第三話 眠れる竜

 クラウが目を光らせていたこともあり、その後三日ほどは平穏な日々が続いた。


 負った傷もすっかり癒え、久しぶりの快調に、今度はどんな訓練をしようかと心を躍らせていたディクス。


 しかし、その平穏も、破られるのは一瞬のこと。


 昼休みに、中庭で一人で昼食を取っていたディクスの前に、ガルマが立ったのだ。


「よう、ポンコツ。相変わらずボッチ飯か?」


 一見、口角は上がっているが、目は笑っていない。ディクスが平穏を謳歌している間、向こうはストレスフルな生活を送っていたようだ。


 恐らくだが、ガルマは、ディクスを快く思わない貴族階級の生徒に、先日の件でいろいろと嫌味を言われていたのだろう。


 その鬱憤を晴らすために、クラウのいないこの状況を見計らって、こうしてやって来たのだ。


「食事は誰にも邪魔されずに静かに摂りたいからな」

「そうかよ。まぁ、おかげで、こうしてサシでつらを合わせられてる訳だけどな」


 とても話をしに来たようには見えない。


 何なら、今すぐにでも聖剣を錬成して振りかざしそうな面構えをしている。


「今日はクラウは近くにいないみたいだな。フラれでもしたか?」

「フラれるも何も、元々そんな関係じゃない。あいつは一見すると勝気で人当たりが強いけど、根が優しいから弱いものいじめが気に入らないんだろ?」


 こうして話している間にも、ガルマの中で闘気が高まっているのがわかった。


 これも十年間の修行の賜物。ここに至るまで付き合ってくれた、師匠や隊のみんなには感謝しかない。


 おかげで、身体は既に即座に動けるように準備済み。あとは、せめて昼食のパンを食べ終わるまで、ガルマが待ってくれるかだが。


「そうか、よ!」


 瞬時に振り下ろされた聖剣を、ギリギリのところでかわす。


 座っていたベンチは、両断されるとともに燃え尽きて、灰になってしまった。


 食べかけだったパンは地面に転がり、次の瞬間には、ガルマに踏みつけにされる。


「あ~あ。もったいない。食べ物は粗末にしちゃ行けないって親に習わなかったのか? お前だって平民の出だろ?」

「てめぇ、と一緒にするなよ、ポンコツ! こっちは貴族連中にあれこれ言われてむしゃくしゃしてるんだ!」

「そんなに嫌なら関わらなければいいのに――」


 ディクスが話している途中で、それを絶ち斬るように、ガルマの聖剣がその場を薙ぐ。


 咄嗟に身を翻して、間一髪のところでそれをかわしたディクス。


 相手が一人なら、勝てないまでも、一方的にやられることはない。相手が近接戦主体なら尚のこと。


「てめぇとは何もかもが違うんだよ! 能力も、立場もな!」


 ガルマの聖剣が生み出した炎が急激に辺りに広がり、ディクスの逃げ場を奪う。どうやら、今回は今までの鬱憤晴らしとは訳が違うようだ。


 何となくだが、気配でわかる。ガルマはガルマなりに追い込まれているのだと。


 それがどんな理由なのかは、この際どうでもいい。


 今大事なのは、全力のガルマ相手に、生き残ることが出来るのかだ。


「流石に私闘の結果としての殺人となれば、学園側も黙ってないと思うけど?」

「うっせ~! そんなことはもうどうでもいいんだよ!」


 炎の壁に囲まれた、半径十メートルほどの空間。この距離なら、どこにいてもガルマの炎が届く距離。


 片手片刃剣のフェーズワンの何の、それも属性も持たないディクスの聖剣では、どう考えても太刀打ちのしようがない。


「燃え上がれ、ブランフェード!」


 フェーズツーになって名前を得た聖剣は、無名であるフェーズⅠとは比較にならない性能を誇る。


 一般的に、フェーズⅡの聖剣には、フェーズⅠの聖剣所有者が十人束になっても勝てないと言われているが、ガルマの聖剣――ブランフェードは、それすら軽く上回るかもしれない。


 ブランフェードの特徴は、分厚く頑丈な刃と、とにかく強い火力。細かな制御は出来ないらしいが、その分最高火力が強い。血気盛んで制御が利かないあたりは、実にガルマらしい聖剣と言える。


 そんなものをまともに受ければ、骨すら残らず灰になるのは必至。ここはとにかく、いかに相手の攻撃をかわせるかが重要だ。


(と言っても、それは負けない方法であって、勝つ方法ではないんだよな~)


 フェーズⅠであるディクスの聖剣は、フェーズⅡのそれに比べれば遥かに脆く、まともに攻撃を通すことは叶わない。


 唯一勝つ方法があるとすれば、それは、完全に無防備な状態の相手に、一撃を叩き込むこと。


 もちろん。そのためには、相手の攻撃を全てかわし、肉迫して、その上で聖剣の守りを突破しなければならない。


 非常に難易度が高く、これまでにその偉業を成した者はいないというハードルの高さ。いくら体力に自身があるディクスとは言え、この燃え盛る炎の中でそれをおこなうと言うのは、あまり現実的とは言えなかった。


「オラッ! 行くぞ!」


 迫り来るガルマ。


 彼は体格がいいので、その迫力は目を見張るものがある。細身のディクスには真似の出来ない、相手に圧迫感を与える突進だ。


 それでも、ディクスはその軌道を的確に見極め、最小の動きで躱す。


 聖剣を覆う炎で、新調した制服が少し焦げるが、それはこの際仕方がない。


 大きく動けばその分体勢が崩れ、次の動作に繋げにくくなってしまう。そして、その隙を見逃すガルマではないので、制服の消耗に関しては仕方のない犠牲と言えよう。


「おいおい! やり返してこないのか!?」


 逃げる一方のディクスに対し、ガルマが煽る。


(やり返せるならやってるっての!)


 制服の無事を諦めてまで、防戦に徹するディクス。この状況を変える手立てがあるなら、今すぐにでも実行しているところだ。


「やっぱり騎士総長の弟子って言ってもこんなもんかよ! いや? そもそもその騎士総長ってのも、案外大したことないんじゃないか?」


 瞬間。ディクスの思考が止まる。


「……おい。今何て言った?」


 自分のことはどう言われてもいい。全て事実だから。


 しかし、アルサンドラが侮辱されたとなれば話は別。


 十年前のあの日、自分を死の運命から救ってくれた、あの温かくて偉大な背中を貶めることだけは、何があっても許してはならない。


 それが結果として、自分の命を投げ出す行為だったとしても。


「俺のことはいい。けど、師匠をバカにするな!」


 ディクスは自らの聖剣を手放すと、相手の髪の毛を左手でグッと掴み、渾身の力を込めて、顔面目掛けて右拳を振り抜いた。


 拳にかかる重圧で、それが相手の左頬にめり込んだことを確信する。不意打ちからの顔面クリーンヒット。これが効かない訳はない。


 左頬を打ち抜かれたガルマは、きりもみ回転しながら、数メートルほど吹っ飛び、タイル敷きの地面に転がった。


 聖剣学園では聖剣の優劣のみで実力が判断されるので、肉弾戦なんてほとんどしない。なので、新入生ほど、こういった近接格闘戦には弱い傾向にある。


 現状、この学園で唯一、ディクスが周囲よりも優れている部分だ。


「痛ぇじゃね~かよ! おい! 最弱の劣等生風情が!」


 もちろん、パンチ一発で倒れてくれるほど、ガルマも軟ではない。


 すぐに立ち上がったガルマは、それまで片手で振るっていた聖剣を両手に持ち替え、一呼吸置く。


 すると、ブランフェードはそれまで以上に強い炎を吐き出し始め、周囲の空気取り込み激しく燃焼した。


 立ち上った炎は柱となって、ディクスの前にそびえる。


 強い熱気と、それによって生まれる風。風に乗って砂埃が舞い上がれば、その光景は、十年前の、炎に包まれた故郷を髣髴とさせる。


 嫌なにおいだ。吐き気がする。


 次いで訪れる、強烈なフラッシュバック。


 脳裏に浮かんだのは、大量の死体の山と、燃え盛る家々。そして、それを見ていることしか出来なかった、死にかけの幼い自分。


 一度心の奥に刻まれた恐怖と言うものは、そう簡単に抜けるものではない。


 足元から這い上がって来るような、冷たい死の気配。


 熱気の中にあっても、それは凍えそうなほどの冷気を伴っているように感じる。


 十年前は何となくだったが、今は違う。とても鮮明で、遥かに深い、絶望。


 呼吸が浅く、速くなっていく。


 心臓の鼓動は、胸を突き破ってしまうのではないかと思うほど強烈で、その脈動が眼球にまで伝わってくるほど。


 一刻の猶予もない。


 ここで何か生存に向けた対抗策を講じなければ、待っているのは死だ。


 炎の渦の中で、今にもその熱量の全てを放出しようとしているガルマの目には、これっぽっちの理性の欠片も見られない。


(まずい! まずい!)


 ついに、ガルマが、自身の聖剣を上段から一気に振り下ろす。ブランフェードから溢れ出た炎は、荒れ狂う炎の渦となって、ディクスに襲い掛かった。


 刹那。


 ディクスの中で、何かが繋がるような感覚があった。


 それは、これまで別々に存在していたパーツ同士が組み合わさったかのような。


(何だ、これ……)


 ディクスの体内から、膨大な力が溢れ出てくる。


 それはさながら濁流のようで、ディクスの精神を押し流されそうになってしまった。


(まずい……。意識が……)


 それでも注がれ続ける力の奔流。やがて、ディクスの身体は黄金のオーラを纏いながら浮き上がり、空中へと舞い上がっていく。


 それを見て、ガルマは正気を取り戻したのか、ありえないものでも見たと言った様子で、目を見開いた。


 薄れていく意識の中で、ふと横に視線を来ると、校舎の二階の窓ガラスに、自分自身の姿が反射して映っているのが目に入る。


 それを見て、ディクス自身も驚愕した。自身の髪の色が黒から白銀に変わり、黒かった瞳も、今は青水晶のような美しいあおの光を湛えているではないか。


 何より、目を見張るのは、自分の周囲に現れた無数の聖剣。


 それぞれ色や形の違うの聖剣が、ガルマに切っ先を向けた状態で出現していたのである。

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