか。
こちらを襲う気なら、とうに行動に移ってもいい頃合に思う。それでも、ワイバーンはこちらの様子を伺うだけで、何かを積極的に仕掛けてくる様子はない。
(何かを待ってる? それとも、まさか脅えてるのか?)
ワイバーンの表情を見分けることが出来ないので、相手が何を考えているのかはつかめないまま。しかし、威嚇するだけしておいて、向こうから何もして来ないというのは、明らかに不自然だ。
(でも、脅えるって言っても、いったい何に――?)
この場でのこちらの最強戦力はクラウとガルディエル。だが、ワイバーンの視線は常にこちらを向いており、クラウの方は見向きもしない。
こちらからワイバーンを窺い、向こうもまたこちらを窺っている。そんな時間が十秒、二十秒と過ぎれば、さすがに相手の興味の先くらいは窺えるというもの。
(俺が狙いってことか?)
心当たりなら、ある。
この胸に埋っている閃光竜の魔核だ。
自分ではそう大層なものには思えないが、この魔核のおかげで、学園に入ってからは嫌なことずくめ。人間であることを疑われた経験がある身としては、魔物から見て、自分がどう見えているのかは気になるところだ。
もし、このワイバーンが、魔核を通して閃光竜の存在を感じているのならば、相手の動きを多少でもコントロール出来るかもしれない。
ディクスは、「ふぅ」と一息ついてから、ワイバーンの目の前に躍り出て、叫ぶ。
「おい、お前! ここは俺の縄張りだ! 痛い目に遭いたくなかったら、今すぐ立ち去れ!」
言葉が通じる保障はない。しかし、こちらの気迫くらいは、相手にも伝わるはず。
こちらが前に出た分、ワイバーンは多少後退したが。しかし、すぐさま逃げるような素振りは見せなかった。
ワイバーンが吼える。恐らく向こうの必死なのだろう。
正直に言えば、今すぐにでもこちらが逃げ出したいところだが、背中を見せれば、相手が容赦なく攻撃を仕掛けてくるのは目に見えている。
背中を見せるということは、自分の方が弱いと認めるのと同じ。相手が野生の生物ともなれば、尚更だ。
だからこそ、向こうがいかに
幸い、クラウたちはこちらの意図に気付いたようで、静かに撤退を始めていた。いざワイバーンとの戦闘になれば、空を飛べないこちらが不利なのは言うまでもない。
唯一まともな遠距離攻撃が可能なクラウのガルディエルでさえ、ワイバーンが相手では有効打を放つには至らないのだから、大人しく距離を取ってくれた方が、巻き込まれる心配がない分やりやすいというもの。
「ほら! かかって来いよ! それとも何か!? 俺のことが怖いか!」
今の自分に出来るのは、精一杯ワイバーンを威嚇して、注意を引き付けること。その間にクラウたちが救援を呼んでくれれば、或いは生き残る道も見えてくるかもしれない。
恐怖を飲み込んで、一歩前に出る。
すると、ワイバーンはこちらの一歩分後退。
勢いがある内にと、また前に出る。
するとまた、向こうは後退。
そんなことを何度か繰り返したが、なかなかワイバーンは引いてくれない。
自然界に生きる生物をあまり追い込み過ぎるのはよくないとわかっているものの、向こうから前に出られたら押される一方になるので、安易に待つことが出来ないのだ。
(どうする……。たぶんそろそろ限界だ。これ以上俺が前に出たら、向こうは破れかぶれになって暴れだしかねない)
『窮鼠猫を噛む』という言葉があるが、追い込まれれば鼠とて猫を噛む。
追い込まれたのがワイバーンの場合、どんな悪あがきをするのかは想像に難くない。竜種の一端である以上、向こうにはブレスという最高位の攻撃手段があるのだから。
真正面からにらみ合いを始めて、五分ほど。じりじりと後退していたワイバーンだが、ついに限界を迎えたらしい。
ワイバーンは大きく首を引くと、喉を膨らませてブレスの体勢に入る。
対して、こちらには、ワイバーンのブレスを防ぐだけの力がない。聖剣を何本練成しようが、所詮は単体の剣。聖剣は熱で溶けたりはしないものの、炎自体を防ぐことは出来ないのだから、防御手段としてはあまりにお粗末。
かと言って、今から回避行動に出ても、ワイバーンが首を振るだけで、範囲はどこまでも広がるので、躱し切ることはほぼ苦可能である。
(まずい!)
そうこうしている間にも、向こうはブレスを吐く準備を整えつつあった。工程としては、あとはキバを打ち鳴らして、火打石の要領で火の粉を散らせば、あとは喉奥から噴射される可燃性のガスに引火して、口から炎が噴き出す、と言った具合だ。
ブレスを無限に吐き続けられる訳ではないにせよ、打ち止めを迎える前にこちらが消し炭になるのは必至。
何としても受け切らなければ、自分の人生はここで詰む。
「こんなところで、終われるか!」
嫌なにおいも、強烈な吐き気も、暗い過去のフラッシュバックも。
全て飲み込んで、ねじ伏せて。
ディクスは右腕に限界まで
間に合う保障はない。
間に合ったところで防げる保障もない。
それでも、やらなければただ死ぬのみなのだから、ここが踏ん張りどころであることは心得ている。
だからこそ、全力で、必死に。
限界があるのなら、そんなものは飛び越えて。
あの日見て憧れた、あの背中に追いつくために。
「何でもいい! 何か出ろぉ~~~~~~~っ!」
最後の気合を込めた、その瞬間。
背筋を何かが這い上がった気がした。
それは奇妙な爽快感を伴っていて。
身体が、心が、カッチリとはまり、繋がる。
以前、ガルマを追い込んだ時の感覚に近いが、それとも少し違う。
あの時以上に、今の状態がしっくり来ていて。
これが。
これこそが。
本来あるべき自分の形なのだと。
全身が燃えるように熱い。
たぶんだが、あの時のように自分の髪は銀髪になっていて、瞳は青水晶の輝きを湛えているのだろう。
しかし、あの時のような意識の混濁はなかった。
むしろ、清々しいまでの高揚感に満ちている。
目の前に迫る炎も、それまで脅威でしかなかったワイバーンの姿も、今となっては可愛いものだ。
やるべきことは見えている。
あとは実行するだけ。
ディクスは
ワイバーンが吐き出した炎は、上空から降り注いだ無数の聖剣によってかき消され。
そのまま地面に突き刺さった聖剣は、その場に大きなクレーターを作ったのだった。
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