商家で
コウタとエレナは、少し緊張しながら商家の門前に立っていた。
リナとルイスの家庭教師として定期的に訪れているものの、今回は初めて商家の主人、バルド・マクレーンに挨拶する機会がやってきた。
「しっかりと挨拶しないとね」
とエレナが小声でコウタに話しかけ、彼も頷きながら深呼吸をした。
家の中に通されると、バルドとその妻、エステラが広間で迎えた。
バルドは堂々とした立ち姿で、温厚そうな笑みを浮かべていた。エステラも優雅に微笑みながら、二人を迎えた。
「ようこそ、コウタさん、エレナさん。我が家に来ていただき、ありがとうございます。お二人が家庭教師を務めてくださっていること、非常に感謝しています」
とバルドは、穏やかな声で語りかけた。
「ありがとうございます。こちらこそ、ルイスさんとリナさんの成長を見守ることができて光栄です」
とコウタが深々とお辞儀をしながら応えた。
「しかし、本日は一つお詫びしなければならないことがあります」
とコウタが少し神妙な表情になりながら話を切り出した。エステラも興味深そうに彼の言葉を待っていた。
「実は、これまで週に6日間、ルイスさんとリナさんに算術と魔術を教えてまいりましたが、今後はその時間が減ってしまう可能性がございます。恐れ入りますが、事情により週に2日ほどしか家庭教師として来られないかもしれません。本当に申し訳ありません」
コウタが深々と頭を下げると、バルドは驚いた様子を一瞬見せたが、すぐに理解の表情に変わり、優しく頷いた。
「そうか、事情があるなら仕方ない。だが、週に2日間でも来ていただけるなら、それで十分ありがたいことだ。無理をしない範囲で続けてくれればよいよ」
「ありがとうございます。できる限りの時間を使って、これまで以上に集中して教えさせていただきます」
とコウタが安心して答えると、エレナも続けて
「私も魔術の授業を短時間でも効果的に進められるよう、工夫してまいります」
と丁寧に言葉を添えた。
「それは心強いですわ。ルイスとリナには、家庭教師の時間が短くなっても自分たちで努力するよう言っておきますので、どうぞ気になさらないでください」
とエステラが柔らかな微笑みを浮かべながら言った。
その場が和やかに収まり、コウタとエレナもほっと一息ついた様子だった。しかし、コウタはもう一つ気になることを聞かねばならないと、意を決して話を切り出した。
「バルド様、もう一つお伺いしたいことがあります。最近、街で耳にする噂なのですが、妖精に関する人体実験について何かご存知ではないでしょうか?」
バルドの表情が一瞬険しくなり、エステラも思わず眉をひそめた。
二人とも、その話題に少し戸惑っている様子だった。
「妖精の人体実験だと…?そのような噂があるのは知っているが、実際のところ詳しい情報は持っていない。いくつかの国や、特定の強大な勢力が非道な実験をしているという話は耳にしているが、我々商家として深入りするつもりはない。商売に関わる話ではないからな」
とバルドは慎重に答えた。
「そうですか…」
とコウタは頷きながら、バルドの反応を慎重に見つめた。
「私たちもその噂が気になっていて、もし何か情報があればと考えてお聞きしました」
「確かに、あまりにも不穏な話だ。もしその実験が事実だとすれば、街全体に大きな影響を与えるかもしれない。だが、今のところ具体的な動きは何もない。何か怪しい動きがあれば、私に知らせてほしい。協力できることは惜しまないつもりだ」
とバルドは、少し重々しい口調で続けた。
「ありがとうございます。その時は、どうかご助力をお願いできればと思います」
とコウタは感謝の意を込めて頭を下げた。
その後、ルイスとリナにも挨拶をし、帰り際に向かっていると、バルドがふと思い出したように話しかけてきました。
「そうだ、もう一つだけ気になったことがあるんだが、少し話してもいいか?」
彼は穏やかな表情でそう言いながら、二人を足止めしました。
「もちろん、何でしょうか?」
コウタは振り返り、バルドに丁寧に応じました。
「妖精の人体実験についてはよくわからないが、最近、街の貴族たちの間で奇妙な噂が流れているんだ。どうやら、新しい美容液が発売されたらしくてね…その効果が凄まじいらしい。少し使っただけで肌が若返るというんだ。その評判が貴族の間で一気に広まっているようで、特に女性たちの間では大人気だそうだよ。」
「美容液ですか…?」
コウタは首を傾げながら聞き返しました。
「そんなに効果があるんですか?」
バルドは頷きながら続けました。
「ああ、信じられないほどの効果だと聞いている。なんでも、老化を止めるどころか、若返らせるような力があるとか。だが、それだけじゃない。この美容液を出しているのが、グレイ将軍の派閥らしいんだ。」
その名前を聞いた瞬間、エレナの表情が僅かに変わりました。
彼女は表向きには冷静を保っていましたが、コウタには彼女がその名前に何か反応を示したことがわかりました。
エレナの目が一瞬、緊張感を帯び、何かを考えている様子が見て取れます。
「グレイ将軍の派閥が…美容液を?」
コウタは少し驚きながら問いかけました。
「軍人としての地位だけでなく、商売にも手を出しているんですか?」
「そうだ」
とバルドは重々しく頷いた。
「その美容液が爆発的な人気を得て、グレイ将軍の派閥は一気に羽振りが良くなったらしい。貴族の間では、彼の派閥が勢力を増しているという噂だ。グレイ将軍はもともと軍事力で有名だが、最近は政治や経済にも手を広げているようで、彼の力は日に日に強まっているらしい。」
「そうなんですね…」
コウタは考え込むように答えました。
エレナはそのまま黙って聞いていましたが、心の中では大きな波が起こっていました。
「何か、怪しい動きでもあるんですか?」
コウタはさらに突っ込んで尋ねましたが、バルドは慎重に言葉を選びながら答えました。
「いや、詳しいことは私も知らない。だが、急にそんな効果のある美容液が出てきたことや、それがグレイ将軍の派閥から出ているという点が、どうにも気になるんだ。特に、彼らの派閥が勢力を強めていることには、何か裏がありそうな気がしてならない。」
コウタは深く頷きました。
「確かに、気になりますね。ありがとうございます、バルド様。この件について、もし何か進展があればまたお知らせします。」
「こちらこそ、何かあれば知らせてくれ」
とバルドは最後に言い、コウタとエレナはその言葉に礼を言って商家を後にしました。
外に出ると、エレナは少し距離を取ってからコウタに小声で言いました。
「コウタ、グレイ将軍の名前が出てくるのは偶然じゃないわ。彼の派閥が美容液を作っている…これは単なる商売の話じゃないかもしれない。」
「やっぱり気になるのか?」
コウタはエレナを見つめながら尋ねました。
「ええ、いろいろと考えを整理するわ」
エレナは押し黙り真剣に考え始めた。
二人はしばらく無言で歩き続けた。
夕暮れが街を包み込み、二人の影が長く伸びていた。
商家での挨拶や妖精の人体実験の話が頭を離れず、二人はそれぞれ考え事にふけっていた。
家に戻ると、簡単な夕食を済ませ、それぞれの部屋に戻っていた。
家の中には、暖かな空気が流れており、食後の余韻に浸る時間だったが、エレナの心は不安定で、その暖かさが心に染み込むことはなかった。
彼女は、リビングに戻ってきて、テーブルに静かに座り込んだ。
コウタはその動きに気づき、少し驚いた表情でエレナを見つめた。リーナもすぐにその異変に気づき、彼女の方に目を向けた。
普段はいつも冷静でしっかり者のエレナが、今夜は何か重いものを抱えていることが見て取れた。
「エレナ、大丈夫?」
コウタが静かに声をかけた。
エレナはその言葉に反応せず、しばらくの間、何かを考え込んでいるようだった。
彼女の美しい顔立ちは少し曇り、いつも輝いている瞳も少し沈んでいた。
それでも、彼女の中で何か決意が固まったのか、ようやく彼女は重い口を開いた。
「コウタ、リーナ……実は、ずっと言えなかったことがあるの」
エレナは少しため息をつきながら、言葉を選び始めた。
コウタとリーナは互いに顔を見合わせ、エレナが何か重要なことを話そうとしているのを感じ取った。
静かな緊張感が部屋を包み込む。
「私……本当は、ただの冒険者じゃないの。いや、正確には冒険者として活動する前に、別の立場があったの」
エレナの声は落ち着いていたが、その内容が二人に与える影響を察しているように慎重だった。
「どういうこと?」
リーナが不思議そうに問いかけた。
エレナは一息ついてから、ゆっくりと話し始めた。
「私の本当の名前は、エレオノーラ・アーデルハイド。アルディア王国の公爵家に生まれた、貴族の娘なの。ずっと、普通の冒険者として過ごしてきたけど、実はそんな背景があるんだ」
「貴族の娘……?」
コウタは目を丸くしながらその言葉を反芻した。
「そう。私の家、アーデルハイド家はアルディア王国でも古い家柄で、父はアルディアの公爵なの。私も幼い頃から、いずれは政治や外交に関わることが運命づけられていたわ。でも……」
エレナは一瞬言葉を止め、その後に続ける言葉を慎重に選んでいるかのように、深く息をついた。
「ある日、父が行方不明になったの。突然ね。それが何の前触れもなく起こったものだから、私たち家族はどうしていいか分からなかった。母も弟も混乱していたわ」
エレナの表情は曇り、少し遠くを見つめるような眼差しになっていた。
思い出したくない出来事を振り返るのが辛いのだろう。
しかし、彼女は逃げることなく、続けて語った。
「父がいなくなってから、いろいろと調べたの。彼の行方不明には何か大きな陰謀が絡んでいることが分かったわ。しかも、その陰謀はただの国内問題じゃなく、国際的なものかもしれないと気づいた。ある勢力が、妖精や魔法に関する何かを求めている……そして、その勢力の背後には強大な軍事力を持つ人物がいる。それが、グレイ将軍……ノルヴァリスの軍の実質的な指揮官」
「グレイ将軍……」
コウタはその名を聞いた途端、心の中に警戒感が湧いた。それはエレナが話した内容からも感じられるものだった。
「彼は、表向きは国を守るために働いている将軍だけど、裏では非道なことをしているの。父が行方不明になったのも、おそらく彼が関与していると思う。私の父は、妖精の力や魔法に深く関わる研究をしていたから、それが何かの引き金になった可能性が高いの」
エレナの言葉は徐々に重くなり、彼女の心に秘めてきた痛みが伝わってくる。
リーナは言葉を失い、ただじっと彼女の話に耳を傾けていた。
コウタもその緊張感に圧倒され、何を言うべきか一瞬迷っていた。
「それで、父の行方を追うために、私はアルディアを離れ、偽名を使ってノルヴァリスに潜伏していたの。エレナという名前は、私が安全に動くための偽りの名前。でも、本当はもっと早く二人に話すべきだったわ。ごめんなさい」
エレナはそう言って、頭を下げた。
彼女の中にあるのは、信頼する仲間に真実を隠していたことへの後悔だったのだろう。
「そんな……エレナ。どうして僕たちに早く話してくれなかったんだ?」
コウタは彼女の気持ちを理解しつつも、驚きが大きかった。
「ごめん、コウタ。怖かったの。もし、私の正体が知られたら、二人にも危険が及ぶかもしれないって思って。だから、言えなかった。だけど、もうこれ以上隠しているわけにはいかない。これからは……本当のことを隠さずに一緒に戦っていきたいの」
リーナは黙ったままだったが、その瞳には何か決意が宿っていた。そして、静かに口を開く。
「エレナ……私は、あなたが誰であろうと関係ないよ。大事なのは、今、私たちが一緒にいるってこと。公爵の娘だろうが、冒険者だろうが、私はエレナを信じてる。それに……もし誰かがあなたを狙うなら、私が全力で守るから」
その言葉に、エレナは思わず涙ぐんだ。
今まで一人で背負ってきた重荷が、少しだけ軽くなったような気がした。
コウタも優しく頷き、エレナの手をそっと握った。
「僕も同じだよ、エレナ。どんなに危険な状況になっても、君の味方だ。これからも一緒にやっていこう」
エレナは感謝の表情を浮かべ、二人の優しさに包まれた。
そして、彼女は新たな決意を胸に秘めた。
父の行方を追うために、そして真実を暴くために。
理系男子の異世界転移 モロモロ @mondaru
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