わたしのお母さん



「えっ?そんなすごいお店で、ごちそうになったの?」


「そう。お父さんの収入じゃあ、ちょっと無理な感じの」


「そ、そりゃあね、響くんはお医者さんだもん。特別なんだから、比べられないよ。決して、遊佐く……お父さんの収入も低いわけじゃなくて、頑張ってくれてるんだよ、すごく」


 帰りの電車の中で、お父さんを一生懸命フォローする、お母さん。そこまで、必死にならなくてもいいのに。


「でも、そっか。よかったね、花。楽しかったでしょ?」


「うん。夢みたいな一日だった」


 今度は、自分のことのようにうれしそうに笑う、お母さんに返事した。


「お父さんと響くんは、どこに行ったんだろうね。この時間じゃあ、お父さん、響くんの取ってるホテルの部屋に、いっしょに泊まっちゃうかもね」


「お母さんも行きたかったんじゃない? ごめんね、迎えにくるだけになって」


「えっ? あ、ううん」


 全く気にしていないようすで、お母さんが首を振る。


「たまには、ふたりにさせてあげなきゃ。どのみち、わたしが行ったら、邪魔者扱いだよ」


「まあ……ねえ」


 たしかに、響くんとお父さん、お母さんがいっしょにいると、そんなふうに見える。今日も、お母さんの遺伝子がわたしに入らなくてよかったなんて、響くんは真顔で言ってたし。


 でも、そのわりには、お母さんのこともちゃんと気にかけてあげているのを感じることも、あるにはあるんだけど……。


「お母さんって、響くんのこと、よく嫌いにならないね」


「ええっ?」


 わたしの突然の質問に、お母さんが大きく反応する。


「わたしがお母さんだったら、響くんは好きになれないと思って。響くん、お母さんに素っ気ないじゃない?」


 素っ気ないというより、邪険にしてるという方が近いかも。


 それなのに、響くんが遊びにきてくれるとなると、お母さんはいつも純粋にうれしそうで、準備も張り切る。お父さんに、お母さんは響くんに片想いしてるって、からかわれるくらい。もっともそれは、お父さんのヤキモチでもあるんだろうけど。


「そんなの……!それは、当然だよ」


 前のめりで、お母さんが口を開く。


「響くんがいなかったら、お母さんとお父さん、結婚できてないもん。響くんになんて、感謝の気持ちしかないよ」


「何?それ」


 意外。あの響くんが、お父さんとお母さんの仲を取り持つようなことをしてくれたの?


「や……まあ、話すと長くなるんだけど」


「じゃあ、かいつまんで教えて」


「えっと……」


 恥ずかしそうに話し出す、お母さん。


「結婚前にね、お父さんが婚約指輪を買って、プレゼントしてくれたの。50万円くらいの。それをね、けんかというか、わたしがお父さんを怒らせちゃったとき、お父さんが3階のベランダの窓から投げちゃって」


「はい?」


 50万円の婚約指輪を、窓から?


「それで、それを見つけるまで結婚してくれないって、お父さんに言われちゃって。もうだめだと思ってたんだけど、響くんがその指輪を偶然見つけててくれたの……! あ。べらべらしゃべると、遊佐くんに怒られちゃう」


 いつだったか、亮太郎のお父さんに、うちのお父さんとお母さんは何回もくっついたり離れたり、忙しいカップルだったと聞いたことがある。相当、面倒なカップルだったに違いない……というか、お父さんがバカすぎる。


「あ……やっぱり、あきれちゃった?」


「ううん。べつに、今さらっていう感じ」


 もう、そう答えるしかない。





 翌日。


「たしか、このへんだったような……」


 わけのわからない両親はさておき、わたしがまだ観ていない昔のライブ映像があった気がして、お父さんとお母さんの寝室のクローゼットの中を探していた。


 お父さんと響くんがいっしょにバンドの活動をしていたのは、高校生から、大学生にかけて。その頃の響くんに、リアルタイムで会ってみたかったな。そうしたら、どんな話ができただろう?


「あった」


 日付が書かれたDVDが何枚も詰まった、収納ケース。わたしにとっては、まさに夢のような……と、そのとき。


「…………?」


 ふと、目に止まったものがあった。たしか、この表紙の飾り文字のイニシャルは、お母さんの大学の校章。ということは、お母さんの学生手帳?


 普通の手帳だったら、気が引けるところなんだけれど、なんとなく、学生手帳ならいいかという気になって、ページをめくってみると。


「何? これ」


 主に記入されているのは、お昼に食べた学食のメニュー。しょうもないと閉じかけたとき、ある文字に目が行った。


 一年分の予定を書き込めるようになっている、月ごとの見開きのカレンダー。よく見ると、ほとんどの週末の欄が「響くん」の文字で埋めつくされていた。



 ICC(響くんと)


 パンク写真展(響くんと)


 ICC(響くんと)


 日本怪奇映画祭三本立て(響くんと)


 ICC(響くんと)



 特に多いのが、ICC というどこかの場所の名前らしき英語。待って、その響き、たしか……。


「あ」


 思い出した。幼稚園から小学校の低学年くらいまでの夏休みに、お母さんがよく連れて行ってくれた、少し変わった博物館の名前だ。


 そうだ、昨日のコンサートホールと同じ、初台オペラシティの中にあった。その帰りに、よく地下のインド料理の店に入った記憶がある。この時期、お母さんと響くんは、こんな頻繁にふたりで出かけてたの?


 まさか、お父さんとお母さんが離れていたという時期、つき合ってたとか……?


「ただいまー」


「あ……おかえりなさい」


 玄関から、買い物帰りのお母さんの声。とっさに、さっきの手帳をクローゼットの中に放り込んだ。


「あれ? 花、どうしたの? こんなところで」


 わたしに気づいて、お母さんも寝室に入ってくる。


「DVD探してたの。まだ観てないの、ないかなと思って」


「そう、これ……! インディー・レーベルにいたときのライブ、ずっと撮り溜めてたの。ひさしぶりに、わたしも観たいと思ってたんだ。ありがとう、花」


 無邪気に目を輝かせた、お母さんに切り込んでみることにした。


「ねえ、お母さん。昨日、初台に行って、思い出したんだけど」


「うん。何?」


 DVDのケースの中身を夢中で確認しながら、お母さんが先を促す。


「わたし、あそこの建物の中のアートっぽい博物館に連れて行ってもらったことあるよね」


「あ、ICC? なつかしい」


 お母さんが、ぱっと顔を上げた。


「そう。あんなところ、お母さん、よく知ってたなと思って。前にも行ったことあったの?」


 注意深く、お母さんのようすをうかがいながら、聞いてみると。


「うん。響くんとね」


 逆に戸惑うほど、けろりと答えられた。


「響くんと?」


 しらばっくれつつ、聞き返す。


「そう、毎週のように通ったこともあったなあ……好きな展示があってね。たしかね、暗い部屋を機械仕掛けの電車みたいなのが走ってくの」


「そのとき、お父さんはどうしてたの?」


「えっ? や、それは……」


 そこで初めて、気まずそうな表情を見せる、お母さん。


「えっと、違う人とおつき合いされていたので、くわしいことはよく……」


「それなら、そのとき、お母さんと響くんがつき合っちゃってたっていうこと?」


 平静を装ってるつもりだけれど、顔が引きつっているかもしれない。でも。


「ええっ?もしかして、そんなふうに見える?」


 お母さんが、相当びっくりしたように目を見開いたのを見て、瞬時に気の回しすぎだったとわかった。


「……見えない」


「そうでしょ?お願いだから、響くんにそんなこと言わないでね。嫌な顔されるのが、目に見えてるんだから」


 よっぽど怖いらしく、声まで潜めてる。


「だけど、そうはいっても、普通に仲よかったんだね」


 それだけでも、意外だった。


「うーん……たまたま、ブームが合うと、相手にしてもらえるんだよ。最近は、全然かまってもらえなくなっちゃったけど」


 まあ、うなずける。響くんのマイペースぶりは、わたしもよく知ってるから。何より、冷静に考えれば、お母さんと響くんがつき合ってたなんてありえないし……。


「お母さんの昔の話より、花にはいないの? 好きな人とか、つき合ってる人」


「いたら、休みの日とか、もっと出歩いてるよね」


「そっか……ごめんね、花」


 そこでなぜか、ぽつりとつぶやいた、お母さん。


「何が?」


「花、昔から、同級生で好きな男の子できないでしょ? きっと、お父さんが完璧で、格好よすぎちゃうからだろうなって。お母さんも責任感じちゃう」


 真剣に、何を言い出すのかと思ったら。


「やめて……! あんなバカなお父さんのせいで、わたしに好きな人ができないなんて、そんなわけないでしょ?」


「遊佐くんは、バカじゃないもん」


 やっぱり、無駄な憶測だった。あの響くんに限って、一瞬でもこのお母さんとつき合おうと思うなんて、ねえ……?



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