揺れる心

異世界に来てから1ヶ月が過ぎたが、コウタはいまだに驚くことばかりだった。

特に驚いたのは、この世界での暦が、彼のいた世界とほぼ同じだということだ。

1年は365日、一週間は7日で、曜日の名前も同じ。最初は何かの冗談かと思ったが、ここでは当たり前のことらしい。


「なんでこの世界と、僕の世界がこんなに似ているんだろう…」


コウタは不思議に思いながらも、誰にもそのことを聞けずにいた。

それでも、彼は異世界での生活に徐々に順応しつつあった。

商家での家庭教師の仕事も安定し、ルイスとリナとの信頼関係も築かれている。

特にルイスは、後継ぎとしての責任を強く感じ、コウタの授業に真剣に取り組んでいる様子だった。


ギルへの借金も無事に完済し、今は完全に自立した生活を送っている。

ギルたちとは直接会う機会はなかったが、ギルドを通じて連絡が届いているだろう。


今日も、いつものようにコウタは宿を出て商家に向かっていた。

街の喧騒を感じながら歩く石畳の道は、彼にとってすでに日常の一部となっていた。

これが異世界だということを忘れそうになるほど、彼の生活は安定していた。


「よし、今日も頑張ろう」


コウタは自らを励ましながら、商家の門をくぐった。


授業が始まると、ルイスはコウタの教える比例の計算に集中していた。リナは少し退屈そうにしているが、それでも質問を投げかけてくる。


「先生、なんでこんなに複雑なんですか?もっと簡単な方法はないんですか?」


「これは少し難しいかもしれないけど、覚えるとすごく役に立つよ。商売をするときには、この考え方が非常に重要だからね」


コウタは笑顔で答えながら、彼女に具体的な例を示して説明を続けた。

授業が終わる頃には、二人とも満足そうな顔をしていた。


「ありがとうございました、先生。次回も楽しみにしています」


ルイスとリナが礼を言い、教室を出て行った後、コウタも荷物をまとめて帰ろうとしていた。

だが、その瞬間、背後から誰かに呼び止められた。


「コウタ先生、少しお時間よろしいですか?」


振り返ると、そこには金髪が美しく揺れるエレナが立っていた。

彼女の姿にコウタは一瞬言葉を失った。

彼女はこの商家で魔術を教える先生であり、噂には聞いていたが、実際に会うのはこれが初めてだった。


「は、はじめまして。コウタです。こちらでは算術を教えています」


と、彼は緊張しながら自己紹介した。


エレナは優雅な微笑みを浮かべて応えた。

「私はエレナ。この家で魔術を教えています。あなたのことは、ルイスやリナから伺っていました。とても素晴らしい先生だと」


「そ、そうですか。お二人がそう言ってくれるのは嬉しいです」


エレナが一歩近づくと、彼女からふわっと良い香りが漂ってきた。

その瞬間、コウタは胸がドキドキし、思わず息を呑んだ。

こんな美しい女性に話しかけられるだけで、彼の心はすでに大きく揺れていた。


「今日は少しお話ししたいことがあって来たんです。コウタ先生、魔術についてはどの程度ご存知ですか?」


その質問に、コウタは焦りを感じた。

彼は魔術についてほとんど知らないが、それを正直に話して良いのか迷った。

しかし、嘘をつくわけにもいかない。


「実は、僕は魔術についてはあまり知らないんです。今まで魔術に触れる機会がなくて…」


エレナはその言葉に少し驚いた様子を見せたが、すぐに柔らかな笑顔を浮かべた。


「それは意外ですね。でも、知識がないことを恥じる必要はありません。誰もが最初は知らないことだらけですから。むしろ、学び始めるのに良い機会かもしれません」


「ええ、確かに…でも、僕が教えるのは算術で、魔術とは少し違うので…」


「それはそうですが、実は魔術と算術には共通点が多いんですよ。例えば、魔法陣を描くときには、正確な図形や比例が必要ですし、材料の分量を誤れば失敗することもあります。あなたの教える算術の知識は、錬金術や魔法陣の設計にも役立つと思います」


コウタはその言葉に思わず頷いた。

彼の知識がこの世界で錬金術に当たることを、ぼんやりと理解し始めた。


「なるほど、僕の知識が錬金術に近いものなんですね…」


「そういうことです。そして、提案があります。もしよければ、お互いに教え合うというのはどうでしょう?私があなたに魔術の基礎を教え、あなたが私に算術を教えてくださる。お互いの知識を共有することで、もっと深く学び合えると思いませんか?」


その提案に、コウタは戸惑った。

エレナの美しさに圧倒されているだけでなく、彼女との個別の授業という状況に緊張してしまう。

しかし、魔術を学ぶチャンスは非常に魅力的だった。


「そ、そうですね。確かに面白いかもしれません。でも、平日の授業中にやるのは商家の主人が怒りそうですし…」


「それなら、土日の休日を使いましょう。平日はお忙しいでしょうし、休日ならお互いに時間を取れるのではないですか?」


エレナは優雅に提案し、その笑顔にコウタの胸は再び高鳴った。

彼女の美しい笑顔とその落ち着いた声が、彼の頭を混乱させていた。


「わ、わかりました。それなら、休日にやりましょう…」


「素晴らしい。それでは、今度の土日から始めましょう。楽しみにしています」


エレナはにこやかに微笑みながらその場を去っていった。

彼女の後ろ姿を見送りながら、コウタはしばらく呆然と立ち尽くしていた。


「美しい上に、頭も良い…僕がちゃんとできるのか…」


コウタは自分に問いかけながら、心臓の高鳴りを静めようとした

宿に戻る道中、彼はエレナとの会話を何度も思い返し、その度にドギマギしてしまう。


宿に戻ると、コウタはベッドに倒れ込んだ。

エレナとの教え合いが楽しみであると同時に、彼女との時間に耐えられるかどうか、心配でたまらなかった。


「土日までに、心の準備をしないと…」


そう自分に言い聞かせるものの、その夜はなかなか眠れず、何度も寝返りを打つことになった。

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