*全ての記憶*

第65話

祥也は何も言わず、結希に水を渡した。


「祥也…。祥也は知ってたの?ここが、私にとって、どんな場所なのか…。」

結希のか細い問いかけに、「ごめん。」と祥也は小さく頷いた。


けれどすぐに祥也は顔をハッと上げ、「結希!まさか!」と結希を見る。


結希は頷くと、思い出したあの日の事を話し出した。

「あの日…私は…」

あの残酷で、悲しみに落ちた日の事を…。


それは、12歳になったばかりの出来事だった。


「ただいまー。」といつものように、玄関のドアを開けた。


結希は下校して家に帰った。


いつもなら「お帰り。」と優しい母親の声が帰って来る。


けれど、この日はいつもと違い、静寂な空気だけが家の中に残されていた。


優しい母親の声は、何度「ただいまー!」と言っても返っては来ない。


「ママー!」と何度も何度も呼んだのに。


不安な気持ちのまま、静寂の中を結希は歩いて行く。


「ママ!」

思い切りリビングのドアを開けた。


けれど、そこにも暖かい笑顔の母親の姿は見当たらない。


ふと足元に見覚えのあるキーホルダーが落ちているのに気付き、拾い上げた。


結希はそのキーホルダーが元々、何に付いていた物なのかを思い出した。


「ママ!」

結希はそのまま家を飛び出し、走り出した。


このキーホルダーは元々、ある鍵に付けられている物だと言う事を思い出したからだ。


その鍵は、林の奥にある小屋の鍵だと言う事を結希は思い出してしまった。


年に1度、家族で林の奥の小屋へ行く。


その小屋に母親は行ったのだと思い、結希はキーホルダーを手の中に握り、林の奥にある小屋へと急いで向かった。


どれくらい歩き、林の中を抜けて来たのだろう。


目の前にやっとその小屋が姿を現す。


家族以外の誰も知らない、大切な場所。


「ママ!いるの?結希、1人で来れたよ!ママ!」


悲劇のドアを結希は開けてしまった。


目の前に広がるあまりにも残酷な風景に結希の声が消えてしまう。


夢だと思いたかった…。


それは夢ではない、辛い現実だった。


「結希、1人で来れたの?偉かったね。おいで。」


そう笑顔で力いっぱい抱き締めてくれると思っていたのに。


けれど、今、結希の目の前にいる母親の姿はあまりにも残酷なものだった。

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