魔術との出会い
土曜日の朝、コウタは宿を出るときから緊張を隠せなかった。
エレナと二人きりで過ごす魔術の授業が始まることに対する期待と不安が胸の中で渦巻いていた。
彼女はあまりにも美しい。
しかも、自分には未知の領域である「魔術」を教えてくれるとなると、どうしてもプレッシャーを感じざるを得なかった。
「魔術か…本当に僕にできるのかな…」
自問しながら、エレナとの約束の場所に向かって歩く。
今日の授業は街の喧騒から少し離れた静かな広場で行うことになっている。
風が心地よく吹き抜けるその場所は、木々に囲まれていて、落ち着ける空間のはずだ。しかし、コウタの胸の中はどこか騒がしい。
「深呼吸、深呼吸…」
そう自分に言い聞かせて、なんとか気持ちを落ち着けようとする。
やがて広場に着くと、そこにはすでにエレナが立っていた。
彼女の姿は一瞬で目を引き、コウタは思わず息を呑んだ。
長い金髪が風に揺れ、日差しを受けて輝いている。
彼女からはどこか甘い香りが漂ってきて、コウタの鼻をくすぐった。
「おはようございます、コウタ先生。今日は魔術の基本を教えますね」
エレナの声は優しく響いたが、それだけでコウタの胸はドキドキと高鳴った。彼は慌てて顔を赤らめながら返事をする。
「お、おはようございます…お願いします…」
エレナは気にする様子もなく、地面に指を伸ばし、魔法陣を描き始めた。
彼女の動きは滑らかで、その指先が描く線は驚くほど正確だった。
「魔術を使うためには、この魔法陣を正確に描くことが重要です。魔法陣は魔力を流し、制御するための基盤となります」
コウタは描かれていく魔法陣をじっと見つめた。
複雑な模様、幾何学的な配置、そして記号の連なり。
それはどこか、彼が以前に触れていたプログラミング言語のコードに似ているように感じたが、言葉には出さなかった。
だが、その違和感は心の中で徐々に膨らんでいく。
「これが…魔術の基本なんですね」
エレナの説明に耳を傾けながら、魔法陣に手をかざした。
しかし、当然のように何も起こらない。コウタは魔力というものがどういう感覚なのかも知らないし、それをどう流すのかもまるで分かっていなかった。
「魔力を流すには、まずその存在を感じる必要があります。でも、最初は難しいでしょうね。少し手伝います」
そう言ってエレナはコウタの手を取り、魔法陣の上にそっと重ねた。瞬間、コウタの心臓が跳ね上がった。彼女の手は驚くほど柔らかく、触れた瞬間に全身がビクッと震えた。
「えっ、ちょ、ちょっと待って…!」
彼は思わず声を上げそうになったが、必死にこらえた。
女性に触れられること自体、慣れていない彼にとって、それは非常に強烈な体験だった。
しかも、相手は自分とはまったく異なる美しさを持つエレナだ。
彼女の顔が近づき、息遣いまで感じられる距離にいることに、コウタの頭は真っ白になりかけた。
「大丈夫ですか? 緊張しないで」
エレナは優しく声をかけたが、コウタの心臓はまだ激しく鼓動していた。
彼は顔を真っ赤にしながら何とか落ち着こうとした。
「う、うん…大丈夫…」
エレナは微笑みながら、再び魔力について説明を続けた。
「魔力は誰もが持っているものです。ですが、それを感じ取り、流すことができるかどうかは訓練次第です。まずはこの感覚を覚えてください」
エレナの手から、暖かいエネルギーがコウタの体に流れ込んでくるのを感じた。
これが、まさしく魔力なのだろう。
彼女の手を通じて、体の中に何かが伝わり、それが全身に広がっていく。
「これが…魔力…?」
コウタは目を閉じ、体内に流れ込むエネルギーを感じ取ろうと集中した。
初めて体験する感覚に、彼は驚きつつも不思議な心地よさを覚えた。
魔力が体の中を巡り、その流れに従うように自分の意志が形作られていくようだった。
「感じ取れましたか?」
「うん…なんとなく分かる気がする…」
彼は驚きと共に答えた。
この新しい感覚は、今までの自分にはなかったもので、まさに異世界の力そのものだった。
エレナは満足げに微笑み、次にその魔力を使って魔法陣を起動させるように指示した。コウタは深呼吸し、再び手を魔法陣にかざした。
エレナの助けを借りながら、今度は自分の力で魔力を流し込むことに挑戦する。
心の中で魔力を感じ、それを指先へ送り出すように意識した。
すると、魔法陣がほんの少しだけ輝き始めた。
「や、やった…!」
コウタは思わず声を上げた。
自分の力で魔術を起動させたという事実に、彼は驚きと喜びが入り混じった感情を抱いた。
エレナもまた、その結果に満足そうな表情を浮かべていた。
「とても良いですね、コウタ先生。初めてでこれほどの反応を見せるとは、あなたには素質がありますよ」
その言葉に、コウタは少し照れながらも誇らしい気持ちになった。
しかし、彼の胸には同時に漠然とした不安がよぎっていた。
自分がこんなに魔術に順応できるのは何故なのか。
その理由がはっきりとは分からなかったが、どこかに違和感があった。
「実は、この世界には古代に『魔導大戦』という大きな戦争があったんです」
エレナが話し始めた。
「強大な魔術師たちが大規模な魔術を使って争い、その結果、彼らの文明は自滅してしまったのです」
「魔導大戦…?」
コウタはその言葉に反応する。
「ええ。当時の魔術師たちは、今の私たちが使う魔術よりもはるかに強力な力を持っていました。大規模な魔法陣や強力な魔術の数々。それらが結集し、世界を揺るがすほどの力となり、最終的には彼ら自身を滅ぼしてしまったのです」
「昔は、私たちが想像もできないほどの強力な魔術師がたくさんいたんですね…」
「ええ、今の私たちは、その大戦を生き延びた者たちの子孫に過ぎません。当時の魔術は私たちの手の届かない領域にありますが、それでも一部の技術や知識は受け継がれているんです。しかし、かつての強力な魔術師たちはもういません」
コウタはその話に聞き入った。
彼女が語る古代の魔術と、コウタの世界で起きた技術の進化と破滅的な結末がどこか重なり合っているように感じられた。
だが、それを言葉にすることはなく、ただ心の中にしまい込んだ。
「その魔導大戦の影響で、私たちの世界は再び一から魔術を学び直さなければならなかったんです。今、私たちが扱う魔術は、その頃に比べれば遥かに弱いものですが、それでも魔力をコントロールできれば十分に力を発揮することができます」
コウタは、魔法陣を見つめながら何かに気づき始めていた。
エレナの話にあった「魔導大戦」のこと、そして自分がこれまでに学んだプログラミングの仕組み。
それらがどこか奇妙に重なり合っているように感じられた。
だが、彼はその思考を押し込め、今は目の前の魔術に集中しようとした。
「それにしても、あなたの順応性は驚くべきものです」
とエレナが続けた。
「魔力の流れをこれほど短期間で理解できるのは、非常に稀なことですよ。初めて魔力を感じ取ったばかりの方がここまでできるのは、かなりの素質がある証拠です」
「そ、そうですか…?僕はただ、エレナ先生の指導が上手だからだと思います」
コウタは照れくさそうに答えたが、その言葉には本心が少なからず含まれていた。
エレナの教え方がわかりやすく、彼女の優しい指導がなければ、ここまでの成果は得られなかっただろう。
「まずは基本を学び、その後、応用を試してみましょう。そして、成長すれば、あなたも私と同じように、心の中で魔法陣を思い浮かべるだけで魔法を使えるようになります。描く手間をかけずに、より早く、強力な魔術を発動できるようになるんですよ」
「心の中で魔法陣を…?」
コウタはその言葉に驚いたが、同時に興味を抱いた。
「ええ。描くことが必要なのは最初のうちだけです。経験を積むと、魔法陣を頭の中でイメージするだけで魔術を使えるようになるのです」
「なるほど…」
コウタは小声でつぶやいたが、心の中で考えを巡らせていた。
彼の知識とこの世界の魔術が、どこかで繋がりを持っているのではないかという感覚が、少しずつ現実味を帯びてきた。
エレナは続けて、
「でも、そこに至るまでには長い道のりがあります。まずは基礎をしっかりと身につけ、少しずつ進めていきましょう」
と優しく言った。
「はい、わかりました。まずは基本からですね」
コウタはそう答えながら、自分の中に新たな決意が芽生えるのを感じた。魔術の世界は、彼が思っていた以上に奥深く、興味を引くものであった。
そして、彼の知識や能力がこの世界でどのように役立つのかを探るため、もっと学んでいく必要があると感じていた。
「それでは、今日はここまでにしましょう。次回は、もっと具体的な魔術の発動方法について教えますね」
エレナがそう言って立ち上がると、コウタもそれに続いた。
彼はまだ心臓の鼓動が落ち着かないまま、エレナに礼を言った。
「今日は本当にありがとうございました、エレナ先生。魔術の世界が少し理解できた気がします」
「こちらこそ、コウタ先生。私もあなたの知識に助けられることが多いですから、お互いに学び合いましょうね」
エレナはそう言いながら、微笑んでコウタに手を差し出した。
コウタはその手を取り、軽く握り返す。彼女の手の温もりが再び彼の胸をざわつかせたが、今度は少しだけ慣れてきた自分に気づいた。
「それでは、また次の授業で」
エレナが去っていく姿を見送りながら、コウタは深呼吸をした。
彼の心の中には、まだ未知の世界への好奇心と、エレナへの不思議な感情が渦巻いていたが、それ以上に自分がこの世界で何を成すべきかを少しずつ理解し始めていた。
「魔術か…もっと学びたいな」
彼はそうつぶやきながら、宿へと向かって歩き出した。
魔力との初めての出会いが、彼の中に新たな扉を開いたのだ。
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